鬼人篇

第1話:天中殺は突然に

 一〇月五日――外に一歩出ればしとどに濡れる秋雨の木曜日。九割九分九厘の生徒が傘を持参し、放課後も制服を濡らす事無く下校が可能であったが……。


「どんだけ馬鹿なのアンタ? 京ちゃんもそう思うでしょ?」


「…………アハハ」


「馬鹿って言うなよなぁあぁあぁそして嗤うなぁああぁあ!」


 残りの、友膳要だけは傘を持たずに登校していたのである。


「要さんも、どうして天気予報を見てこなかったのですか? 流石に擁護が出来ません」


「京ちゃんの言い方、先生みたいで怖いんだけど! 性格も変わっていない!? もっと優しくしてよ私にだけはぁああぁ! ってか見ているもん、それぐらい!」


 じゃあどうして傘を持って来ないんだよ――早希と京香は声に出さず、しかし精一杯の呆れを以て目を細めた。


「だってだって、が傘だったしぃ」


 は? 友人二人の声が重なった。


「え、知らんの? 逆ラッキーアイテム、ソレを持っていたらその日は天中殺になりますってやつ」


「天中殺は不定期なものじゃない気が……」


 京香の引っ張り出した算命学に関する記憶は正しい。天中殺は一二に関する周期で訪れる「新事を控える時期」であり、「雨が降りそうな時に傘を持たない」奇行を推奨するものではない。


 よって――要は本日、青春の活力溢るる全身を濡らして帰路に就くという不運に見舞われる羽目となった。


「っつー事でどっちか、傘に入れてっ?」


 入れてっ? の後に巨大なハートマークが浮かぶような声色であった。が、早希は実に涼しげな声で「無理」と回答、頼みの綱である京香も「今日は《姫天狗友の会》に呼ばれていて……」と目を伏せた。


「何で何で何で何でぇ!? こんな美人が濡れたら襲われちゃうよぉ!」


「ウザッ! くっ付くなっての! ってか帰る方向別じゃん!」


「じゃあ早希ぴょんが濡れてよぉ! 私、か弱い身体してんだからさぁ! 小さい頃に水泳やっていたんでしょぉ!」


「えぇ……」


 身勝手極まり無い要の発言に度肝を抜かれる京香。友情を断ち切るには良い機会であった。


 不思議な事に、要は小学二年生の冬から一度も風邪を引いていなかった。「馬鹿は風邪を引かない」とはよく言ったものだが、正確には「馬鹿は風邪を引いても症状に気付かない」、と解釈がなされている。


「もう面倒臭いよこの女……購買部で傘を買えば良いじゃん。一〇本でも一〇〇本でも」


「良案ですね、そうしたらどうでしょう?」


「……うん。そうするね? ありがとっ」


「可愛い子振ってんの?」


 手厳しい早希の発言は、しかし要のご都合主義で出来ている耳には届かなかった。




「堪忍なぁ、もう傘無いねん。売り切れたわ、一分前に」


「オゥ……」


 不運とは重なるものである。購買部長の安居春音自らが接客してくれたにも関わらず、見えない傘を探して辺りを見渡す要の意識は……薄れていた。


「在庫とかも無いのでしょうか?」一応は、と京香が訊ねる。


「うーん……そう言われてもなぁ、丁度切らしてんねん。何や今日はよう傘が売れてなぁ、天気予報見ーへん連中ばっかしやな」


 常人ならばグサリ、と胸に突き刺さるような発言も、である要には効果が無い。今では傘の事などどうでもよくなり(買えないなら悩む意味無し、と彼女は断じた)、新商品コーナーへまっしぐらに向かった。


「ワォ! 何このシュシュ! 赤ピンみたいな模様でプリティー!」


「胡散臭い帰国子女みたいやなあの子」


「すいません、阿呆な女で……」


 早希の気苦労はいつでも絶えない。雨に濡れるよりも赤ピン柄のシュシュの方が重要な女など、捨て置いて帰宅するのが吉である。ちなみに安居の指摘通り、要は六歳までカナダのトロントに暮らしていた。多少のレベルなら英語を話せるのだが、その事実を未だ早希と京香には話していない。


「どうせ来たのですから、早希さんも一緒に見てみましょうよ。色々と入荷していますし」


「せやな、『代わりにコレ買うてー』言うのもアレやけど、それなりのモンは入れたつもりや」


 果たして早希は二人の勧めにより、すっかりショッピングを楽しむ阿呆の下へ向かった。その矢先であった。


「しぃーっ! あそこを見て……!」


 阿呆、改め要が文房具コーナーの角で怪しげに身を潜めていた。探偵ならば絶対に依頼したくないような潜伏であっても、生徒で溢れ返る購買部では一定の効果を発揮したらしい。


「ほら、あそこあそこ! むっちゃ言い合ってんだけど……!」


 何だ何だと早希達が要の後ろに付くと——。


「そんなのないよ! の馬鹿っ!」


「だから謝っているだろう! つい連絡が遅れたんだ、怪我についての知識を学びたくてつい……君を一秒たりとも忘れる事なんて無いさ!」


「嘘、嘘嘘嘘! カー君はいつもそうだ、私を喜ばせて誤魔化して! 狡いよ、狡いよカー君!」


「待ってくれ! 誤解を解きたいんだ、お願いだから俺の話を——」


「知らないっ! うわぁぁーん!」


 クラスメイトの成世織子なるよおりこと、その彼氏が人目も憚らず言い合っていた。やがて成世は三文芝居よろしく、ハンカチで目元を押さえ、一目散に駆け出して行った。


「……前、見えているのかしら」


 京香が小首を傾げた時、彼氏はその場で「織子……!」と芝居掛かった声で名を呼び、「このままじゃ……!」などと呟きながら走り出した。どうにもこのカップルは感情が昂ると足を動かしたいらしかった。


 一方、要達をはじめとした観衆は目が点に、もしくはアングリと口を開き、メロドラマも顔負けの出涸らし展開を見守っていた。


「……何やアレ」


 呆れた様子で安吾が溜息を吐く。続いて早希、京香もウンウンと頷く中——。


「おんもしれぇー……っ!」


 要嬢だけは探照灯の如き爆発的輝度を双眼に込め、放課後の茶番劇を鑑賞していた。トロント帰りの帰国子女も、色恋沙汰には目が無かったらしい。

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