飛ぶコーヒー

幻典 尋貴

飛ぶコーヒー

 僕の大親友へ。

 君がこれを読んでいるって事は、僕はもうこの世界にはいないわけか。なんだか寂しいね。もう君には会えない訳だ。

 最後に君に会ったのっていつだっけな…そう、二年前だ。

 そっちの紗絵さえちゃんが彼氏を作ったと電話して来た時だね。

 あの時は酷かったなぁ、君は潰れるまで飲んじゃって、家に帰る道中は吐きまくるし、家についても僕から手を離さないし。

 思い出すだけでアノ匂いがして来そうだ。

 ――話がズレたね。

 本題に移ろう。

 僕はもう死ぬらしい。

 君には一つだけお願いがあるんだ。

 僕のクローンを回収して欲しい。


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 最初にこの手紙を見た時は意味が分からなかった。

 送り主は病院の名前になっていて、身に覚えはないが病気にでもかかったのかと少しドキッとした。

 水色の封筒の中には手紙が二枚入っていて、彼の名前は書いていなかった。

『大親友へ』と書かれた冒頭でもしかして、と思い、僕の娘の名が出て来たことでそれは確信に変わった。

 明野あきのけん、確かに僕の大親友からの手紙であった。

 何だかその文面は彼らしくなく、彼が死んだと言うのは嘘なんじゃないだろうかと思った。

 手紙に書いてあった事をざっと説明すると、彼は死に際に心残りを解消するために時間制限付きのクローンを使ったから、タイムリミットが来る前に、回収して欲しいとの事だった。

 タイムリミットは五日後、手紙に書いてある日付けは昨日だから今日を入れて四日後と言うことになる。

 とは言っても、バレないよう彼を回収するというのは、どうしたものか…。


 =


「ほら、やるよ」

 薄闇の中、コーヒーの缶が飛んでくる。

「っぶね」

 俺は何とかそれを受け取り、プルタブを押し上げて一口啜すすった。

「これやってみたかったんだよなぁ。缶コーヒー投げて渡すやつ」

「そういうのは夕陽の出てるうちにやるもんだろ。ってか古いだろ、平成生まれかよ」

「悪いかよ」

「悪かねぇよ」

 俺が生まれた令和と言う時代も、あっという間に二十年が経っていた。つまり俺も二十歳、酒が飲める歳だ。

 隣に座る彼はまだ十九だと言う、ギリギリだ。

「で、用ってなんだよ。まさかこれのためじゃねぇよな」

 俺は時代遅れの缶コーヒーを指差して言う。

「違う、違う。ちょっと気になった事があってさ」

「何だよ」

「君が暴れる時は、いっつも名前が呼ばれた時だなって思って」

 まだ中身の入った缶を少し潰す。溢れたコーヒーがズボンにかかった。

「で、それが、何?」

「僕の名前はけんって言うんだ」

「は?」

 俺は眉間に皺を寄せる。

 俺の名前を馬鹿にするのか。

「君は賢訓けんくんって言うんだろ。もしかして、名前にコンプレックスでもあるのかなって」

「やっぱり、お前ぇ…」

 拳を固める。

 すると彼は手のひらをこちらに向け、まぁまぁと宥めて言った。

「話、聞くよ」

「は?」

 俺が疑問符を口に出すと、彼はもう一度言う。

「話、聞くよ」


 =


 明野の家、久々に鳴らすインターホンは壊れているらしく変な音がした。

「あの、富田です」

 カメラに向かってそう言うと、明野美冬みふゆの声がして、ドアが開く。

「あら、久しぶり。どうぞ上がって」

 廊下を歩く彼女の後ろ姿を見て、彼女も年を取ったものだと思う。あの頃は彼女は学校一のマドンナで、ほぼ毎日告白されていた。もちろん俺だってそれは例外ではなかった。

 ただ今はその影は薄く、顔は昔通り綺麗なもののスカートまでは似合っていなかった。

 部屋に入ると明野葵がいる。彼女は健の一人娘で、美形の顔は昔の美冬を思い出す。

 美冬がお茶を持って来ながら、嬉しそうに言う。

「健くんったら、一時退院が許されたって言って、デートに行こうなんて言うのよ」

 くだんの健はテレビを見て笑っている。確かにこれなら本物と見間違うなという出来だった。まぁ、クローンなら当たり前なのかもしれないが。

 やはり、本当は彼はまだ生きているのではないかと思った。

 手紙が届いてからすでに一日経っていた。彼の手紙通りに事が進んでいるのなら、昨日は葵ちゃんとを食べに行ったのだろう。

 明日は美冬とデートをするらしい。かつてしたという、幸福に包まれたデートを。

 ただ、彼はその翌日にいなくなる。それを考えると、やるせなかった。


 =


「俺はさ、この名前を付けた親を憎んでいる」

 同情してもらいたかったわけでも、慰めて欲しかったわけでもない。ただただ根負けしたのだ。…きっとそうだ。

 ――俺は、この名前が嫌いだった。

「自分の名前の不可解さに気付いたのは、小学校に入ってからだ。朝の会に点呼ってあるだろ?あれで俺の時だけ笑いが起こるんだ。それがどうしても嫌で、嫌で嫌で、学校に行かない時もあった」

 俺は地面を見ながら淡々と語る。ひび割れた落ち葉が風に飛ばされて行くのを何度も見た。

「だからさ、名前を呼ばれたら条件反射みたいにカッと来ちまうんだ」

「そうなんだ」

 健は静かにそうこぼした。

「それだけかよ」

「いや、さ、いざ聞いてみたら何て言ったら良いんだろうなって」

「適当だな、お前」

 何故だか清々しい気持ちだった。依然として名前への嫌悪と親への憎悪はあるものの、前よりは軽くなっているのは確かであった。

「適当、か。そうだ、分かった」

「ん?」

「君の名前にはちゃんと意味があっただろ?」

 確かに意味は聞いた事がある。遠い記憶、母に頭を撫でられながら、眠る俺に母は言った。

「賢い子になれ、か。もう既に道を外れてるな」

 乾いた笑いが出る。

 今までの自分の行いを思い出して、何て馬鹿な事をしていたのだと思う。

「これからなれば良いよ」

 彼の声はとても優しいものだった。

「そっか」

 涼しい風が頬を撫でた。


 =


 彼の最終日、クローンの健と約束をした通り、健と遊びに出掛けた。

 遊びと言っても公園でサッカーボールを蹴りあっているだけだ。

 楽しくも、つまらなくもない。至って普通だった。

「それで、この後はどうすれば良いんだ」健に聞く。

「何が?」

 彼の反応はあっけらかんとしたものだった。

 まぁ、そうか。あの手紙を書いたのは彼であって彼ではないのだ。

「いや、何でもない…やっぱり適当だな」俺はぼそりとこぼす。

 やつは昔から変わらないのだ。

 何も考えずに、人の幸せを優先する。

 今回だってそうだ。

 家族に本当の死の瞬間を隠し、その上で家族とやり残したことは解消しようとした。

 実際それらの目的は果たせたらしい。

 彼の家の中は幸せと言う空気が目に見えるようだった。

 俺もそうなのだが、彼女らは健の最期の瞬間を見る事は出来なかった。

 彼は最期の瞬間を不鮮明にしてクローンの自分を残した。

 言うなれば、目の前にいる健のクローンこそが、健の最期の瞬間であり、死の体現だ。

 俺が子供の頃ならあり得なかったこの状態は、今では普通になっている。

 今頃彼のいない彼の家には病院の人間が説明に来ているだろう。

『あなたがたと五日間を過ごした二番目の明野健は、クローンでした』と、ドッキリのネタバラシの様な発表が行われているのだろう。

 なんともおかしな世界になってしまったものだ。

 数時間後には目の前の健は、細胞を維持できなくなり溶け始めるのだと言う。そしてまた他の人の細胞を入れられてクローンとなる。

 サッカーボールが俺の方と健の方を行ったり来たりする様に、彼も繰り返して行く。

 少し疲れて来たため、彼とベンチに腰掛けた。

「コーヒー、買ってくるよ」

 俺はそう言って自動販売機に向かった。

 彼の手紙の最後の部分、適当なあいつからの最後の注文。

 最近はめっきり見なくなった缶のコーヒーを買って、元の場所に戻る。

 時間は丁度いい。

「ほら、やるよ」


 夕陽の中を、コーヒーの缶が飛んだ。

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