第3話:要ちゃん、ハウス

「今日は開いていますか? 《株札》の場!」


「えー……また《株札》なの?」


「だって難しいんだもん。花札は」


 ペロリと舌を出す要。引っこ抜いてやりたい衝動に駆られたであろう早希は、右手を握っては開いた。


 一応、要の擁護をしておこう。前世で《八八花》を大量に燃やしたとしか思えない程に相性の悪い彼女だが、それでも早希やクラスメイトの輪に入れない事に文句を垂らし(自分が悪いのに)、最近になって独学を始めようとしている。同じクラスの羽関京香はぜききょうかという女子が、どうにも《八八花》に長けている事を噂で聞き付け、その内に個人教師を依頼しようとも考えていた。


「あー、株札ねぇ……」


 例の衝立の方を背伸びして見やる三古和は(座ったまま、首を伸ばすだけである)、一口水筒から紅茶を飲み――。


「今日はやってないねぇ」


「えっ!? という事は……百花先輩いない!? あんなに鹿みたいに株札好きなのに!?」


 百花先輩――要に株札の何たるかを指導した三年生である。優しい人か……それとも恐ろしい人か。傍で早希を見れば分かるというものだ。


「いやぁーマジかぁ……計画狂ったぁ……」


 要が渋い顔で打ち場を見渡す。参加人数の多少はあったものの、九割が八八花を用いた闘技であり……残り一割は《うんすんかるた》だった。


「駄目だね早希ちゃん。帰ろっか」


 何を言ってんだお前は、とでも言いたげな早希は素早く反論した。


「帰らないっての。最近は要ちゃんに付き合って株札ばっかり、たまには他のも打ちたいよ」


 当然の不満であった。二週間近くも早希はどう頑張っても脅しても札を憶えてくれない要の為、の待つ株札の打ち場で花石を消費するばかりだった。腹が立つ事に、時々要からも搾取されていた。


「でもでも、私は花札打てないしぃ」


「知ったこっちゃねぇよ、って感じだよ。とにかく私は八八花打ちたいの」


 えぇー? 何とも憎たらしい顔で気落ちする要は、しかしツカツカと打ち場へ向かう早希を見送るしか出来なかった。


「はぁーあ……スタミナも使い切ったし、やる事無いなぁ」


 ここで言うスタミナは要の体力を指すものでは無く、数日前に始めたソーシャルゲーム内の用語である。


「三古和先輩、アレですよね。早希ちゃんの応援は駄目ですよね」


 そうだねぇ……腕時計を丹念に磨く三古和は、大変眠たそうに答えた。


「駄目、だねぇ。残念だけど……まぁ、《サクラ》に疑われたら、面倒だから……ねぇ」


「サクラ? 出会いと別れの季節に咲くやつ?」


 詩的だが月並みな表現で要が問い返した。


「違うなぁ。簡単に言えば、闘技に参加していない部外者が、参加者の横とか、後ろから手札を覗き込んでぇ……」


 ハァー、と熱い息を盤面に吐いた三古和。「むっちゃ磨くじゃん」と要は思った。


「あ、この札とこの札があるなぁ、よーし、仲間に伝えよう……ってやるのが《サクラ》って訳だねぇ」


 へぇー……要はポカンと口を開けて頷いた。


「頭良いですね、それ。簡単に勝てるじゃん」


 勝てるよぉ、と三古和は薄笑いを浮かべた。ギシリと椅子が鳴った。


「勝てる代わりに、


 捻った言葉に首を傾げる要。しつこく時計を磨く三古和を見つめながら、近くにあった椅子を引き寄せて座った。


「要するに、ズルをやったら駄目よ、って事だねぇ」


「カンニングと一緒、って事ですね」


 うんうん……と頷く要は、生涯で一度もカンニングに手を付けていないのが自慢だった。大雑把な性格であるにも関わらず、そういった「純粋に実力を計る場」だけは、人一倍真面目に臨むのが彼女である。


 早希が打ち場に混ざってから一〇分が経った。残された要はスマートフォンを弄りつつ、三古和の観察も行っていた。


「見てくるねぇ……私の事……」


 今にも閉じそうな目が、キョロリと要の方を向いた。


「バレました?」


「バレたバレた。視線がチクチク刺さってくるんだもの……」


 デヘヘと照れ笑いをしながら頭を掻く要。嫌らしい中年男性のような笑みだった。


「先輩、横顔綺麗だなーって。ってか肌むっちゃ綺麗じゃないですか」


 ゆっくりと三古和が要の方を向いた。相変わらず惚けたような表情だが、しかし口角が微動していた。嬉しくて堪らないらしかった。


「別にぃ、いやぁ、唯ちょーっと顔を洗うのに、まぁ、ねぇ?」


 三古和は嘘を吐いていた。自宅の洗面所には二〇〇〇〇円近くの化粧水や保湿クリームが常備してあるし、顔を洗う時には洗顔用の泡をこれでもかと、優しく肌に載せてから完璧な動作を心掛けた。


 西にスキンケアの新手法があれば試し、東に有効な新製品があれば買いに行く三古和の肌は、触れた瞬間にまで高められている。


 肌が綺麗って言われたい、何だったら触って欲しい。誰か褒めてよ、褒めて褒めて!


 椅子から殆ど動かない不精者の胸に秘められた承認欲求を……今日、初めて満たしてくれたのが要だった。これが格好良い男子生徒ならなお喜ばしかった(彼女も年頃の少女なのだ)。


「あっ、分かりましたよせんぱぁーい……」


 小悪魔的――というよりは邪神的な笑みを浮かべ、要が続けた。


「彼氏さんと? だからツヤツヤしてんですねぇ? そりゃあお肌も生き生きしているってもんですねぇ」


 ピシリ、と空気が割れたような音を……暢気な要は聞いた。その証拠に嬉しそうだった三古和の顔は今や殺人も是とするようなものになっているし、何故か。加えて周囲の目付役達も知らん振りして立ち去った。


 地雷を踏んだ――自称、偏差値六八の賢い要はすぐに理解出来た。




 なぁるほど。三古和先輩に恋バナはヤバいって事かぁ。一〇秒前に知りたかったぁ。




「…………駄目かなぁ」


 呪いの言葉に似たトーンで三古和が問うた。


「彼氏がいないのに…………肌が綺麗なのは……駄目なのかなぁ……」


 しかしながら――ここで泣きながら土下座したり、如何に女子高生生活に彼氏が不要かを嘯いたりしないのが友膳要である。


「先輩! 問題無しですっ!」


 白い歯をキラリと見せ、サムズアップをしながら要がウインクした。


「私穢れ無き乙女ですから!」


 しばしの沈黙が訪れた。すぐ傍にいた目付役は思い切りに目を見開き、それから音も立てずに消えて行った。三古和はジッと要を見つめ……ネクタイから手を離すと――。


「……教えてくれる?」


「何でもどうぞ!」


 怖ず怖ずと三古和が「その、つまり」と問うた。


「一人で……アレだよ、で、で、デートの……妄想とか……する?」


 ハッハッハッハ! 要が豪快に笑った。


「そんなの日常茶飯事! 私なんかそれ以上の――」


 不意に、要の方を叩く者がいた。微笑を湛える早希だった。


「要ちゃん」


「あ、早希ちゃんも入る? 先輩ってね、実は――」


「要ちゃん、


「え?」


 微笑みながら廊下の方を指差す早希。


「ハウス……は犬に出す指示だよね。そして廊下を指差して……って事は、つまり?」


 理解の悪過ぎる友人には、時として厳しく対応するのが真の友である。街に迷い込んだ化け物を諭すように……ツンツンと廊下を指差した。


「ここで馬鹿みたいに大きい声で卑猥な話をするは、何処か遠い森にお帰り」


「あっ、はぁーい」


 妄想が大好物な雌犬は素直に手を挙げ、鞄を持ち、廊下に出た。とんでも無く気まずそうな三古和に目礼すると、颯爽と会場から離れて行く。


 彼女は知っている。賢い友膳要は知っているのだ。


 これ以上逆らうと、次は肉体的ダメージを負う事を……。

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