第2話:恐るべきフィアンセ
昨日の天気が嘘のように晴れ渡った金曜日の朝、要は「おいっす!」と何処かのコメディアンのような挨拶をしつつ、早希と京香の前に颯爽と現れた。
「よく風邪引かなかったね、あんな写真送られてきたら『あぁ、明日は死んだな』って思ったもん」
「ブラジャーのストラップも透けていた気が……真っ黒のやつが……」
「まぁ正直なところ、私も『明日はヤバいかなぁ』って思ったんだけどもね、お風呂入ってアイス食べてストレッチして、ネットでドイツ語勉強してたら全然イケた!」
あぁ、やっぱり馬鹿は風邪を引かないんだな、そして後半は嘘だろうな――胸の内から湧き出た言葉をグッと飲み込む友人二人。何はともあれ要が登校して来た事で、予定していた金花会での博技参加は叶う運びとなった。
「っつー事で、今日も要ちゃんは元気だから、良かったね二人共!」
鞄を机の横に提げ、毎朝の日課である電子書籍を読もうとした矢先、すぐ近くの席でシクシクと泣いているクラスメイトを認めた。例のメロドラマに出演していた成世織子である。
「うぅ……クスン……」
何で泣いているんだろ? ガチャでも外れたのかな……要は大きな目をパチクリとさせた。昨日の出来事は綺麗に忘却していたのである。
「さぁーてと、今週の世の中の動きはどうなっとるかなぁ」
「ヒック……クスン……」
成世が立ち上がり、一歩要の方へ歩み寄った。
「ほほぉ、半導体が足りないからゲーム機も作れないんだねぇ。あれ、京ちゃんも買いたいんでしょ、このゲーム機」
「えぇ、あまりゲームはしないんですけど、昔大好きだったソフトがリメイクするらしく……予約合戦です」
「シクシク……ぐすっ……」
また一歩、成世との距離が詰まった。
「金花会で大会があればなぁ、『《おいちょかぶ》大会の優勝賞品です!』的な。すーぐ私が獲って来てあげるのに」
「そりゃあ無理でしょ。幾ら金花会でも」
「最初から無理って決めたら進化が無い! やはりここは金花会に直訴して――」
「うえぇえぇええん! 友膳ちゃああぁぁああん!」
「ぐぅぇっ!?」
刹那、顔面を涙で一杯に濡らした成世が子犬よろしく要に飛び付いて来た。衝撃によって要は椅子ごと倒れ込み、朝の冴えた空気を一撃でぶち壊しにしたのである。しかし成世は意に介さず、白目を剥いて床に突っ伏す要の身体を揺さぶり……。
「いきなりごめんねぇええぇ! 相談に乗って欲しいのぉおぉおお!」
ガックンガックンと揺れる要の頭。縛った髪は解け、ロングヘアが軽やかに波打った――。
「ごめんね、昼休みを潰しちゃって……」
潮垂れた様子で俯く成世。大抵昼休みは要、早希、京香の三人で食事を囲んだが、今日は相談者の成世も「友膳塾(要が命名。この名称に賛成が一人、反対が二人)」の仲間入りとなった。
「良いって良いって。どうせこの女は年がら年中暇なんだし」
「暇じゃないよ! いっつも図書室で常微分方程式の論文を漁ってんじゃん!」
「それで、成世さんの悩みとは?」
純粋な嘘偽りを喚く要を放置し、弁当に手も付けず相談に乗る早希と京香に、成世は実に感動したらしく、再びポロリポロリと涙を流した。
「うぅ……私ってば幸せだなぁ……こんな人達に囲まれて……!」
「泣かないで下さい。友達ですもの、いつでも相談に乗りますよ?」
「そうそう、京ちゃんの言う通り! 成たん、漬物食べる?」
ソッとハンカチを差し出す京香、好みじゃない漬物を食べさせようとする要。この気遣いの違いが人間としての資質に現れてくるのだろう。
「ありがとう……実はね……とっても深い悩みなの……」
ポリポリと小気味良い音を立てる成世は、申し訳無さそうに三人を見回した。
「相談は相談なんだけど……解決しなくっても、三人を怨んだり呪ったりはしないから安心して……!」
「結構怖い人なんだね、成たん」
それで――麦茶を一口飲み、要が問うた。
「本丸の相談内容は何ぞや?」
「そ、その……」
勿体振る成世の口元に、三人のカウンセラーが注目した。それぞれが心中で「答え切れない悩みじゃありませんように」と祈った。
「わ、私……」
ゴクリ、と成世が生唾を飲み込み――。
「カー君と喧嘩しちゃったのぉ……っ!」
「へぇ、そう」
寸刻を置かずに早希の裏拳が要の額を捉えた。「ぎゃあっ!?」と悲鳴が上がるも、相談者はカー君――恋人の事で頭を満たされているらしく、ハンカチを握り締めてさめざめと泣いた。
「……? 今、私の事なんてどうでもいいような返事をした人が――」
「いないいない! カー君ってアレでしょ、成世さんの彼氏だもんね!」
「彼氏というか……」
俄に早希と京香が目を見開いた。
彼氏以外という可能性があるのか? そんな複雑な、或いは爛れた関係が身近にあったというのか? 年頃の乙女達にはやや刺激の強い話題であったが……。
「将来を約束した、旦那様なのぉ……!」
「はははっ――ぎいいぇえぇぇぇ!?」
回復したばかりの要の嘲笑は、結果として、早希に太股を膂力の限り抓られるという悲劇を生んだ。
「……私、おかしいのかな。心底ウザがられているような声が聞こえて――」
「いえいえ! そんな事ありませんよ! そうですよね、彼氏さんとはそれ程に愛し合っている。その約束を今、重大な事件が脅かしている……という事ですよね!」
「そう、そうなのぉ……! 羽関さんって素敵だね、顔も綺麗だし、私なんかの事をとっても理解してくれるし……」
「止めて下さい、そんな事ありませんよ……」
満更でもない表情を浮かべ、「てへへ」と頬を掻く京香。先程から真っ赤な太股を擦っていた要が「それでさぁ」と眉をひそめ、未だ霧中の問題を訊ねた。
「彼氏と何で喧嘩したの? 浮気とか?」
ダァン、と机を殴り付ける音が響いた。触れれば割れてしまいそうな顔から、一瞬で猛獣の如き相貌となった成世の仕業である。要達だけでなく、周囲にいたクラスメイトも揃って目を丸くした。
「う……わ…………きぃ……?」
ぎこちなく頷いた要。コレが実に拙かった。
「そんな訳無い、そんな訳なぁああぁいっ!」
噴火の表現がピッタリな勢いで成世は怒り出し、一気呵成に要へ怒鳴った。
「私の彼氏はねぇ、友膳ちゃんの言うような男じゃないんだよぉお!? カー君は優しくて、可愛くって、格好良くて、私の事を一番に考えてくれる最高の、ううん、前世から私と一緒になる事が決まっている、最高の男性なんだけどおぉおお!? それが何、浮気をしているってぇ!? 有り得ない有り得ないあってはいけないそんな事、絶対にあってはいけないんだよそんなのぉおおぉ!」
金切り声で思いの丈をぶちまけ、ゼエゼエと息を切らす成世はやがて……糸の切れた人形のように、その場へストンと座り込み、紙パックの紅茶をあっと言う間に飲み干した。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
果たして昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。食べ終えていた弁当を包み、成世は手早く乱れた髪と服装を直し――。
「続きは放課後に話すね」
京香の手から箸が零れ落ちた。スタスタと自席に戻って行く成世の背を見つめ、要達は互いに見つめ合い、言った。
続くの……? と。
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