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***
ヴェルフィキシア大陸の南東に位置するこのカムレネア王国は、世界的にもずいぶん変わっている場所としてそこそこ有名だ。王政でありながら人類皆平等を謳っており、行き場をなくしたならず者たちも無償で受け入れている懐が広い国だ。
国民たちも世話焼きでお節介が過ぎる傾向にあるものの、この国で少しでもお世話になったならず者たちは、騒ぎを起こすことは滅多にない。それでも時々行き過ぎた行為があるため、国民たちには自衛手段として武器の所持は許されているし、街の中には警備兵の常駐や巡回も強化している。
ただ、やはりならず者たちが多いために、国や街自体の治安悪さは目立つもので。
「いいですか、ティフィア様。私は情報収集してくるので、ここで二人おとなしく待っていて下さいね。――特にリュウレイ、貴様のことだぞ」
ティフィアと呼ばれた少女は苦笑しながら、ベッドに転がる10歳くらいの少年を一瞥する。生意気そうな猫目の紅い瞳が無感情にこちらを見ると「はーい」と生返事だけをした。
……そんな態度はよくないと思うけどなぁと少女が前を向くと、案の定と言うべきか額に青筋を浮かべる女性が口元を引き攣らせていた。
褐色のボブヘアーに切り揃えられた前髪、吊り目がちな左目には泣き黒子がある。見た目通り神経質なところがある彼女は、リュウレイのその態度が気にくわない様子であるものの、一つ大きく深呼吸して怒気を沈める。
「リュウレイ、貴方はもっと自覚しなさい。私たちの
「はいはい、分かった分かったから。さっさと行ってくれば? ニアおばさん、うるさいん」
「お、おば……! 私はまだそんな歳じゃありません!」
「に、ニア落ち着いて………。リュウレイも駄目だよ」
ティフィアが注意すると、そっぽ向く少年にニアと呼ばれた女は再び怒りがこみ上げてくるのだが、これではらちが明かないと首を横に振り、では行ってきますと少女だけに頭を下げて部屋から出て行った。
「リュウレイ、ニアはまだそんな歳じゃないよ?」
改めて少年にそう言えば、彼は「27歳じゃん。オレから見たらおばさんだけど」と鼻で笑って返されてしまう。何か言い返したいのに言葉が出てこないティフィアは、一つ溜め息をこぼした。
……どうしてこんなことになっちゃうんだろう。
一ヶ月前から3人で旅をし始めて、なのに仲間同士の関係はぎくしゃくしている。リュウレイとニアはいがみ合ってて、ティフィアは二人を宥めて。そうこうしている内にカムレネア王国へ着き、現在は王都クィーフィーのとある宿屋の一室を借りているわけなのだが。
もっと、こう………信頼し合いながら共に支え合う形を夢見ていたティフィアとしては、なんだかなぁと気落ちしていた。
「あ、お嬢」
お嬢と呼ばれた少女は、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。
「オレちょっと買い物行ってくるから」
「ま、待ってなきゃ駄目だよ。ニアに言われたでしょ?」
「言われたから待ってるん?―――それじゃあ、あの頃と何も変わらないじゃん」
それに暇だし、とリュウレイがさっさと行ってしまうのを見て、伸ばしかけた手を引っ込めたティフィアは下唇を噛んで再びうつむいた。
「……分かってるよ」
そんなことは分かってる。
だからここにいるのに――――。
それでも自分が何をしたいのか、どうしたいのか。そんなことも分からないのだ。
「………なんかお腹空いてきちゃったな」
考えるのは疲れる。
なにか食べようと荷物を漁るが、煮魚の缶詰しかなかった。これじゃあ腹の足しにもならないと、仕方ない宿の隣にあったお店で何か買ってこようと部屋から出たとき。
「おやおや、これはお客様! どちらへ行かれるので?」と宿の店主であるマーシュンというご老人に声をかけられ、ティフィアが正直に答えるとそれならばと彼は言った。
「こちらで料理を提供させていただきますよ。これもサービスですから」
ゲヘゲヘ笑う彼の提案に、少女はありがとうございますと頭を下げる。
宿から極力出るなというニアの言葉もこれで守れるし、良かったとティフィアは安堵した。
***
王都クィーフィ―は、高さおよそ200
城の周りが100mほど堀のような穴があり、壁のような崖を開拓した城下街で国民たちは暮らしている。真上から見るとドーナツの形になっているのが特徴的だ。これは、元々この国は十数年前まで魔物の侵入を拒む結界の技術を持っておらず、人々を守るために魔物が闊歩する地上を捨てた名残である。現在は帝国との同盟を結び、結界の技術提供をしてもらったおかげで、そのような心配はなくなったのだが、今更住み慣れた地下の暮らしを、人々は望まなかったらしい。
それから、特徴的といえばもう一つあり、城下街には3つの層がある。
下から“最下層エリア”、“住居層エリア”、“商業層エリア”である。
最下層エリアは、レッセイ傭兵団の拠点である廃工場がある場所で、ならず者たちのたまり場、と言えばいいだろうか。普通に一般人も紛れているが、治安が悪いので自然とそういう場所にはなっている。あとは酒場や賞金稼ぎ用の掲示板が並ぶ縦覧通り、怪しい商店などがある。
住居層エリアは文字通りの場所である。国民たちの住宅が並び、ここには防犯面のために王国軍の兵が大量に配備されている。たまに挨拶すると、やはり国民性なのか親しげに返してくれるが、調子に乗ると睨まれるというのはアルニ自身の経験談だ。
商業層エリアも文字通り、稼働してる工場やら商店が建ち並ぶ場所。こちらは国での許可を得た、信頼性のある商売しかしていないので、よっぽどのことがない限りはこのエリアの店で買い物をした方が良いだろう。軍人御用達の酒場や、宿屋マーシュンとは比べるのもおこがましいくらいの宿や旅館などもある。
――この3つの層と地上は、全て階段と転移用の“魔術紋陣”によって行き来可能で、転移は便利だが一回毎に200トルも取られるので、大抵は階段での移動が主だろう。
ちなみに城への行き方は知らない。住居層エリアのどこかにある教会から行けるらしいが、城へ行くこともなければ興味もないので、確かめたことはない。
アルニがまず訪れたのは商業層エリアである。
ここの工場の一つに“彼女”は務めているのでそこへ向かう途中、噴水がある広間にて数人の観客を相手にする吟遊詩人の男がいた。
ポロンポロンと三つの弦で音を繰り出す楽器を手に、彼は一つの伝説を謡っているようだ。
――――世界は100の巡りを繰り返し、憎しみに囚われた魔の王が生まれる。
――――
――――それに抗う人間と魔の者たちとで、世界は戦火に呑まれてしまう。
――――それを憂いた女神レハシレイテス様は、とある人間に『救いの加護』をお与えになった。
――――女神に選ばれし“勇者”は魔の王を倒し、人々に希望と安寧を与え、天へと召し仕えられる。
――――これは『救い』の物語。これは『勇者』の物語。
――――100の巡りの中で、世界が何度も救われる物語。
「……勇者、ねぇ」
アルニは冷めた眼差しを吟遊詩人へと向ける。観客に拍手されて絶賛されてる彼は、照れたように顔を赤らめているが、アルニからすれば嫌なものを聞いてしまって気分はがた落ちである。
――勇者は嫌いだ。
意味も理由も、おそらく
なにぶんアルニは8年前から、それ以前のことを覚えていないから。
まだ傭兵団を設立する前のレッセイたちが、着の身着のまま旅をしていたとき、街が焼け崩れているのを見て大層驚いたらしい。念のため生存者を探していたら、背中に火傷を負っただけで済んでいたアルニを見つけたらしい。
そして100年に一度現れるという魔王。それを歴代最強といわれた勇者リウル・クォーツレイが
時期は微妙にずれているようだが、おそらく勇者の手から逃れた魔族による仕業でアルニの故郷は滅ぼされたのではないかとルシュに言われても、そんなことは覚えていない。それよりもただ純粋に―――勇者が憎い、それだけだった。
もう死んだはずの男を憎んでも仕方ないというのに。
「そこのぼんやり突っ立てる人、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
そのとき不意に近くから声がかけられ、それって俺のことかと視線を斜め下にやれば、生意気そうな少年がこちらを睨むように見上げていた。
「この近くで鎧着た、おかっぱの薄桃色の目をした、なんか感じ悪いおばさん見なかった?」
お前の方が感じ悪そうだけどというツッコミは飲み込み、その特徴になんだか見覚えあるなと逡巡する。――あ、確か宿でぶつかりそうになった人だ。
思い出したはいいが、残念なことにそれ以降で見かけてはいない。
「悪い」と首を横に振れば、チッと舌打ちされた。
「あのおばさんはなんなん? 方向音痴の癖にうろつき回る癖でもあるん?」
幼い少年が苛立たしげにしているのをなんだコイツと思いながら「手伝うか?」と提案すれば、彼は大きく溜め息を吐いた。
「その気持ちだけでいいよ、お兄さん。ありがとう。もし見かけたら、たぶん迷子になってるだろうから宿屋マーシュンってとこに連れてきてもらえると、もっとありがたいかな」
大丈夫だというわりに図々しい子供だが、どうせアルニもそこまでやることがないので、頷いて引き受けた。
「魔術使って探しちゃ駄目かな」と小さく呟きながら少年は人混みに紛れていき、アルニもまた歩き出すことにした。
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