1.傭兵団の解散


 ガサガサッと足首まで伸びた雑草に足を取られぬように踏み荒らしながら、深い森の中―――1人の少年がものすごい速さで駆け抜けていた。


 体の要所のみに取り付けられた薄い鉄板のような鎧、年期の入ったボロボロのマントと、伸び放題の黒髪をうなじで束ねた尻尾のようなそれをはためかせ、切れ長の灰黄色かいこうしょくの瞳を鈍く光らせながら前を見据える。


 ……A地点までは約1kmキロメィテル、B地点までは1,7kmってとこか。


 少年は事前に打ち合わせた地点までとの距離を目測し、それから自分の今の走る速度と、二つの地点までに辿り着く時間をざっと洗い出す。

 それぞれの地点には、待ち伏せしてる仲間たちが隠れているのだが……この速度だと、そのまま通り過ぎてしまう。しかし、だからと言って足を緩めるわけにもいかない。


 そう考えを巡らせながら、ちらりと後ろを一瞥する。


「ガァァァアアアアアアァ、グァガァァアアアアアアッ‼‼」


 全長3メィテルくらいはありそうな黒い肌の巨人が、巨大な斧をブンブン振り回して周囲の木を薙ぎ倒しながら少年を追いかけていた。


「ふはっ! めっちゃ怒ってるっ!」


 あの巨人は“巨鬼ギガン”と呼ばれる魔物だ。

 大きさと肌の色から、後ろから追いかけてきているのは雌の巨鬼である。


 巨鬼は洞窟を住処とし、大抵この夕暮れ時は、雄は縄張りの偵察、雌は巣にいる子供たちのために餌を探すべく外出している。なので、その隙を狙って子供たちを皆殺しにし、その血を少年は自分の服に擦りつけ、それから雌が戻ってきたタイミングで少年が囮役として出て行き、現在進行形で追いかけっこをしているというわけだ。


 ちなみに雄は雌よりも一回り大きく、しかも強いため、今回はリスクを最小限にすべく雌を狙った。

 なぜ巨鬼を狙ったかと言えば―――まぁ、それはじきに分かるだろう。


 少年は太腿に巻かれたベルトからナイフを抜き、それをうなじに当ててずわり・・・と尻尾のような髪を切った。


「風の精霊たちよ、この手に集い、舞い上がれ!」


 ふわり、と。15センテくらいの長さの髪が手元から離れると、それは一本一本ばらけながら巨鬼の顔面へ舞い上がる。それからすぐに「グァアグッ!?」と後ろから悲鳴のような声があがり、少年は思わずといったように口角を上げて後ろへ振り返った。


「っ、と!」


 振り返って早々に頭上から振り下ろされた斧に気付いて、咄嗟に横へ転がり、起き上がった先で巨鬼が「グギャアアッグギャァァアアッ」言いながら、斧すら手放して両手で目をこすっていた。先ほど少年が無造作に切った髪の毛が目の中に入ったのだろう。痛痒そうに、大粒の涙をこぼしている。


 少年はそれを見て可哀想に、と憐憫の眼差しを魔物相手に向けた。

 ――町から離れて数日、風呂にも入れなかった少年の髪はとても汚れていた。それが目に入ったのだ。同情くらいはする。

 しかし、それはそれ、これはこれ、である。


「テメェら、かかれ!!」


 足を止めた巨鬼が隙を見せたそのタイミングで、どこからか渋い声が合図する。その瞬間、木の上やら茂みから10人くらいの大男たちが一斉に魔物を取り囲み、襲いかかった。


 少年よりも一回り二回り図体がデカい男たちは、それぞれの武器エモノを構えて切り込みにかかる。それに気付いた巨鬼も抵抗するように、太い足や腕、斧を振り回すも、彼らは難なくそれを躱しながら攻撃していく。


 徐々に傷を追っていく巨鬼と、男たち――仲間の勇姿を見守りながら、途端に手持ち無沙汰になった少年は退屈そうに欠伸を掻いていると、バシンッ! と不意に後頭部を叩かれた。


「何ボサッとしてやがんだ、テメェは!」

「痛ッてぇだろうがクソ団長オヤジ! 何度も言うけど、もっと加減を覚えろっつーんだよ!」


 加減をしらない暴力に抗議を申し立てながら振り返れば、怒り半分呆れ半分といった表情を浮かべた中年の男――レッセイ・ガレットが立っていた。

 少年を含めた男たちの所属する『レッセイ傭兵団』の団長である。


「怠けてるやつにくれてやる加減なんてねーんだよ。さっさと加勢しろ、ガキが」

「加勢しろって言われても、俺なんか必要ねぇだろ」


 横目で視線を向ければ、すでに巨鬼はうずくまって戦意喪失し、それでも追い打ちをかけるように仲間たちがワイワイ騒ぎながら剣やら斧やら槍やらを体に刺していく。もう間もなくあの巨鬼は絶命するだろう。


「ここはAとB地点の、ちょうど真ん中。待ち伏せしてたヤツらも集まって、全員でフルボッコタイム中ー。囮役だった俺の役目は済んだし、あとは巨鬼を解体して俺の取り分を貰うだけだ」

「また食い意地だけ張ってやがる……」


 じゅるりと涎を啜りながら巨鬼を見つめる少年に、ガレットは大きく溜め息を吐いた。


「――それはそうとアルニ」

「ん?」アルニと呼ばれた少年は、再びレッセイに視線を戻す。

「その髪、街に着いたらちゃんと“彼女”に整えてもらえよ?」


 ニヤリと黄ばんだ歯を見せて、憎たらしく笑みを浮かべる彼の言葉に「“彼女”じゃねーよ!」と訂正するが、どうせ何言っても揶揄われるだけだと分かっているので、これ以上は何も言うまいと口を閉ざした。


 そんなアルニにつまんねえなと肩を竦めたレッセイは、すでに解体が始まった巨鬼へと足を向け―――「あ、」と足を止めて振り返った。


「ルシュにも言っといたがよぉ、街に着いたら全員拠点に集合な」


 普段通りの軽い調子で言われて、咄嗟に分かったと返したアルニはすぐに表情を無くした。

 仲間たちの元に向かうレッセイは足を引きずっていた。昨日までは普通に歩いていたというのに、今は包帯を何重にも巻き付けて動かない右足をそのままに、杖を支えに歩くその後ろ姿があまりにも痛々しい。


「おーいアルニー! 早く来ないとお前の取り分なくなるぞー!」

 仲間の声にぼんやりと突っ立っていたアルニは我に返ると、慌てて彼らの元へと駆けていった。


 ――巨鬼(特に雌)は、俺たちのような『ならず者』にとって最高の魔物である。


 持ってる大斧は高く売れるし、巨鬼のアキレス腱は最高級食材の一つと言われており、当然これも高値で取引してくれるし、なにより焼くだけでも美味い。

 プルプルコリコリとした食感に、噛めば噛むほど甘みが口いっぱいに広がる。新鮮なものだと臭みもないので調味料いらず。


 仲間たちからも「食いしん坊」のレッテルを貼られているアルニとしては、当然このアキレス腱を狙っていたし、食べるのをすごい楽しみにしていたのだが。


「悪いな、アルニ」


 手を合わせて軽い謝罪をする男の後ろで、アキレス腱を火に炙って美味そうにしゃぶりつくレッセイの姿を見たときは、本気でこのおっさん殺してやろうかと思ったくらいだ。


 そして、代わりに貰ったのは巨鬼の尻肉。美味くもない、焼いてから干して保存食にするしか使い道のない―――つまりは余り物である尻肉。なんてこった。

 ちゃっかり美味い部位をいただいていた仲間たちも同罪だと、思わず短剣を振り回しそうになったけど。


 その日の晩は、巨鬼を美味しく食らいながら酒に浸り、みんなどんちゃん騒ぎだった。

 酒をあまり嗜まないアルニはちゃんと尻肉を立派な保存食にし、それと引き換えに仲間たちから美味い肉を分けて貰った。アキレス腱は貰えなかったが。糞ったれ。


 翌朝。

 朝早くから森の中を歩き回り、ようやく街に辿り着くと疲労感が一気に体を重くさせる。しかし、団長であるレッセイが集合と言っていたのだから、このままベッドにダイブというわけにもいかない。


 拠点がある廃工場まで行くと、普段はあまり拠点に寄りつかない人までいるせいか、それほど広くない工場内は人口密度が高く、ほぼ全員が筋骨隆々とした大男なのでむさくるしい。彼らは皆、思い思いのところに散らばり、用途不明の機材の上や綿が飛び出たソファに寝転がる者もいる。


 アルニは壁に寄りかかり、それから小さなコンテナの上に胡座を掻いて座っているレッセイを睨むように見上げた。


「――団長オヤジ、これで全員だ」


 不意にコンテナへ飛び乗ってレッセイの隣に並ぶ、爽やかな風貌の青年――この傭兵団の実質的な副団長の立場にいる、レッセイの右腕であるルシュだ。


「……ふんっ、ずいぶんと大所帯になったもんだなぁ」


 ぐるりとコンテナから見下ろす団員たちの顔ぶれに、レッセイは傭兵団結成当初のことを思い出す。

 あの頃はレッセイを含んだ5人だけだった。レッセイ、ルシュ、アルニ、それから今はいないラヴィとニマルカ。

 現在は、総勢20人だ。


「これも団長オヤジの人徳だな」と本気なのか揶揄っているのか分からない調子で言ってくるルシュに、鼻で笑って流す。

 それから杖を使って立ち上がると、レッセイは大きく口を開いた。


「――――――聞け、テメェら!!」


 その第一声でざわついていた工場内が一気に静まりかえる。


「もう勘付いてるヤツもいるとは思うが、今回の遠征で俺の右足は使いモノにならなくなってなぁ! だから俺はもう引退だ! それに伴い、この傭兵団も仕舞いにする!――――それぞれ好き勝手に生きて死ね!! 以上、解散だッ!」


 彼らしい、あっさりとした引退宣言だ。


 レッセイはコンテナから降りると、足を引きずりながらも一人工場を出て行く。その後ろ姿に団員たちがお疲れ様でしたと声をかける中、アルニだけはなんとも言えない面持ちでいた。


「アルニはどうする?」


 工場の出口をずっと見ていた少年に声がかかる。見れば爽やかな青年が片手を上げて近づいてきていた。


「ルシュ」

「こうなることくらい、お前だって気付いてただろ? 今回の遠征は本当に最悪だった。運が悪かったとしか言えないな」

「……」運が悪かったと言えば、そうだろう。


クィーフィーの街長直々の依頼で、国境近くに出来た魔物の巣を一掃するという内容だったそれは、この国イチ精鋭揃いのならず者集団であるレッセイ傭兵団は適任だった。実際、かなりの大物が出てきても問題ないくらいには。


 ただ、ほとんど魔物を狩り尽くして仲間たちも疲労を覚えた頃―――魔物に擬態していた・・・・・・・・・魔族・・が現れた。それでも多勢に無勢だったのか、戦力差はこちらの方が上回っていたために魔族も逃げ出すことを選んだのだが。


 その際、魔族が放った術から仲間を守るために直撃を受けたレッセイは、足に重傷を負ってしまったというわけだ。


 あれだけの術をその身一つで守り切ったことは純粋にすごいと思うし、あれでまあよく死ななかったなとも思ったが、動かない右足を見て現役復帰は難しいだろうなと素人目で見ても分かった。


 その場に居合わせた仲間たちもアルニと同じことを思ったはずだ。だから依頼を終えて街へ戻るまでの間、今後のことをずっと考えてはいた。元々レッセイ自身歳もいってるし、いつかはそういう時がくるとは思っていたが……それでも、実感が湧かない。


「アルニは幼いときに団長オヤジから拾われてるし、思うところもあるだろうけど」

 ルシュはアルニの頭の上に手を置き、苦笑いを浮かべた。

「そんな迷子みたいな顔すんなよ」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられ、それから青年は言った。


「俺は新しく傭兵団を立ち上げる。――アルニ、お前強いし。もし行くとこないなら来いよ」


 そう言い残して去って行ったルシュを見送り、一つ溜め息をこぼす。

 いつの間にか工場内には誰もいなかった。


「………どこに行けばいいんだろうな、俺は」


 レッセイは「好き勝手に生きて死ね」と言っていたが……自分がしたいことなんてないんだよな、と一人愚痴る。とりあえず、今までこの工場の一室で寝泊まりしていたアルニは、ここが売り払われる前に荷物をまとめることにした。



 それから、まずは寝床だなとこの街で一番格安だが訳ありの宿屋マーシュンまで来た。

 木造2階建て、部屋数は5つ、壁は薄くてベッドは硬い、しかも鍵がついていない上に宿の名前になってる店主マーシュンの手癖の悪さは有名だ。それさえ我慢と注意すれば、一泊千トルは破格の安さである。


 職を失い、あまり貯金がない身としては助かる。


「おやぁ、これはこれは……レッセイさんとこのアルニさんではありませんか」


 両手を揉むように擦り合わせながら近寄ってきた、下卑た笑みを浮かべるこの皺くちゃな老人がマーシュンである。


 彼は元情報屋でもあり昔は人の弱味を握っては脅してくる悪徳クズ野郎として有名だったのだが、今は足を洗って大人しく宿の経営をしているらしい。手癖が悪いのを鑑みれば、全く大人しくはないが。


「どうせ部屋空いてるよな。今日から俺も泊まりたいんだけど」

「ええもちろんですとも! 傭兵団が解散したと風の噂で聞き、きっとアルニさんがいらっしゃると思いまして部屋を用意させていただいております!」


 本当かよと呆れながら、ずいぶん早い風の噂だなと睨む。レッセイ傭兵団が解散したのはついさっきのことだというのに。……どうせ昔のツテから得た情報だろう、情報屋からは完全に足を洗っているようには思えない。

 まぁどうでもいいかと口を開く。


「いつまでここにいるか分からねーから、金はその都度払うわ。とりあえずこれ、今晩の分」

「毎度ありぃ! 部屋は空いてるところをご自由に使って下さいね」


 金を渡すと、もう用はないとばかりにカウンターの奥の部屋へ消えてしまった。というかやっぱり用意してたっていう部屋は嘘なんだなと確信し、それから部屋がある2階へと上がる。


 そのとき、階段を上がってすぐの部屋から一人の女性が出てきて危うくぶつかりそうになった。


「失礼」とすれ違ったその女性にアルニは驚いた。アルニ自身が言うのもおかしいことだが、すでに先客がいたことに驚いたのと、その女性が頭以外全身鎧を身にまとっていたことに不審感を抱いたのだ。


 鎧を着てるってことは兵士か騎士だろう。そんな人がどうしてこんな宿に? と疑問が浮かんだが、すぐに見えなくなった彼女の背中に、すぐに興味は失せた。どうせ関係ないだろう。


 ――部屋に金にならない荷物を置いたら、とりあえず“彼女”に会いに行くか。


 そう決めて、さきほど女性が出てきた部屋から一つ分通り越した部屋へと入った。


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