第4話:はじめてのだいうち

 その日の晩。要は夕食もそこそこに私室へ戻り、塵一つ無いデスクにグッタリと項垂れていた。


「参ったなぁおい……」


 あぁーあ、と父親から貰ったエルゴノミクスチェアをギシギシ鳴かせ、要は思い切りに仰け反った。何の対策もせずに当日を迎える浪人生よろしく、何もかもを放り投げたい程の億劫さがあった。


「なぁーんで私がやんなくちゃなんねぇのかなぁ……」


 閉じたドアをノックする音がした。愛する娘と並んでランチュウを鑑賞しようと企む父親であった。


「かーなーめ。起きているか?」


「まだ八時じゃん、寝てる訳ないし。何さ」


 キィ……と遠慮がちに開いた扉の向こうで、実ににこやかな父親が手招きした。


「父さんとランチュウを見ないか? 有名なブリーダーから取り寄せたんだ。ようやくトリートメント期間を終えて、昨日我が家に――」


「パス、私疲れてんだもん」


 素気ない娘の対応に、しかし父親は黙って引っ込みもせず、一枚のチケットを隙間から要に見せ付けた。


「『何でも付き合う券』、今年分のがまだ残っているぞ」


「…………もう、ちょっとだけだよ」


「流石だ要! 現代の藤蔭静樹ふじかげせいじゅだ! いや、美貌はそれ以上かな!」


「分かんないってそういう例え! ってかさ、すぐに美人とか可愛いとか言うの止めてくんない!? 恥ずかしいんだけど!?」


 気乗りしない彼女を椅子から立ち上がらせる紙片、《何でも付き合う券》は、毎年父親の誕生日に発行する一二枚綴りの「プレゼント」だった。特別の事情が無い限り、発行者である娘は食事、話し相手、親子デートの相手と多岐に対応しなければならない。


「自分の娘の美貌を誇って何が悪いんだ、父さんと母さんの血を受け継ぐお前は姿を極め――」


「貴方、貴方」遠くから母親の声がした。


「貴方の金魚、何処となく辛そうですよ。大分に具合が悪いみたいで」


 えっ、と一声発した後、父親は紙のような顔色でランチュウの方へと駆けて行った。一人取り残された要はニンマリと笑み、父親に聞かれないよう部屋へ戻った(チケットは隠密に処理した)。


「よっこい……せぇー……と」


 ベッドに寝転び、ムニャムニャと口を動かす要。殆ど悩む事の無い彼女が珍しく頭を捻る時の癖だった。


、しなきゃ良かったなぁ……」


 数週間前――要は風の噂で「《代打ち》は稼げるらしい」と聞き及び、止める早希と京香の腕を振り切り、株札専門の《札問い》を担う事と決めた。花ヶ岡において代打ちを務めるのであれば、特段の承認も資格も必要無い。「今日から私は」と宣言すれば、誰でも一秒後には代打ちデビューを果たせる。


 ところが友膳要はひと味違った。《姫天狗友の会》なるが存在する今、実績も知名度も無い自分が「今日から代打ちを受け付けます」と手を広げたところで、俺が私がと依頼者がやって来る訳も無い事実に気付いていた。


 他人に無くて自分に有るもの。


 それはであった。要は学校祭で使われていた幟を拝借し、「来たれ若人よ」と筆で認め、玄関ホールで放課後に宣伝を行った。なお、この宣伝活動は全く効果を出さず、二八日後には自ら幟をへし折る事で「代打ち活動」に終止符を打った。


 徒に時間を浪費し、彼女に株札を教えた三年生の萬代百花からは「株札のイメージがもっと悪くなるから止めてくれ」と言われ、挙げ句の果てには成世織子のようなまで引き寄せる始末に……流石の要もアンニュイに眉をひそめる。


「はぁーあ……」


 青い鳥が逃げ出しそうな溜息を吐き、デスクの方を一瞥する。成世から渡された「果たし状」が置かれていた。




 これ、カー君に月曜日に渡して! 水曜日なら私は、多分あっちも空いているから……! もう良いんだ、もう良いんだ私! カー君とどうなっちゃっても良い!


 こうなったら私ね、カー君にどうしても謝って――あれ、今……友膳ちゃん、欠伸噛み殺した? していない? そう?


 とにかくお願いね! お礼の花石なんだけど、私、今花石が六〇個あるんだ! それともう二ヶ月分、四〇個を友膳ちゃんに渡すって約束する!合計一〇〇個、良いでしょ、良いでしょ? 良いよね!?


 それとね、闘技は《おいちょかぶ》にしといたから! カー君は出来ないけど、友膳ちゃんは強いよね? ってか株札しか打てないんだっけ? 不思議だね。とにかく、良いよ、もうルール教えないでも良いからとにかく倒して!




 靖江天狗堂での会話がふと……思い出された。「打ち方すら教えないのは如何なものか」と首を捻った要だが、懇願――というよりは脅迫に近い眼力で迫る成世に圧され、「頑張ってみる」と答えたのが運の尽き、果たして彼女は大した思い入れも無しに代打ちを引き受けたのである。


 他人にあって自分に無いもの。それはごく単純なであった。

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