フェネック:枯れた砂漠に愛の豪雨を


「ふぅ…今日もあっちぃな」 


 ここはとある砂漠の外れ。

 カラッカラに乾燥し荒廃した、俺好みの場所だ。


 この辺りはフレンズもヒトも少ないから、誰にも見られずにができる。


 だが今日は運悪く、目当てじゃないフレンズに目をつけられたようだ。



「ねぇねぇおにーさん、私と一緒に来ない?」


「…あぁ?」


 なんだ、このちっこい奴は?


 …この飄々とした態度、ムカつくな。


 だが丁度暇してた所だ、誘いには乗ってやるとしよう。


「ああ、何処に連れてってくれるんだ?」


「ふふ、それはねー?」



 



「…幸せ?」


 驚いた、こんな砂漠の端っこでここまで戯けたことを言う奴がいるなんて。


「そう、可愛いおきつねの私がおにーさんに愛を与える場所だよー?」


「ハハ、愛だと…!?」


 この変ちくりんな耳デカギツネは、とことん俺の神経を逆撫でしてくれるらしい。


「何が愛だ、ふざけてるのか?」


 俺は、金輪際そんなものを信じないと決めて生きてる。


 昔からの悪友に「優しさを知れ」なんて言われてここに来てみた。

 だがそんなものこれっぽっちも分かりゃしなかった。


 アイツも、丁度このキツネみたいな口調だったな。



「…ふざけてないよー?」



 だから、アイツのような間延びした口調でそんな戯言を言われると、腹が立って仕方ない。


「テメェ上等だ、覚悟できてんだろーな?」


「もちろんだよー…!」


 瞬間、奴の姿が残像となって消える。


「おにーさんに、たぁっぷり愛を教えてあげるからね?」


 コイツ、格闘できるのか…!?


「がっ、あ…!」


「ふふふー…!」


 首を絞める怪力に抵抗も虚しく、俺の意識は刈り取られてしまった。




―――――――――




「………ん?」


 ぼんやりと目を覚ます。

 ジャラジャラと響く鎖の騒音で、俺の意識はバッチリ覚めた。


「おはよー、気分はどう?」


「最悪だ、畜生…」


 首を縛り付けるこれは、首輪か?

 それに手枷に足枷もあって、まともに動けやしない。


 はん、やっぱり愛だの幸せだの口先だけだ。


 このサイコギツネは俺を監禁して楽しみたいだけじゃないか。


「そんなに睨まないでよー、照れちゃうじゃないかー」


「…は?」


 このイカれたコンコロめ、砂漠の動物は狂い方まで一級品らしい。


 なにせ憎悪の視線を受けて”照れる”と言ってくれるもんだ。



「一応聞いてやる、目的は何だ?」


「言ったでしょ? おにーさんに愛を教えてあげることだよー」


「その方法がこれか? 馬鹿げてるにも程があるだろッ!」


 怒声を浴びせても目の前のコイツは微動だにしない。


「あははー、威勢がいいねー。でも、どうして馬鹿げてるなんて言えるの?」


「…何が言いたい?」


 キツネはしたり顔で俺を見る。

 俺の手の内全てを知っているように、全部予想通りだとでも言いたげに。


 艶めかしく耳元で囁く。


「おにーさん、愛を知らないんでしょ、愛されたこと…無いんでしょ?」


「ッ、うるせぇ!」


 例えその通りでも、こんなもん愛だと認められるかよ?


 チッ、ゆらゆら優雅に揺れやがって。

 コイツと話してると疲れるな。


 すると奴は唐突に、まるで思い出した風に自己紹介を割り込ませた。


「あ、そうだ、私はフェネックだよ、よろしくねー」


「要らない自己紹介をどうも、俺は――だ」


「ふふ、知ってるよー」


 ああそうか、リサーチ済みか。 

 用意周到なこった、反吐が出るね。


 その後もフェネックと名乗ったキツネはしばらく無言で、とても楽しそうに俺の情けない姿を眺めていた。

 


 ニヤニヤと口の端を吊り上げた顔、いよいよ苛立ちがピークに達した頃、眺めるのにも飽きたのか奴は行動に出てきた。


「それじゃあ、そろそろ始めよっかー♪」


「お、おい、何するんだ!?」


 服にフェネックの手が入ってきた。


 …く、くすぐったいっ!?


「や、やめろ、そこは…!」


「ここが弱いんだー…ふふ、可愛いね~」


「ぐ、お前っ! あ…ぁ…」


 ちょこまかと体をなぞる指は繊細で、反応してしまうところをピンポイントで刺激してくる。


 耐えようにもその刺激は強烈で、2分と経たずに俺の息はすっかり上がってしまった。


「ハッ、ハァ…マジかよ…」


 くすぐり地獄から解放されて、フェネックが浮かべる能面のように張り付いた笑顔に俺はようやく気が付いた。


「ふふふ…」


「ケッ…で、次は何をしてくれるんだ? このサイコ野郎」


「うーん、女の子なんだけどな~」


「どうでもいいな」


「あはは、そーだねー…じゃあ、これでどう?」



 鈍い音と共に、俺の両手両足から重みが消えた。


 一瞬嘘だと思ったが間違いない、枷が外されている。

 もっとも、鎖の外れた首輪はそのままだったが。


「どういうつもりだ…?」


「おにーさんもそろそろ運動しないと疲れるかなー、と思ってさ」


「ああ、どうせならだだっ広い砂漠で思いっきり運動してぇな」


「あはは、冗談も上手なんだねー」


 馬鹿言え、これ以上ないほど本気だ。

 ここから今すぐ出してくれるなら日が暮れるまで走ってやるよ。


 まあ、そう上手くは行かないだろうがな。




「…おにーさん、動かないの?」


「…あ?」


 別に動きたくない訳じゃない。

 ただ、何をすればいいかよく分からないな。


「今は自由だよ、何でもできるよー」


「へぇ、だったら…お前を殴っても良い訳だな」


 フェネックの胸ぐらをつかみ、目の前に握り拳をチラつかせる。


 …いつものように脅しても、コイツは全然反応しないな。

 つまらねぇ。


「…いいよ」


「は?」


 コイツ今、何て言った?


「私を殴ってもいいよ、


「テメェ…まさか」


 俺を見上げたにやけ顔は、言うまでもなく俺を見下している。


「私見たよー? おにーさんが、他の子に乱暴するところ」


「…だったら何だってんだッ!」



 ――握る拳に確かな感触。


 フェネックを殴った。

 他の誰にやったよりも強く、ありったけの力を込めて。


 だというのに、フェネックの面は剥がれない。


「あふふ…おにーさんは乱暴だなー」


「なんで笑ってやがる…んッ!?」


 不意に口が塞がれる。


 声が出ない、息ができない、うねる様な舌の動きに余すことなく侵される。

 蜜よりも甘ったるい唾液の味に吐き気を催した。


「おえ…ふざけんな…」


「まさか、私はずっと本気だよー? おにーさんも本気になってくれたよね? 嬉しいな、全力で私を殴ってくれて」


 そう言いながら、ふらつく俺の四肢に再び枷をつけていく。

 

「だから今度は、私の愛をあげるね?」


「いらねぇ…!」


「まあまあ、そう言わずにさ~」


 額にふやけるほど長いキスをして、彼女は妖艶に笑う。




―――――――――




 ガチャガチャと箱を漁る音がする。

 俺を鎖で繋いだフェネックは、『やることがある』と言って何かの準備に取り掛かった。


「今度は随分と時間が掛かるじゃねーか?」


「焦らないでよー…待ちきれないの?」


「ハッ、おめでたい奴だな」


 目を細めフェネックの手元を覗き込むと、手錠に首輪にスタンガンにと危ない品々が行き交っている。


 中には縄とか本とか比較的物騒じゃないものもあるが、持ってる奴が奴だけに…って感じだ。


 というか、俺はこのまま指を咥えて待っていていいのか?

 せめて状況が良くなるような何かをしたい。

 


 …話をしてみるか。


「…なぁ、1ついいか?」


「んー? キミの望みなら何でもするよー」


 だったら今すぐこの檻から出してくれ。


 そんな言葉は胸に仕舞った。

 どうせ適当にはぐらかさられるんだろう。


 ”本当の願いじゃない”…だとか言って。



「聞きたいことがある…何で俺を選んだ?」


「どういう意味ー?」


「他の奴でもいいだろ、お前の独りよがりな欲望を満たすためならな」


 フェネックの動きがピタッと止まった。


 と思うと指先で手錠をクルクルと回し、寂しそうな顔でこちらを見つめる。


「…なんだ、その目」


「私ね、おにーさんが良かったの」


 ヒョイと手錠を放り投げ、雫と共に床へポトリと。


「どうしようもなく荒んでて、愛が分からなくて、だからこそ…愛を求めてるおにーさんが大好きなんだ」


「愛を求めてるって、この俺が? 冗談も大概にしろよ…!」


 お前に、ぽっと出のキツネに何が分かる、分かってたまるか。

 

 俺は…!


「そんなもの、信じねぇって決めてんだ!」


「それが、愛を求めてる証拠だよ」


「……なんだと?」


 俺の顎をくいっと持ち上げる。

 見上げた彼女の顔は皮肉な慈愛に満ちている。


「『信じない』って強く思ってるのは、『信じたい』って願ってるから。興味ないなら、ことさら否定したりしないもん」


「……」


「でも大丈夫、私の愛は絶対に裏切らないから」


「…信じられるかよ」


「ふふ、大丈夫だよ~」


 輝く瞳のフェネックが、人間離れした力で俺の服を引きちぎる。



「これから、たっぷり信じさせてあげるからね~♡」




―――――――――




「あ…あっ…」


「ふふ、かわいい♡」


 頭が真っ白になる。

 全てを吹き飛ばす快楽に、もう何も考えたくなくなる。


「安心して、ずーっと私がついてるからね」


 体に巻き付くフェネックの尻尾が暖かくて、俺を抱き締めるその腕が懐かしくて、目尻から涙が零れた。


 いつの間にか縛るものは無くなっていた。

 だけど、ずっと縛られていたかった。


 胸が苦しい、なんだろう…この気持ちは?

 分からない、何も分かりたくない。



「…愛してるよ、おにーさん♡」



 これが愛だと、俺は信じて良いのか? 

 砂漠で溺れて、まっさらに洗い流された俺の頭では理解できない。


「それが、愛だよ…!」


「…これが?」


 じんわりと体が暖まっていくように感じた。

 すうっと、悔いる涙が頬を伝った。


「…でも、他の子はキミを愛してくれるかな?」


 ピシリ、冷たい声が心ににヒビを入れる。

 こんな一言で揺らぐほど、俺は脆い。


「あぁ…い、嫌だ…!」


「あぁ、ごめんね? でも大丈夫…私はキミを裏切らないからさ」


 彼女の腕が優しく俺を包み込み、ふわふわの尻尾が視界を塞いで辛いもの全てを見えなくしてくれる。



「私を、私だけを信じてねー…うふふ♡」



 もし1つ、こんな俺にも望めることがあるのなら。


 俺はこのまま、この暖かな愛に溺れていたい。


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