第10話:資格無き打ち手
一から一〇までの数価を描いた札を各四枚ずつ――計四〇枚を一組とする《株札》には、実に多くの技法が存在していた。していた、という表現が相応しい理由としては、全く単純で明快、「古くから打たれていた」為だ。
版籍奉還以前、諸国の間を行き来する事自体が困難な時代に、株札は絵柄を少しずつ変え、全国に確実に広まっていった。どれ程関所を設けても、門と刀の隙間を通り抜け、風のように「面白い札遊び」は伝播していく。その人が楽しいと感じたものは、他の人に愉楽を伝えたいのが性である。
その賀留多を使う人が多ければ、また使用期間が長ければ長い程……自然とバリエーションは増えていく。誰もが触れた事のある六面体、サイコロを例に挙げれば分かりやすい。互いにサイコロを振って、相手より目が大きければ勝ち――こんなルールだけで満足するのであれば、人類はかのような高度文明を築く事など不可能である。
物足りなさ……。一時の慰みにすら贅沢を求める者がいたからこそ、双六が、バックギャモンが、クラップスが、丁半が、チンチロリンが生まれていった。現状への不満こそが、遊戯を、更には住環境の向上をもたらした。
《おいちょかぶ》という語を一度でも聞いた事のある者を捜すとしたら、恐らく一〇分と経たずに遂行可能であろう。名が知れる為には、その技法が長年積み重ねてきた実績が肝要だ。
《おいちょかぶ》は未だハッキリとしない産声を上げたその時から、博徒をはじめ多くの人々に愛された。愛されるには人間と同じで、明確な魅力を備えている。例えばそれは「面白さ」であったり、「技術と運の配分」であったりした。
かつて賀留多が娯楽の一角として君臨した時代……株札の活用法は、きっと地域の数だけあったに違い無い。中には出来役の点数が違うだけのものもあっただろうし、手順の最初から最後まで、丸きり別物だって存在したはずだ。
生命の黎明期、奇妙奇天烈を極める海中のように、株札の技法は生まれては死にを繰り返し、やがて生き残った少数の精鋭が、現在我々の前に「古の遊び」として確立している。
一見は古ぼけてカビ臭い遊び方が、何故に現代まで伝えられているのか?
至極明快、その技法で勝利するには「運気」が必要だからだ。
ゲームを作る上で、技術と運の配分は霊薬の調合に似ている。技術に重きを置けば熟練者の独壇場となり、新参を呼び込むのに一苦労する。一方で運の比率を上げてしまえば、最早そのゲームを選んで遊ぶ理由は無くなり、じゃんけんでもコイントスでも何でも良くなってしまう。
遊ぶ程にコツ――残りの札を読んだり、理論は無くとも真理めいた何かと出会ったり――を掴み、そのコツを胸に留めれば勝率が多少上がる……。遊んだ事が無くとも、ルールさえ分かっていれば多少でも熟練者に勝つ好機がある……。
一〇〇回続けて勝っていても、一〇一回目には敗北をするかもしれない。
一〇〇〇回続けて負けていても、一〇〇一回目には勝利を掴むかもしれない。
明日の食い扶持を稼ぐ必要が無くとも、《おいちょかぶ》にはあの日、一寸先の暗中に手を突っ込み、一貫文か毒蛇を握ろうとする博徒の焦燥を追体験出来る力場があった。
一〇月一三日、水曜日。一六時五二分。
友膳要はクラスメイトの成世織子からの依頼を受け、一年三組の江藤海杜と《おいちょかぶ》にて札問いを行い、敗北した。
五本先取という異例の方法ではあったが、金花会から派遣された目付役の承認と立会は受けていた為、正式な闘技結果として、彼女は江藤少年に敗れたと記録された。
負けは負け、と言ってしまえばそれまでだが――終始、要らしからぬ札の運びとなった。表情こそは神妙であったが、親手であれば友人達ですら首を傾げるタイミングで突っ掛かり(花ヶ岡高校では《途中勝負》をそう呼んだ)、あえなく返り討ちに遭う。また子の時は「
普段であれば絶対に仕損じないシチュエーションで、要は決まって悪手を選び続けた。なかなか良い目が入って来ないと苛立ち始めて数局後、江藤の《クッピン》にて札問いは終了と相成った。
小さな要因で、未熟者が熟練者に打ち勝つ――《おいちょかぶ》の醍醐味を自ら体現し、また体験したのである。
当初の目的通り「江藤に負けてやる」事は達成出来たのだから……と、要は無理矢理に納得し、目付役の累橋に元気良く一礼、俯く江藤に祝いの言葉を述べた。早希と京香が慌てて後を追おうとするも、要は「ごめん、お父さん迎えに来てんだよね!」と謝りながら駆け出すと、制止する声も聞かず、廊下を一息に走り抜ける。
やがて速度を緩め、荒い息をなだめるように咳払いをした。一度振り返り、誰も追って来ていない事を確認すると、彼女は笑み、モタモタと歩き始めた。特段催してはいなかったが、目に付いたトイレへ入ると、乱れた髪を手櫛で乱暴に梳いた。
大きな鏡を見つめ、両目を大きく見開いた。右に左に動かし、目元に左手で軽く触れた。鏡の奥で虚ろに笑む自分を確認した彼女は、「大丈夫じゃん、私」と頷き、トイレを後にした。
「よう、友膳さん。帰るところか?」
一年四組の男子生徒――近江龍一郎と鉢合わせしたのは、それから間も無くであった。
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