第11話:唯、鬼のように

「話を聴いてくれるのはほんっとうに嬉しいんだけど……」


「気にしないでくれ、前々から来てみたかったしさ。それに、俺も今日は暇を持て余していたんだ、丁度良かったよ」


 気まずく鞄を持ち直した要は、チラリと眼前に座る少年――近江龍一郎を見やった。


「そうじゃなくって……」


 ……その事実が如何に厄介かつ誤解を生みやすいかを理解していない風で、少年は物珍しげに店内を見渡した。キャラメルとコーヒーの香りが店内を満たし、花ヶ岡の制服を纏う女子生徒が二人、店奥で楽しげに雑談していた。


「視察しといてくれって、に頼まれていたんだよ。あぁ、やっぱり喫茶店と併設しているんだな。何を注文する? 教えてくれたら、席まで持って行くぞ」


 彼女、という単語がグサリと要の胸を突き刺す。どうにも龍一郎と自身との間に感性の不一致が横たわっている事を悟り、ここはおくしかないと踏んだ。


「じゃ、じゃあストロベリーとキャラメルで……」


「おう。じゃあ好きなところに座って待っててくれ」


 言われるがままにを探す要だったが、今はなるべく人目に曝されない箇所を求めるばかりである。果たして例の花ヶ岡高生達を避けるように、化粧室のすぐ傍へと落ち着いたが……。


「こ、これじゃトイレ行きたがりみたいな感じじゃん……」


 友人と飲食店に行けば「すぐ用を足せるから」とトイレに一番近い席ばかりを選ぶが、今日に限ってその癖がどうにも恥ずかしい。遠目に龍一郎が店員に注文しているのが確認出来た為、慌てて要はドーナツ代を用意する。だがそのまま小銭を出すのも憚られたので、和紙で出来たメモ用紙を一枚破り、手早くポチ袋を折ってその中へ納めた。


 ……もしお金をお返しする事がありましたら、必ず小袋に入れてお返しなさい。いわゆる裸銭はいけませんよ――。


 小学生の頃より母親から口酸っぱく聞かされていた要。狼狽の中でも手が動く程に、最早習慣へと昇華した。


「……あっ」龍一郎がトレーを受け取った瞬間、要は飲み物を頼み忘れていたのに気付いたが――。


「悪いな、席を取って貰って。飲み物なんだけど、勝手に選んじまった。アイスコーヒーと……、友膳さんはバナナの方かな?」


 さも当然かのように、龍一郎は要の分も飲み物を注文していた。それも――要の好物であるバナナ飲料を。


「なっ、何で知ってんの? 私がバナナ好きだって……」


 だってさぁ――龍一郎は照れ臭そうに笑いながら、要の選んだドーナツをテーブルに置いた。


「購買部で見掛ける時、いつもバナナミルク買っているだろう? 違ったか?」


「……違わないです」


 バナナ女は俯くも、気の利く少年は全く意に介さず、アイスコーヒーを一口飲んだ。


「……さて、とりあえず食べよう。食べるもの食べてから――」




 今日の話を訊かせてくれ。




 一年生代打ち、近江龍一郎は微笑んだ。




「なるほどな」アイスコーヒーを半分程飲み終えてから、龍一郎は困ったように天井を見つめた。一方の要は今日の出来事をすっかり語り終えた為か、疲労と安堵が入り混じる表情で――。


「だからさ、代打ちの人は凄いなって思ったんだ。そこに近江君が来てくれたから……まぁ、こんな感じになっているけど」


 チュー……と微かな音を立て、大変に美味なバナナセーキを吸う要。「また来よう」と心に決めていた。


「別に凄い事をしている訳じゃないが……あぁ、いや。それなりに凄いというか……何て言うんだろうな」


 しばらく首を捻っていた龍一郎は、良い言葉を思い付いたのか、視線を照明から要に戻した。


「俺達は、代打ちは……考えないようにしているんだよ。依頼者の事も、相手の事も。少なくとも俺はそうかな。鬼のように、唯、前の事を……だ」


「じゃあ、近江君は闘技だけを考えて、代打ちに?」


「まぁ、そうなる。前にあった代打ちなんだけど、どちらの言い分も正しく思えたんだ。俺は片方に着き、勝ち、相手の意見が正しくないと断じた。のさ」


 店内に流れる音楽が変わった。微睡むような、ピアノの音で満ちた柔らかな毛布に何処までも沈んで行きそうなジャズだった。


「教室を後にした時、中から負けた方を詰る声が聞こえた。『それ以上責めるのは止めろ』、そんな事を言う権利は無い。何たって、俺が闘技でそう決めたからだ。罪を憎んで人を憎まずとは言うが……まぁ、大抵は人を憎むよな」




 憎むべきは罪を犯した者に非ず。罪そのもの也。


 孔子、イエスと古の哲人聖人が唱えて来た以上の格言は、距離も時代も大きく違っているにも関わらず、非常な相似を示している。漠然と日々を過ごす人間より数倍も、数百倍も人生について考え抜いた二人が異口同音に語る格言からは、当時から「人間は人間を憎む」ように造られている事を意味する。


 彼らのような伝説的人物ですらが注意するのだから、それこそ恨みの種など辺り一面に転がる現代を生きる――それも多感な時期を過ごす花ヶ岡高生が、札問いという摩訶不思議のシステムを利用し、「私が勝った、アナタが負けた。けれどアナタの事は責めない」と超然の判断を、一体何人が下せるだろうか?


 札問い後の関係悪化について、過去に一人の目付役が秘密裏に調査した記録がある。ある年の四月から来年の三月まで、調査件数は五〇件。勿論、目付役本人が「あれからアナタ達は仲良し? それとも絶縁?」と訊ねる事など不可能なので、主観的、もしくは他人の噂から良化、維持、悪化、不明を判断した。


 良化、六パーセント。


 維持、二七パーセント。


 悪化、五五パーセント。


 不明、一二パーセント……。


 半数以上が「札問い後に関係が悪化した」という結果に、当初賀留多文化の一切を預かる金花会に混乱が生じた。賀留多によって白黒ハッキリ付けた為に、灰色の関係を全て破壊し、大抵を友情解消へと向かわせたからだ。他方、札問いによって窮地を脱した生徒も少なくない事から、調査報告書は余計な波紋を呼ぶとして、金花会の書架に埋められていた。

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