第8話:カロリーマフィン
一九時五分。イタリアから輸入したというダイニングテーブルの卓上には、大量の豚の生姜焼きが鎮座していた。大皿に載った褐色の肉、肉、肉は激烈な水蒸気爆発によって吹き飛んだ山頂よろしく、未だドッシリと重量感を以て堆く積み上がっている。
夥しい生姜焼き山を拵えたのは、巨人伝説で有名なダイダラボッチ……ではなく――エプロン姿の友膳要嬢、その人である。
「あれれ、先輩ダイエット中でしたか? もっとガッツリ食べて下さいよぉ!」
青ざめた顔で頷く三古和。既に腹部は満腹の臨月を迎えていた。
「……っ、うぷぅ……ふぅ」
三古和は何とか生姜焼き(九枚目)を飲み込むと、ホームバーにも転用出来そうなアイランドキッチンの方を見やった。チーン、とオーブンが鳴る。デザートが焼き上がったらしかった。
「あっ、そうか。ご飯足りないって事っすね! すいません、気付きませんでした、今盛ります!」
大丈夫です、必要ありません――三古和が言おうとした瞬間……食前と同じ、或いはそれ以上の標高に盛られた白飯が現れた。
「……友膳さん、本当に――」
「美味しいよって!? いやぁ嬉しい事言ってくれますねぇ! それもそのはず、これは狙った男を落とす為に練り上げた料理スキルって訳です、実戦はまだなんですけど。どうでしょう、これなら食道に胃袋に小腸大腸、全部掴めますかね!?」
「うん、掴める掴める。でも流石に量が――あぁ……っ」
カタカタと身体を震わせる三古和。それも致し方の無い事だった。いつの間にか要はオーブンの方に向かっており、満面の笑みで――。
「さぁさぁさぁ! 美味しい美味しいデザートですよー!」
ズラリと盆に並ぶのは、チョコレートがギッシリ詰まったマフィンであった。実に二〇個、要は主食の調理のついでに焼き上げたらしく……。
「要ちゃん特製、『カロリーマフィン迎撃形態』! どうぞタップリ召し上がれ!」
食べ終わっていない主食の傍に並ぶマフィン達を見て――いつの日かテレビで知った極上のマフィンとやらを「お腹がはち切れるくらい食べてみたい」と願ったのを、三古和乃子は今、強く後悔していた。
無闇矢鱈に願い事をするものではない……もし、友人などが無鉄砲に願い事を呟いたら、必ず注意してあげようと固く決意した彼女は、しかしながら現状とも戦わないといけない為、「あのさ」と弱々しく手を挙げた。
「そのマフィン、お土産に持って帰っても良いかな……」
「お土産に?」
ウンウンと激しく頷く三古和。生姜焼きの上にマフィンを重ねれば、寸刻置かずに卓上を「惨状」に変えるのは間違い無かった。彼女の胃袋は大海に非ず、今にも溢れかねない瓶である。
二秒後、三古和の命運は決まった。
再び、キッチンの方からチーン、と恐るべき音が鳴った。
「えぇっ!?」
八鏡こと三古和が、椅子から転げ落ちそうな程に驚くのも無理はない。理由こそ分からなかったが――友膳家には、オーブンが二つあった。
「せーんぱいっ。お土産問題…………解決しております!」
ビシィッとオーブンの方を指差す要は、邪悪な程に屈託の無い笑顔で言った。
「お土産には、『カロリーマフィン追撃形態』をお持ち帰り下さい!」
翌日。雲が目立つものの、切れ間から差し込む日差しは強い、そんな空模様であった。
「はぁ!? またアレ作ったの!? 三古和先輩に!?」
呆れ過ぎて瞬きすら忘れたように、早希は両目を見開いて「何が悪い」といった表情の要に問うた。
「もう封印しろって言ったじゃんアレ! あーあー……先輩怒るよきっと」
「んな事言ったってなぁ……この手が勝手に拵えるもんだから……」
要の得意技、カロリーマフィンには――特に年頃の女子高生にとって――大変な問題が潜んでいた。
「そんな心配しないでって。アレ凄いんだよ、どんだけ食べても太んないもん」
「アンタだけだよそんなの! 私なんか三個食べただけで太ったんだよ、ビックリするくらい!」
冠する名の通り、摂取した者の体重を劇的に増加させる効果があった。友膳家に伝わる妙薬が入っている訳でもなく、かといって彼女自身の手から放たれるオーラが起因している訳でもなかったが……。
「知らないよ私、金花会出禁になっても知らないよ私」
食べたが最後、とにかく太るのだった。奇妙に味が良いのも体重増加に一役買っており、一度友膳家に招かれ、三古和と同じく要のフルコースを食した早希は、翌日に乗った体重計の上で、成長期の身体と調理人を呪った。
何事も無いと言い張る要、猛り狂った三古和の襲来に怯える早希。どちらの予想が的中するかはおおよそ一分後、誰の目にも明らかとなった。
「ふぁーあ、にしても今日の授業怠いなぁ――あ?」
大口を開けて欠伸をかます要の視線は、廊下側から半分だけ開かれた引き戸の方へ向いている。近くにいたクラスメイト達は「ヒィッ!」と大いに驚嘆し、素早く引き戸から離れた。
「………………」
顔半分だけではあったが――何処からどう見ても二年三組の目付役、三古和乃子先輩であった。らしからぬ程に開き切り、海底の如き暗色を湛える目を以て、ジッと要を見据える彼女は……。
デッサンを狂わせたような、歪な笑みを浮かべていた。決してこの後に……楽しい時間を過ごすつもりは無さそうだった。
「…………要ちゃんを見ているけど」
こんな時でも怯えない、というよりは事態を理解出来ない強みが要にはあった。立ち上がって引き戸の方へスタスタ歩み寄り、「おざぁーす!」と軽やかに挨拶をした。
「先輩じゃないですか! 昨日は遊びに来てくれて――」
刹那、早希をはじめとした一年七組の生徒達は、皆一様に目を丸くした。暗黒の波動を放つ上級生の右手が勢い良く伸び、脳天気な要のネクタイを掴むと……。
「あっ」
短い発音の後、要の姿は廊下側へ瞬時に引き込まれた。ゆっくりと閉じられた引き戸から――要を追う者は、誰もいなかった。
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