第7話:不機嫌な要ちゃん

「……」


「要ちゃん、何でそんな怒ってんの?」


「……」


「要さん、もし悩みでもあれば私達に聞かせて下さい」


 朝からブスッと口を尖らせ、うろんな目付きで黒板を睨め付ける友膳要。彼女の事など放って置けば良いものの、随分と世話を焼いてくれる友人達は、万年をお気楽に過ごす(少なくとも入学時から)要の異常に首を傾げていた。


「…………今日」


「今日?」


 ようやく口を開いた要。トレードマークのシニョン的部位からも、二本三本と毛が飛び出している。余程に諸々のコンディションが悪かった。


「今日って……何曜日……」


 顔を見合わせる早希と京香。「です」と京香が微笑み答えると――。


「うぉわぁっ!?」


 机と椅子を同時に倒しながら、要は器用に教室の床にへばり付いた。死に掛けのスライムじみた動きに周囲は騒然となったが、本人はスカートが捲れないよう右手で掴んでいるのが憎たらしい。


「な、何!? 何なの要ちゃん!? キモいんだけど!」


「……嫌だ」


「はい?」


「嫌だ、嫌だ……!」


 京香に抱き抱えられるようにして立ち上がる要は、何とも無様な顔で駄々を捏ね始めた。それも――阿呆のように長々と。


「嫌だ嫌だ、嫌だよぉ! 今日はサボって死ぬ程遊ぶつもりだったのにぃ! あんのクソ親父、なぁーにが『娘が虐められている! だから学校をサボるんだそうに違い無い!』だよ! 平和に暮らしてんだっつぅーの! たまには学校サボったって死にやーしねぇーだろぉ!? ってかさぁ、お母さんもお母さんなんだよぉ! 『お父さんをご安心させなさい! 第一友膳家の娘が学校をサボタージュするなど言語道断です!』とかさぁ! 女子高生なんて保健室でサボってスマホ弄って――」




 昼休みである。今日も一年七組の生徒は彼方に此方にと机を動かし、室内はの体を為していた。相変わらずの仏頂面で昼飯を食らう要に対し、早希と京香は最早構う事も心配する素振りも見せなかった。


「今日……成世さんはお休みなんですね」


 黒豆を一粒一粒、丁寧に箸で摘まみ上げては口に運ぶ京香が顔を上げる。成世の机横には鞄が掛かっておらず、妙な静けさが包み込むようだった。


「アレじゃない? 札問いするから嫌なんじゃない?」


 早希の予想通り、成世は将来を約束した江藤少年との札問いに心を痛めていた。代打ちを依頼した本人は学校を休み、嫌々打ち場に引き摺り出された自分が登校する……その不条理さに要は憤慨していた。


「成たん狡いって! せめて『代打ちありがとう、お菓子食べる? ジュースとか飲む? 宿題写す?』くらいさぁ、何と言うかさぁ!」


 ムキィーッ! と狂った猿よろしく、一尺程もある納豆巻きに要が食い付いた。二粒、彼女の机に向かってヘリコプターから降下する兵士さながら、スルスルと糸を引き、着地した。


「ところで、江藤さんは知っているですか? 要さんが登校されている事……」


「あぁ、さっき言って来たよ。『君に迷惑を掛けて申し訳無い』だってさ」


「そんなの、なんぼでも迷惑掛ければ良いのにねぇ……」


「早希ちゃんはどっちの味方よ」


 要が残り一口まで納豆巻きを平らげた頃、「あっ」と早希が目を見開いた。決してヘリボーンに成功した納豆を、要が肘で潰した事に対するものではない。


「江藤君、良いって言っていたの? 株札知らないんでしょ?」


 本来であれば、今日の札問いは要の病欠(嘘)によって一旦休止となり、次の予定が組まれる前にあの手この手で成世の怒りを鎮め、晴れて要は代打ちの大役から逃げおおせるはずだった。


 しかしながら本日――要はキチンと登校しており、江藤少年との札問いは、放課後に滞り無く催される運びとなっている。要が今回の札問いを欠席したい理由は二つあった。一つは「面倒臭いから」。もう一つは――。


「流石にさぁ……株札一切知らない人と打つのは、私も気が引けるというか……」


「それに、一応は成世さん達の未来を決める闘技ですものね……」


「じゃあ江藤君に教えてあげれば? せめて打てるくらいには」


 早希の提案に要がかぶりを振った。


「『俺は大丈夫だ』って。『全部引っくるめて、乗り越えてみせる』とさ」


「……アニメかな?」


「はぁーあ……」果たして納豆巻きを胃に収めた要は、天井の照明をボンヤリと見つめた。


「代打ちって、ね。もっと気軽なものかと思ったよ」


「そうですね……」京香の表情が少しだけ曇る。


「代打ちをする、というのは、闘技に勝っても負けても、ですから」


「そう考えるとさぁ、ずーっと代打ちやっている人達って凄いよね」


 早希の言葉で、要の脳内に一年生の代打ち――がふと浮かんだ。


「代打ちを行う方々は、ある意味で善悪を超越した……日常は日常、闘技は闘技と切り分ける事が出来なくてはなりませんね」


「だよねぇ……。私なんて、言い値で動くだと思っていたもん。暗い部屋でさ、『今日はアイツを仕留めてくれ』とか書類が渡されてさ、アタッシェケースに花石がズラリみたいな」


「映画の見過ぎですね……」


「うん、ぶっちゃけ『代打ち始めます!』って時期、むっちゃギャング映画嵌まっていたもん」


 手前勝手なイメージを「代打ち」という存在に当て嵌め、無謀な幟と共に集客を開始した結果、成世のような少女を引き寄せてしまった事に対し、要の口から溜息が連続して飛び出てくる。


「とりあえず放課後は行かなきゃ、要ちゃん。多分……というか絶対勝つだろうけど……江藤君には申し訳無いけど……」


「私達も見守りますから、ねっ」


「…………うぃーす」


 実にゆったりとした動作で手を挙げる要。数時間後に迫る面倒事が次第に……現実感を以て彼女の背後から、一歩、また一歩と歩み寄っていた。

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