第16話 音楽と映像の大革命

This Message From NIRASAKI N-TOKYO JAPAN

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 こんにちは。今日は初夏らしい晴天。梅雨もそろそろ終わるよ。僕が生活している集合住宅の、すぐ近くの農家がトウモロコシを育てていて、それがだいぶ大きくなっているのを、毎朝、僕もチェックしている。トウモロコシ自体も、育っているのが見える。収穫時になると、その農家のおじいさんが、道端に屋台を出して、そこでトウモロコシを焼くのが、ここ数年の恒例となった。これがものすごく美味い。ドクにも何回か持って行った。昭和だな、という感想だった。僕も同意見だ。

 そのドクの倉庫の隅に、山になっている機械は、平成の人が見ても不自然だろうけど、令和の人間からすると、びっくりするというか、冗談だと思うだろう。骨董品の山なのだから。

 僕も数台持っているDVDの再生機がまず目につく。その他にVHSの再生機、CDの再生機、カセットテープの再生機が、数え切れないほどここにある。それだけでもかなりの価値があるが、もっとすごいのは、その山の横にあるタンスだ。ただの桐ダンスに見えるが、引き出しを開けると、仕切りで区切られたそこに、無数の電子部品が入っている。これはドクが平成になる前から集めているという、コレクションというか、在庫というか、そういうものだ。秋葉原が電気街だった頃に、だいぶ通ったと聞いている。写真もあって、そこには改築前の、さらに改築前のラジオ会館の正面の写真がある。まだ若いドクの背後にある「世界のラジオ会館」のネオンは、今より少し野暮ったいけど、僕は好きだな。

 どうしてドクがオーディオ機器を確保しているかといえば、要は部品のストック代わりだ。ドクは今でも作業中に、ガンガン音楽をかける。大抵はデータを購入して、それを無線で大型スピーカーを通して流しているけど、行き詰まってくると、彼は八十年代だろう、洋楽のロックミュージックを流し始める。それはデータではなく、CDだ。アーティスト名はAC/DC。どうやらデータ化されていないらしい。僕も過去の情報を当たってみたが、平成が終わる頃に、ハイレゾ音源、と呼ばれる情報量が大きいながらも音がいい、というデータが発表されていた。これが令和の初期にかけて、比較的、成功し、これは端末の大容量化の流れと一致し、ある程度の市民権を獲得した。だけど、ハイレゾ音源が発表されない音楽は、だいぶ忘れ去られた。僕が好きなwinkも、音質の荒いデータしか残っていない。そんなわけで、今の時代の音楽はデータで流すのが当たり前で、CDは細々としか販売もされず、主に中古品がやりとりされている。ドクがCDの音楽を好むのは、音質が悪いのが逆にいい、という主張だ。

 同じような主張をする人が、意外に多いのが、ここ最近の流行になっている。ハイレゾ音源に対する、反動だろう。こういう反動が、令和では様々な分野で起こって、令和の時代を、「反動の時代」と呼ぶ知識人もいる。

 というわけで、CDは意外に需要があり、三十年以上前のものが、かなり高い値段で取引される。レコード会社も復刻版とか、ベスト盤を新しく出すけど、それはそれで、いい値段だ。再生機も出ているが、どうにも古めかしく感じる。この辺りは、平成を生きている人は、アナログ盤を見たり、レコードプレーヤーを見たりして、感じるものが何かあったはずで、その時に感じた心の動きが、今、CDやカセットを見て僕が感じる心の動きと、ほぼ同じと考えて欲しい。

 ブルーレイは細々と、頑張っている。映像関係は令和の初期にテレビがほとんど限界まで進化し、ブルーレイ再生機には映像をさらに補正する機能などが登場した。しかしVR機器が出現したことで、徐々にシェアを失い、令和が三十年に近づくにつれ、今度はVR機器やVRコンテンツがほぼ限界まで進化したことになった。もうVRの映像は現実と大差ない。平成や昭和の映像を、VR化する試みも繰り返されている。でも僕はVR化はあまり趣味じゃないな。昭和の映画やドラマは、二次元の画面で見たい。なのでVRゴーグルを装着していても、二次元モードで僕は眺めている。そう、VR機器の発展は、音声のリアリティを追求する動きも内包していて、歌手などのライブ映像は、まるでライブ会場に実際にいるような音声で鑑賞できる。ドクはたまにこれをやっていて、口元を緩ませながらじっとしている姿は、なんとも面白い。同じことをしている時、きっと僕も同じような顔だろうけど。

 テレビについては前にも伝えたよね。テレビ局という考え方が、令和になってしばらく経つ頃には、消えてしまった。テレビはネットと繋がり、ネット配信番組をテレビで見るのが当たり前になったんだ。令和の最初期は、アニメや映画関係、ドラマ関係で、この動きが活発になり、そこから音楽やお笑いに波及し、バラエティ、ニュースと、全てがネット配信に移行した。NHKは受信料の関係でゴタゴタがあり、激しい訴訟の末、結果的には国営放送という形になり、その上で、テレビ事業から撤退することになる。もっとも、その時には民放のほとんどがネット配信のみに舵を切っていたけど。なので、テレビというものは、モニターと同義になり、しかもVR機器がモニターを駆逐しつつある。

 ラジオさえもネット配信に移行していった。ただ、ラジオにはテレビにはない強みがあった。それは、音だけのメディア、という点だ。仕事中にVRゴーグルをかぶって、書類を書くのは難しい。ARゴーグルでも、ややこしい。しかしラジオは耳を傾けるだけで、他のことが同時にできる。この、ながら、が可能な点が、令和を通して、どうにかラジオを生き延びさせた。それに加えて、僕の憶測だけど、音楽業界とラジオ局の繋がりが、まだ生きているんだろう。レコード会社はそれぞれの動画チャンネルで新譜を広告するが、ラジオでも未だに新譜が流れるし、歌手などがゲスト出演することも多い。

 というわけで、令和のメディアは、ほとんどがネット主体に移り変わった。

 僕は親からもらった名刺サイズのラジオを、まだ持っている。

 今、受信できる電波は、朝鮮半島からの電波くらいだ。

 その話を子どもの時、親にしたら、親はニヤニヤ笑いながら、「雑音だよな」と言った。

 雑音リスナーという概念は、もう、令和では消えてしまった。






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P.S. Video Killed The Radio Star is Coming!


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