第7話:羅刹篇

「……っ、あれ、ここは何処? お昼何を食べたっけ?」


「ここはの事務室、お昼は天ぷらうどんだったと自分で声高に言ったでしょう」


 やれやれ……と溜息を吐いた一年生は、額に痣を作った委員長(彼女達は選挙管理委員会であった)を一瞥する。窓の外は夕間暮れ時、秋風が敷地内の樹木を撓らせていた。


「あー……良く寝たわぁ。何か懐かしい夢見ていたもん」


「そうですか。では……沢山寝たから、沢山書類をチェック出来ますよね」


 ドサリと置いた書類の山を見つめ、「うぇー」と嫌そうな声を上げる委員長。


「てかさぁ、室田むろたちゃん。選挙って毎年やらなきゃ駄目なの?」


 ぶっちゃけ面倒じゃね? 委員長は自分の立場を忘れたような発言をした。しかし一年生――室田は構う事無く、校章の描かれた特製のクロスで眼鏡を拭いていた。


「今は私と室田ちゃんしかいないんだし、私より室田ちゃんの方がしっかりしているじゃん? だから、ダブルチェックもしなくて――」


「委員長を見ていると、私の立場が如何に重要かを改めて実感させられます」


「どゆこと? 褒めているの? ありがとねぇ」


「……何故、委員長に立候補したのでしょうかね」


 はい、お菓子あげる――委員長はエヘヘと笑いながら……幼児が喜んで食べる棒付きのチョコレートを室田に渡した。


「またこれですか。今日と合わせて五度目ですけど……何か思い入れでもあるのですか」


 事務室の奥まったところ、そこに委員長のデスクは設置されている。ギシリと椅子を軋ませ、書類の上一枚を捲って委員長は答えた。


「あるある、そのチョコレートは縁起が良いんだよ。入学したての頃にさ、とんでも無く怖い先輩にそれを買って行ったのさ。今思えば、むっちゃ喜んでいたんだろうなぁ、あの表情」


 懐かしいわぁ、と委員長は大した確認もせずに「承認」と書かれた朱印を押した。ジトリとその様子を見つめつつ、室田はチョコレートを齧った。


「縁起と言えばさ、室田ちゃんは最近、行ってんの? むっちゃ負けたとか言ってたじゃん。リベンジしないの?」


「いえ、誰かが残した仕事を片付けていると、そのような暇も無くて」


「えぇっ!? そんなに負担掛けてた? ごめんねぇ……」


「冗談です」


 冗談かーい、と戯けたように委員長は次々と朱印を押していく。


「あれ、室田ちゃんって《株札》やんないんだっけ?」


「……そうですね、余り打ちません。私はどうも『運』が悪いみたいで」


 ふふーん、と誇らしげに胸を張り、委員長は「甘いなぁ」とかぶりを振った。


「運なんて! 何処でそれを出すか、何処でそれを温存するか、それを考えて打たないと駄目だよ?」


「《出降り》のようなものですか……?」


「そうそう、出降り出降り。一二月の……あれ、何だっけ、出るんでしょ、何たら女傑……」


 室田は呆れたように「《八八女傑合戦》ですか」と答えた。委員長も食い付くように彼女を指差し「イエス!」と笑った。


「《八八》にも出降りがあるでしょ、あと……《不見出みずてん》か。それと一緒じゃん? 戦略とかよく分かんないけどさ、ノリでやっちゃえば良いんだって!」


「そうもいかないんですよ、特に《八八》は……。まぁ、委員長は強運ですから。特に《京かぶ》では負けが無いとか」


 デヘヘ……とだらしなく笑う委員長。押印の速度もドンドンと上がっていく。


「いや、まぁ? 負けた事は無いというか……私は《京かぶ》の方が相性良いんだよねぇ。場札も最初は決まっているし、分かりやすいの大好きだもん」


 難しいのはNGだから、と委員長は胸の辺りで「バッテン」を作った。なお、委員長は「花ヶ岡の必修課目」と呼ばれている《八八》の手役、手順を殆ど知らない。


 彼女が憶えている手役は《四三しそう》、これだけであった。


「良し、今日は長くなりそうだから……私の壮絶な過去を語っちゃうかなぁ?」


「結構です。帰って《八八》の練習をしますので」


「いやいやいや。聴いてよぉちょっとぐらい! マジで壮絶なんだって、もう小説にしてくれってレベルだもん! 特に一年の秋から二年の春まではヤバいよ、先輩と花石をさ、何と――」


「書類、よろしくお願いしますね。お疲れ様でした」


 駄目だってぇ! 椅子を立ち上がり、縋り付くように「聴いてくれ聴いてくれ」とねだる委員長。室田も流石に気の毒になったのか、腕時計を見やって返した。


「ハァ……じゃあ三〇分だけですよ。それと、脚色も無しですから」


「あぁー良かったぁ、一人で仕事していたら頭おかしくなるところだったわぁ。早希も帰っちゃったし、京香はアルバイトがあるし……」


「……早く聴かせて貰えますか」


 ごめんごめん……委員長は咳払いし、事務室の中をグルリと歩きながら――自身の「羅刹篇」を語り始めた。


「『美し過ぎる女子高生、株札を打つ』! 第一話、『八八花が難しい』、始まり始まりー!」




 選挙管理委員会の長、友膳要は特異な生徒であった。


 校内での賀留多闘技、またそれに係る「不可思議な文化」が暗に認められている花ヶ岡高校では、《八八花》が最も人気であった。


 無論、《うんすんかるた》や《地方札》も盛んに行われていたが、重要な場面、例えば《札問い》において採用されるのは、大抵が八八花である。


 何故、友膳要が特異な生徒か? それは至極簡単な事である。




 彼女は花ヶ岡高校に入学してから現在に至るまで、《株札》しか打った事が無いからだ。




 友膳要は《五枚株》にてそれを知り、《かちかち》にて博奕の駆け引きを学び、《おいちょかぶ》にて欲求の抑制に苦悩し、《京かぶ》にて「かぶ」の才能を開花させた。


 一から一〇までの札を四枚ずつ、計四〇枚のシンプルな世界。技法の殆どが「数値の高低」を以て決着とする、デジタルで刹那的な戦場――そこに打ち手を放り込むのが《株札》であり……。


 花石の銃撃、爆撃、地雷全てを躱して来た勇者が彼女であった。


 以前、広報部が作成する校内新聞花ヶ岡新報の一コーナー、「噂の種」に彼女の特集が載った事がある。


 以下の文章は、インタビュアーとのやり取りを抜粋したものである。




「どうして《株札》が好きなのですか?」


 私は元々、株札の「かの字」も知りませんでした。最初は友人と一緒に八八花を始めようとしたのですが、如何せん向いていない事が分かり、ある先輩の勧めもあって株札の世界へ身を投じました。


 正直、株札に戦略みたいなのは殆ど無いと思います。代わりに、底無しの「駆け引き」が備わっている気がします。勝負するか、引くか。大抵はその二択を迫られます。


 とてもシンプルで、だから分からない。


 何で楽しいのか、何で株札ばっかり打つのか、今でもよく分かりません。


 きっと、私はよく分からないものが好きなんだと思います。グニャグニャしていて、掴み所の無い賀留多。手を伸ばしたら振り払われて、引っ込めたら逆に掴んで来て。


 憎たらしくって、可愛いんです。株札が。




「貴女にとって《株札》とは?」


 敬愛する先輩も言っていたのですが、、でしょうか。誰だって持っている「運」、それと出るか引くかの「駆け引き」、これだけで凄く楽しめる賀留多ですから。




「最後になります、全校生徒に向けて一言を」


 株札だって面白いんですよ! 興味がある人、とりあえず金花会に来て下さい。衝立の向こうで待ってまーす!




 それから数ヶ月後、ある男子生徒と《京かぶ》を打ち合い、彼女の才能は完全に開花するのだが……それはまた、別の話である。

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