第6話:深窓の娘

「結構……遠いんだねぇ」


 放課後。六両編成の列車に揺られる三古和は、手持ち無沙汰に腕時計の盤面を磨いていた。隣に座る要は「馴れですよ、馴れ」と笑い、壁面の路線図を見やった。


「次で降ります。そこから歩いてちょっとです」


「うへぇ……」


 普段座ってばかりの三古和にとって、要の通学路は酷くハードに映った事だろう。現に彼女の相貌は疲労が見えた。


六恩台ろくおんだい」という駅で降りた二人はガラス張りの近代的な駅舎を後にし、茶褐色の洒落た舗装路を歩き始めた。三古和はキョロキョロと辺りを見渡しつつ……。


「やっぱり……高そうな車ばっかりだねぇ。歩いている人も、ちょっとお洒落というか……」


「そうですか? 普通の街ですけどね」


「いや、六恩台はお金持ちしかいないって聞いたけど……」


 三古和が耳にした噂は正しかった。他の地域と比べ、友膳家のある六恩台は地価が数段も高く、比例して住まう人間の年収も高かった。中心街から程近く、かといって自然が欠乏している事も無い。要塞じみた住宅が並ぶような威圧感は無く、一定の生活感が滲んでいるところも地価に繋がっていた。


 コンビニエンスストアの外壁は六恩台の格まで引き上げられたのか、ちょっとした高級ブランド店さながらの様相となっており、全ての店に電気自動車用の充電スタンドが備え付けられている。


 飲食店に目を向ければ、ファミリーレストランもあるにはあるが、所謂「外国語が並んでいるような小料理屋」が多い。そこに出入りする客層は決して華美ではない、しかしながら上品なファッションを容易く採用していた。


 要するに――金持ちの街、それが六恩台であった。


「あっ、美味しそう……。メロンパンの専門店もあるの? あれ、こっちは……本屋、さん? お洒落過ぎるよぉ……」


 観光客のように目移りする三古和。一方の要はとうに見飽きた街並みであり、「ふぁーあ」と大きな欠伸をしてみせた。


「先輩、のメロンパン好きなんですか?」


 えっ、と三古和は目を少し見開くと、照れ臭そうに頷いた。


「あそこのは食べた事無いけど…………メロンパン好きぃ。つい食べ過ぎちゃうくらい……」


「なるほど、了解っす!」


 何が了解なのか不明だが、要は白い歯を惜しげも無く見せ付けて笑った。


 駅舎から歩いて五分後――果たして三古和は友膳家の外観を認め……。


「っ………………?」


「あっ、今日はお父さんもお母さんもいないんですよ、時間の許す限りいて下さいね! 二人で暴れまくりましょう!」




 文字通り、三古和乃子は硬直してしまった。以下は彼女の心中の言葉を織り交ぜ、友膳家の外装内装をお伝えしたい。


 まず、玄関が見当たらなかった。辛うじて確認出来たのは巨大なシャッターであり、少なくとも三台分のスペースが予想出来た。その気になればロータリーすら作れるのでは……と三古和は思った。


 外観――医療系ドラマに登場する大学教授が住んでいるような(実際、要の父親は日本史学の教授である)、白亜の煉瓦か何かが壁一面に敷き詰められている(三古和の知識ではこの表現が限界だった)。


 いつまでも硬直している訳にもいかないので、三古和は要の後を追って玄関へ向かった。車庫は地面から斜め下に作られており、そのまま「地下一階」となっているらしい。その横を通り過ぎる時、三古和は庭……或いはを目撃した。見た事も無い花や恐らくは松の木が植えられ、そのどれもが素人目にも完全な状態を保っていた。


 ようやく三古和は玄関ドアを抜けた(ドアノブが縦に長い。捻るのではなく引くタイプだった。ふと上を見やると、小さな監視カメラが此方を見つめていた)。厳重な金庫じみた扉の向こうには……。


 本当に足を踏み入れて良いのか戸惑う程、磨き上げられた暗色のフローリングが何処までも広がっていた。小さな子供ならスケートリンクよろしく、靴下で滑走したくなるような床面を、家人の要はノシノシと踏み入って行く。


 木の匂い? 香水? お香? 違う、これは――なんだ。


 スンスンと鼻を利かす三古和。屋内は埃一つも飛んでいない気がした。高鳴る心臓を宥めながら要の後を付いて行くと……先程の庭園とは別の、「空想上の設備」と彼女が思っていた、が間も無く出現した。


 巨大なガラス(掃除が大変そうだ、と三古和は思った)の向こうに立つ細い木は、しかし決して貧相には映らない。奥床しさと底知れぬ美がそこにはあった。地面には小さなスポットライトが設置され、夜には細木を幻想的に照らすに違い無かった。その隣には白磁の睡蓮鉢が幾つも置かれ、要曰く、父親の趣味である金魚を飼う為らしかった。


 リビングらしき空間にはテーブルと椅子が三脚、暖炉(三古和が幼い頃に見たアニメと同じものだった)、六〇インチのテレビの横には当然のようにスピーカーが置かれ(天井にも似たようなものが付いていた)、近くの壁には額縁に入った書道の作品が飾られている。


 そして……驚嘆ばかりで疲弊している三古和のトドメとなる光景が、数秒後に広がった。


「すいません、私の部屋はこっちの奥なんですよ」


 一人娘、要の部屋は……母屋とは別個の、「離れ」にあった。

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