第5話:オスの楽園

「えーっと野球部野球部、と……」


 翌週の月曜日。義理堅い友膳要は手紙――或いはを届ける為に、江藤海杜の属する野球部の部室を訪ねていた。なお、大切な友人である早希と京香は、一足早く靖江天狗堂へ向かっていた。決して面倒臭いからという理由ではなかった。


「ったく、着いて来てくれても良いのになぁ! てか、案内図無いんかこの部室棟は。まぁ良いや、誰か捕まえよう」


 本校舎のすぐ傍、四階建ての部室棟では、特に放課後は大量の部員達が渦巻く。殆ど教員も立ち入らず、良くも悪くも「無法」の格好をしている為に、授業を受けている時よりも生徒の活気は数段上だった。


「ちょっとすんませんけども」要の呼び掛けに応え振り返ったのは、大きな風呂敷を背負いやたらと厳しい目付きの女子生徒だった。要と女子生徒は互いに上靴を一瞥する、同学年であった。


「野球部の部室って何処か知っている?」


「野球部」


 実に鋭利な眼光からは予想出来ない程の高く、また可愛らしい声で風呂敷の生徒は窓の外を指差した。


「部室棟の外、白いプレハブ小屋が野球部の部室だよ」


「プレハブぅ?」眉をひそめた要。女子生徒と共に窓から顔を出すと、劣化の目立つ小屋が寂しげに建っている。洗濯済みのアンダーシャツが物干し竿に揺られ、その内何枚かは地面に落ちていた。


「何で部室棟に野球部が入っていないんだろうね?」


 女子生徒は小首を傾げ、「恐らくだけど」と風呂敷を背負い直した。


「今でも花ヶ岡は女子校の名残を残しているでしょ? どうしても男子ばかりの部活は、立場が弱いというか、何と言うか……。詳しい事は分からないけど、あんまり部室棟の中で見掛けないよ」




 果たして風呂敷の女子生徒と別れた後、「そういや名前訊いていなかったわ」などとボンヤリ考えつつ、プレハブ小屋を要は目指した。


「風が強いなぁ今日は」


 生活指導の教員の目を掻い潜り、毎日スカート丈の長短でチキンレースに参加している為、強風の日は刺激的な下着が露出する危険性があった。「じゃあスカート短くしなけりゃいいんじゃないの?」と以前早希に指摘されたが、要は大きく胸を反らして「見えそうで見えない。その境界で綱渡りするからファッションなんだよ」と答えた(五秒後、教員が彼女の首根っこを掴んで職員室へ向かった)。


「よっせ、っと……」


 小屋の傍で枯れ葉のように横たわるアンダーシャツを拾い上げ、土埃を払って手早く畳んでいく。この一手間が女子力を向上させるのだ……彼女はそう信じていたし、母親の躾が落ちた洗濯物を放って置かなかった。そして――。


「あっ…………?」


 要の背後で一人の野球部員が立ち尽くしていた。青々とした坊主頭は華々しい高校に浮き立つようだった。


「じょ、女子が……俺達のシャツを…………?」


「は? あぁ、落ちていたんで」


 パクパクと部員は口を開閉する。飢餓と酸欠に喘ぐ金魚の如しであった。


「はい、折角洗ったのに汚れちゃいますよ」


 そのような反応は一切意に介さない女、友膳要。畳み終えたシャツ四枚を少年に手渡すも、受け取る砂に汚れた手が小刻みに震え出した。


「ど、どうして部室の近くに……ま、まさか――」


「バレました? 実は私――」


「待っていてくれ、ほんの少しだけ!」


 要が皆まで言う前に部員は駆け出し、小屋の扉を破らんばかりの勢いで押し開け、何かを叫んだ。途端にガヤガヤと中から声が聞こえ、「パリン」「ガシャン」と物体が壊れる音すら響いた。


「片付けろ! それもだ、早く早く!」


「馬鹿野郎、そんなもん飲む訳ねぇだろ! 洒落たやつ買って来い今すぐ!」


「アレ出せアレ! アレだよ、ペンと届出の紙!」


 天地を逆さにしたような騒ぎを聞きながらも、我関せずとばかりにアプリゲームのデイリーミッションを的確にこなしていく要。間も無く扉から先程の部員が飛び出して行った。しかし彼女は気にしない、来週に開催されるイベントの方が重要だからだ。


 狭い小屋での東奔西走が終わったのは二分後、おずおずと出て来た部長が要を招いた。


「お待たせして申し訳無い、ええと……」


「友膳です」


「友膳さん、とりあえず部室へ入ってくれ。野郎ばかりで汚らしいが、全力を尽くしたつもりだよ、ハハハ」


 日に焼けた肌の隙間で輝く白い歯は、だが要の心中に特段の感情をもたらさない。早く用事を済まして帰りたい、というか何で私が《代打ち》をやらなくてはならないのか? その一心だった。


「失礼しま——」


 ようこそ野球部へ! 野太い声が見事に揃い、一年生の少女を大変に歓迎した。さながら上客を迎えるホストクラブのようであった。


「俺は部長の桂條、二年生! 三年生はとっくに引退したから、ここにいるのは来年も所属する一年二年だけさ!」


「え? あぁ、そうなりますね」


 勧められるがままにパイプ椅子へ着席する要。「ギヒィ!」と強烈に嫌な音がした。表面は汚れていなかったが、

椅子自体の耐久性は随分と落ちているらしい。彼らが女所帯の生徒会から受ける切ない仕打ちが見て取れた。


「すいません部長、買って来ました!」


「遅ぇ遅ぇ! お待ちかねなんだぞ!」


 矢のように小屋へ飛び込んで来たのは先程の部員である。ガサガサとレジ袋は揺れ、また彼の肩も激しく上下していた。


「友膳さん、好きなものを飲んでくれ。何だったらお土産に持って帰ってくれ!」


 次々とテーブル(飲み物の染み、食べカスの為か薄汚れていた)に並んでいくペットボトル、紙パックをボンヤリ眺める要。事態が上手く飲み込めていなかった。


「さぁ、さぁ!」


「じゃあバナナミルクで。頂きまーす」


 数人の男子がニヤニヤと要を見つめていたが、必要とあらば衆人環視の前で腹踊りも辞さない彼女は恥じらう事無く、チューチューとバナナミルクを吸いまくる。子孫繁栄を目論む蚊の如しである。


「……何か、良い匂いするな」


「やっぱり女がいると匂いが……」


「おい、結構ぞ……クフフ」


 下品な囁き声が聞かれたが、要は尋ね人——江藤少年の姿を捜している為に耳へ入って来ない。


「あれぇー……何処にいんだ?」


「えーっと、だな」部長が顔を赤らめ、何かを言いにくそうに首を捻った。


「その、今後なんだけどさ……くっ!」


 摩訶不思議にも、実に辛そうな表情を浮かべ、部長は視線を正面から他所に移した。要が無意識に足を組み替えた故である。


「その、スカートを短くするのは……部員達に悪影響が……」


 キョトンと要は部長を見つめる。何の関係も無い自分が何故野球部からスカートの丈を咎められるのか? 理解不能であった。


「部長さんって、風紀管理部の人ですか?」


「いやっ、野球部の部長……だけど……」


「マジ? じゃあオッケーですね。私、こう見えても結構足に自信あるんですよねぇ!」


 そんな事を聞いていないと言わんばかりに目を細める部長は、しかし悲しき男の性が視界を要の両足に向けてしまう。背後の部員達は当然のように、雨霰のような熱視線を要の身体に注いでいた。


「と、とにかくだ! 早速書いて貰うよ、おい書類!」


 お願いします! と、買い出し要員の部員がペンと一枚の紙を持って来た。辿々しく要が読み上げていくその書類には――。


「にゅ……う……ぶ…………?」


 入部届。最上段にはそう書かれていた……。

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