第6話:サボる女
部活動——高校生活を送る上で、楽しくエネルギッシュな毎日を求めるのであればこれ程手軽な文化は無い。顧問の教員は勿論の事、数多くの上級生が、諸々に対して分け隔て無く知識やコツを授けてくれる。
「長かった……! 俺達はどれ程君のような女子を待ち焦がれたか……!」
そして要は青く美しい春を生きる中で、かのような刺激的生活を求めては——いなかった。
「は?」
「とりあえず、友膳さんには今日俺達の練習を見てもらって、野球ってのはこういうものだと理解して欲しい!」
「は?」
不意に訪れた一年生の女子生徒。落ちた洗濯物を拾い上げてくれただけでなく、丁寧に畳んで部室にまで入ってくれた。という事は……!
小屋にひしめく少年達は、きっと要が「マネージャー希望」の生徒であると断じていた。全国に名を轟かせる強豪校の中には、例えば恋愛禁止、例えば女子マネージャー禁止といった鉄の規則が存在する。花ヶ岡高校硬式野球部では――そのような枷は無かった。
「あぁ! そうそう、マネージャーと言ってもね、俺達も手助けするさ! 洗濯もそうだし、スコアの付け方も付きっ切りで教えるし、遠征の時はバスの座席も一番に選ばせて——」
「いやいや」呆けた顔の要が言った。
「入りませんけど?」
「ん?」
部長がにこやかに首を傾げる。若干唇が青くなった。
「だから、私は入りませんって。マネージャーとかめんどいし」
「部長ぉ!」
数人の部員が駆け寄り、フラリと倒れ込む部長の身体を起こした。
「……ジュースのセンスが無いからか?」
蚊の鳴くような、もしくは枯れ葉の擦れるより小さな声だった。アワアワと動く口は、さながら死戦期呼吸の如しである。
「バナナミルク好きですから、センスは及第点じゃないですか?」
「だったら……!」
「私、どの部活も入んない事にしてんですよ。忙しいし」
ざわめき出す部員。何人かはスマートフォンを取り出し、「せめて連絡先でも」と足掻き始める。但し、要はスマートフォンを取り出す素振りは見せない。彼女の両目を通せば、部員達は喋るジャガイモに過ぎないのであった。
「……ならば、ならば! 俺達を見守ってくれるだけでも良い! ベンチから声を出してくれ、『ファイト!』と!」
「そんなマネージャーヤバいでしょ」
要の正論程に腹が立つものは無い、早希はいつの日かそう言った。問題の部長は囚われた宇宙人のような格好で、プルプルと震える両足で何とか立っていた。
「忙しいって……何で忙しいんだよ!」
「いや、勉強と習い事」
「習い事? 習い事って——」
「習字と華道」
再び部員達が耳打ちを始める。「金持ちなのか?」「お嬢様でギャルかよ」などとあちらこちらで聞かれた。
「そ、それじゃあ友膳さんは……何の為にここへ来たんだよ!?」
「江藤君っています? 見当たらないなぁって思ったんですけど」
江藤だと……!? 一人の部員がワナワナと持っていたペットボトルを握り潰した。
「江藤はまだ来ていないが……何だい友膳さん、もしかして奴に差し入れを——」
「いや、コレっす」
ヒラリと取り出したる一葉の手紙。部長以下全部員は眼球が零れ落ちんばかりに目を見開き、顎が外れたのか口がポッカリと……落下した。
時に、偶然とは恐るべき「無垢な悪意」を孕んでいる。要が江藤少年に手紙を届けに来たという事実か判明した瞬間(内容は未だ明らかとなっていないが)、部室の扉が外から開かれた。
「お疲れ様です——どうしましたか部長?」
「江藤……」
事情の一切を知らない彼は、しかし不幸にも部員達に取り押さえられ——。
「訳を聞かせろ江藤おぉぉぉ!」
「いだっ、いだだだだだだっ! やめろお前ら、何だよ一体、何が起きてんだよ!?」
境遇を嘆く江藤の叫びが木霊した。
「そうか……アイツそこまで……」
「うん、むっちゃ怒ってっから」
十分後、江藤少年の止ん事無き事情をようやく理解した部長達は、彼とメッセンジャーガールの要にしばしの時間を与えた。二人が「憤怒のフィアンセ」について話し合っている間、やたらと野球部員は近くをランニングしては、聞き耳を立てるように掛け声の声量を抑えた。
江藤は恨みつらみが満載された手紙を読み終え、潮垂れた様子で溜息を吐いた。
「すまない、友膳さん。織子の為にこんな事に巻き込んで……」
「いや、ほんとね」
歯に絹着せぬところが彼女の長所(自称)であった。
「確かに俺達は将来を約束した仲だ。高校生にありがちな、すぐ運命を感じてしまう病でもない……心底、俺達は愛し合っている。だからこそ、こんな事が……」
「ねぇ、困るねぇ。私も心配だもーん」
本音と建て前、という言葉があるが、要の場合は建てた戸に壊滅的な大穴が空いていた。それでも純朴な高校球児の江藤は怒るどころか、要のボロ戸にいたく感激し、
「織子は良い友人を持ったんだな……多少は安心したよ……」
などと微笑むばかりであった。
「それじゃあ明後日の水曜日ね、確かに渡したよ――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ友膳さん!」
うぇー……と実に嫌な表情で振り返る要。手紙を渡せば任務終了、という訳では無さそうな展開に思わず、の相貌である。
「この《おいちょかぶ》ってのは……やった事が無いぞ?」
不幸な事に、江藤少年が引き摺り出された札問いでは《おいちょかぶ》が採用されていた。正確には「申し込まれた」段階の為、金花会に「その技法は習熟していない」と訴え出れば、その札問い自体が無効となる。
『その札問いに採用される技法は、当事者もしくは代闘者が一定の習熟を自負するものに限る』
目付役が頭に叩き込んでいる典則の内の一文だった。「自負」という文言がミソであり、突き詰めれば「私は《こいこい》などやった事が無い」と言い切るだけで、殆どの札問いから逃げる事が可能であった。
当然、そのような生徒は常識知らずとして、その後の花ヶ岡生活を送る羽目となるが。
「花札は出来る、野球部で打っているから……。でも、この、《おいちょかぶ》は株札を使うんだろう? 俺、株札なんて――」
「そんな事言ったって、おたくのフィアンセが『《おいちょかぶ》で倒して!』って言うもんだから……」
「それに俺の相手は――友膳さん、君だ。君は……バットの握り方すら知らない相手にカーブ、フォーク、シンカーと変化球を投げ込む人なのか?」
「いやぁー……」
その実、勝つ為なら変化球はおろか大リーガーまで呼んで来るのが要である。全力で相手を叩きのめすのが礼儀と、敬愛する三年生から学んでいるのもあった。
「……俺は明後日の代打ちで負けたら、織子と別れなくてはいけない……」
「えっ、そんな事書いてあったの? フィアンセなのに?」
将来を約束し合った仲のはずが、多少の擦れ違いから破局に繋がるとは、流石の江藤少年も予想外であったようだ。
「それ程までに彼女は怒っている――いや、真剣に考えているんだ。俺達の未来を、将来を、墓に入るまでを……!」
俺は無力だっ……! 江藤は叫び、手紙を握り締めて地団駄を踏んだ後、天上に向かって両手を広げた。どうにもドラマチックな感情表現を好むらしかった。
「織子……俺はどうしたら良いんだよ……!」
オイオイと泣き出す江藤。傍目からすれば要が彼の告白を断ったシーンに映るだろう。ここで困るのは要である、如何にして逃げ出すか、否、素敵な着地点を見付けるかが鍵となる。
腕を組み、目を閉じて三秒が経ち――熟考の末に彼女は手を打った。
「そうだよ江藤君!」
「……何を――」
「不戦勝したら良いんだよ!」
不敵な笑みからのウインクは、初心な少年の頬を少しだけ……朱色に染めた。
「よっし、私ね! 明後日は――学校をサボるっ!」
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