第4話:月にUFO
六月九日、放課後。要が強制帰宅を促されてから一週間後の事だ。
「えぇーっ!? また百花先輩いないんですかぁ!?」
がーん、と頭上にオノマトペが浮かびそうな程に目を見開く彼女は、今週も懲りずに《金花会》へ一人訪れた(早希は本日病欠している)。大好きな(それしか打てないが)株札を打とうと目論んでいた為だが……。
「ごめんなさい。萬代さんは今日、来ないと思うなぁ……」
癖っ毛の目立つ二年生目付役、
「何でかなぁ。百花先輩、彼氏でも出来たのかな? いやでも有り得ないか……」
大真面目に、それも失礼千万な思考を垂れ流して悩む要に苦笑いしながら「違う違う」と答える矧名。
「萬代さんは図書局の人なんだ。今月の選書会議が遅れているーって、同じクラスの子が言っていたから、多分それなんじゃないかなぁ」
花ヶ岡の広大な図書室を管理する図書局は、毎月選書会議なるものを開く。寄せられたアンケートや時勢を鑑みて選ばれた「予定本」の表から、真に蔵書に値する書籍を選定する為だ。
「えっ、百花先輩図書局なんですか!? 似合わねー……」
もしこの時……彼女の後ろに萬代が立っていれば、来週から友膳要の机には綺麗な花瓶が置かれているに違い無い。人の命が如何に憐れなものか……その光景を幻視したらしく、矧名はまたしても苦笑いを浮かべた。
「じゃあ今日も、株札は無しって事ですね……」
「うぅーん……一応、来ている人に訊いてみよっか?」
金花会にやって来たはいいものの、打ちたい闘技の場が開いていない。また来週出直そう……。
こんな風にションボリして帰って行く生徒を引き留めるべく、目付役達は闘技にあぶれたり、休憩している生徒に「この闘技をやりませんか」と声を掛け、新たな場を立ち上げる事がある。しかしながら――。
「いやー……多分無理なんで、大丈夫です」
要は溜息を吐いた。幾ら暇だからといって、株札を打とうとする生徒は殆どいない事を、彼女は理解していた。《八八花》や他の賀留多に比べ、博才や運気を重視する技法の多い株札は、一部の生徒達を除いて敬遠されているのが現状だ。
何もせずとも月に二〇個ずつ花石が増えるとはいえ……一瞬で賭けたものが消え去るのは悲しい事だ。多数の生徒は少しでも長く、また技術を介入させて「スリリングな闘技」を楽しもうとした。
「あっ、そうだ」と矧名が手を打った。
「八八花、教えてあげようかぁ?」
要と八八花の辛い関係は、目付役達の中でも話題になっていた。「何をやっても誰が教えても絶対に八八花を憶えられない生徒がいる」……歴史的な馬鹿だった。賀留多史に名を刻むべき馬鹿、もとい要に八八花を教授出来る者はいるのか? 目付役達は頭を捻っていた。
「これでも私、結構分かりやすいって言われるんだぁ」
エヘヘ……矧名が照れ臭そうに笑った。
その実、矧名の指導によって難解な技法を習得出来た生徒は少なく無い。購買部で賀留多購入者に配られる簡単な技法解説のプリントも、幾つかは彼女が手掛けたものだった。
「でも私……前世で八八花を焼いたんじゃないかってくらい相性悪くて……」
「大丈夫大丈夫ぅ。そーれーに、花ヶ岡の生徒なら憶えた方が得だってぇ」
ほらほら、こっちおいで――誘われるがまま、要は会場の隅に座って矧名の指導を受け始めた。
「八八花は四八枚。株札より八枚多いけど、頑張って憶えよう! えいえい、おー!」
「お、おー……」
矧名に倣って拳を軽く挙げる要。その顔は実に……狼狽していた。
「良い? 光札は全部で五枚。ここまでは憶えた?」
「はい、鶴と、えー、鶯、お月様に平安時代っぽい人、赤い鶏ですよね」
「惜しい! 鶯は二月の種札。《桜に幕》、これが正解。平安時代っぽい人は小野道風で赤い鶏は鳳凰って鳥だよぉ」
一切惜しくも何とも無いのに、矧名は根気良く劣等生に指導を続けた。物腰の柔らかい矧名は、やはり柔らかい声で「光札と種札の違い」を説明するも……。
「えっと……種札が、鶯、郭公、青い花、蝶々、猪…………八月は無くて――」
「ううん、八月も種札があるよ。ほら、黒い芒の上、何か飛んでいない?」
「あっ、あぁ! 三つのUFOです!」
「三羽の雁、ね」
一度頭蓋骨を開いてみたい――友人、のはずの倉光早希の言葉だった。四季の動植物を描いた賀留多であると説明されたにも関わらず、全く関係の無い未確認飛行物体が連想される辺り、彼女の脳はプリンかスムージーか、或いは軽石でも入っている事だろう。
何人もの賀留多愛好家を生んだ矧名の笑顔も、若干の疲れが見え隠れしていた。手元には何冊も八八花のガイドブックが置かれていたし、例題を書き込んだメモ用紙が散乱していた。
「あ、あの! 私……決してふざけている訳じゃなくて……唯、頭が勝手に……」
それを人はふざけている、と言った。だが要は本当に困り果てていたし、矧名の微笑みが次第に困り笑いに変わっていくのが辛かった。近くの打ち場からは勢い良く札が打ち付けられる音が聞こえ、別の打ち場では生徒達が感想戦を行っていた。
「……まぁ、人には向き不向きもあるからねぇ。私だって、未だに《はち》の出来役、ちょっと自信無いかもだし」
矧名が力無く笑う。彼女の場合は「自信が無い」だけで、根本的に「記憶が無い」人間とは次元が違った。
一方、要は矧名の言葉を鵜呑みにしたのか、「なーんだ、目付役だって完璧じゃないなら、私は全然赦されたって事だよね!」とおかしな納得をしてしまった。
「やっぱり、矧名先輩も間違う事があるんですよね? 間違いますよね!?」
「えっ? う、うん……たまーに、ね?」
ホッと一息吐いた要。彼女の幸せな脳内では、自分と矧名とが同じステージに立っている映像が浮かんでいた。
「今日は光札と種札を憶えたし、順調な滑り出し、という訳ですね!」
「そ、そうだね! 凄い凄い! 私も嬉しくなっちゃうなぁ!」
「ありがとう御座います、先輩! 先輩のお陰で八八花が打てそうです! いえーい!」
要の勢いに飲まれた矧名は、ぎこちない動作で「い、いえーい!」とハイタッチをしたが……。
「って、えぇっ!? 気が早いというか、何と言うか……光札もあやふやなんじゃないかなぁ……」
上級生に気を遣わせまくる――そしてそれを全く感じ取らない――要は、或いは大人物なのかもしれない。
「あっ、ヤバい! 今日は麻婆春雨だから早く帰って来いって言われていたんだ……すいません、今日は帰ります! 矧名先輩、またお願いしまーす!」
「ちゃ、ちゃんと復習するんだよぉー……」
「分かってまぁーす! さようならー!」
数秒後、遠くから「廊下を走るなって言ってんだろうがぁ! 友膳、コラ! おい、待てコラぁぁぁあ!」と田島教員の怒声が響いた。
追い掛けて来る教員から逃走し、恐らくは復習からも逃走するであろう……バタバタと下校して行った大人物を、矧名は疲れたような笑顔で見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます