アカギツネ:三つ子の魂永遠に


「あー、あー!」


「よしよし…大丈夫だぞ、アカギツネ」


 赤子のように泣きわめくアカギツネを宥めて布団に寝かしつけた。


 ここはオレたちの家の一室、彼女が普段過ごしている部屋だ。

 この部屋には外からしか鍵を掛けられず、彼女が外に出ることはない。


 雑事とかは全てオレがこなしているから、外に出る理由など一切ないだろう。

 もっとも、では外に出ようとも思えないはずだが。


「ふぅ…ふふ、相変わらずだな」


 アカギツネは寝ながらでも服の裾を掴んで離そうとしない。 

 そっと尻尾を撫でてやると、ピクッと毛を立てて喜んでくれる。


「もう半年になる頃か…長いようで短かったな」


 カーテンを開けると、外には柔らかな雪の結晶がしんしんと降り積もっている。


 アカギツネと初めて出会ったあの日も、こんな天気だった。



―――――――――



「…今日から雪山の仕事か、寒いな」


 元々パークで働いていたオレは、この日からホッカイチホーの担当に配属されることとなっていた。

 

 寒い気候に面倒な往来、仲の良かった同僚と離れることもあり最初の印象はあまり良くなかったと記憶している。


「中での仕事が多いといいけどなぁ……ん?」


「…あれ、キミは?」


 降り積もる結晶の向こうに見えたけもの。

 真っ白な雪の上に立ち尽くす彼女が、オレが最初に見た姿だった。


 その体色は純白の中でよく目立ち、色鮮やかなコントラストに目を奪われて無音の時間が過ぎてゆく。


「ねえ、聞いてる?」


「あっ! わ、悪い。ボーっとしちゃった」


 気が付くと目の前まで足跡を付けていた彼女は、珍しい物を見るかのようにオレの顔を覗き込む。


「もしかして飼育員さん?」


「ああ、今日から新しくここに来たんだ」


「そうなんだ…私はアカギツネ、よろしくね」


「オレは――、よろしく」


 ―アカギツネ。


 何故か、その名前が頭に引っ掛かった。


 好きな色が『赤』だったからだろうか、とにかくオレは彼女の姿が忘れられなかった。


 始まりはありふれた出会い。

 ありきたりで刺激的な雪原暮らしの幕開けだった。




―――――――――




「これでよし…と」


 今入れたお人形で最後。

 アカギツネが散らかしたおもちゃも全部箱の中に仕舞うことが出来た。


 やんちゃなアカギツネはよくおもちゃを何処かへと失くしてしまう。


「んぇ……んー?」


「おはよう、気分は…悪そうだな」 


 物を漁る音に眠りを邪魔されたのか、アカギツネはちょっと不機嫌そうな様子。


 しかし問題ない、こういう時はこれを使えばすぐに機嫌を直してくれる。


「ほら、ガラガラだぞ」


「あ…! えへへ…」


 ニコニコ笑うアカギツネ。

 その屈託のない瞳が愛おしくてたまらない。

 もっと喜ばせてあげよう。


 次は…車のおもちゃで遊んでみるか。


 彼女には案外男の子のような部分もあるらしく、ミニカーが最近のお気に入りだ。


「よーし、救急車だ、ピーポーピーポー…!」


「っ! うぅ~!」


 気が付けばミニカーはアカギツネの手の中に。 

 もう1つ持ったパトカーと一緒に車輪が床の上を転がる。


 いつ見ても微笑ましい。

 これで、もうちょっと失くし物が少なかったら良かったんだけどな…ハハ。


「よしよし、かわいい奴め」


 確かオレがここに来た当初も、アカギツネの失くし物探しに苦労したんだっけ。


 葉っぱの痛い森の中で一緒に駆けたあの日の思い出が、融けるように滲み出てきた。



―――――――――



「…え、ボールを失くした?」


「うん、ホッキョクギツネちゃんと遊んでたら何処かに行っちゃって…」


「探さなかったのか…?」


「探したけど見つからなくて、それで…!」


 声を出すほどに段々と涙目になっていくアカギツネ。


「わ、分かった! 一緒に探そう」


「…ほんと?」


 どうしてか無性に放っておけず、大量のデスクワークをほっぽり出してオレは彼女とボールを探しに出掛けた。


 …あの後仕事を手伝ってくれた同僚の皆様には感謝してもしきれない。



 まあそれはさておき、オレ達のボール探しは困難を極めた。


「なぁ、ボールの色って…」


「白っぽい青…だったかな?」


「…そりゃ見つからないよな」


 この雪の中、そんな色のボールで遊んだら失くすことぐらい想像がつくはずだが…


 まあ、気が付かないくらい熱中していたのだろう。


「ところで、ホッキョクギツネは?」


 一緒に遊んでたなら、少しぐらい手伝ってくれてもいいんだけどな。

 そう思って居場所を尋ねた。


「ツクモ博士のところだって」


「九十九博士…って言うと、あの人か」


 前に1度だけ視察に来たことがあるが、何を考えているのか分からないある意味不気味な人だった。


 とはいえ博士だというのだし、怪しい人ではないだろう。

 むしろ”博士”にはそういうイメージを持っている。


 …多分、偏見だけどな。


「ま、それなら仕方ないか」


 ああいう人の研究を邪魔したらきっと恐ろしい。


 大学の時の友人にも、そんな学者肌と呼べる奴がいた。

 アイツは元気にやってるかな?


「――、ちゃんと探して」


「…すまない」



「…あ、あそこっ!」


「え、何処だアカギツネ?」


 アカギツネが指さす先、木の枝の間にボールが挟まっている。


 ボールの色と曇り空の彩りは見事に一致していて、よく目を凝らさないと輪郭が全く見えない。


「よ、良く見つけたな…」


「私、すごいでしょ?」


 その後、オレが息も絶え絶えに木を登ってボールを取りに行く。

 

 だが手が届く直前で大ジャンプしたアカギツネに横取りされ、肩を落として大量に残った仕事のもとへ戻っていったのだ…


「探してくれてありがと、――」


 悪戯っぽく”クフフ”と笑ったアカギツネ。


 楽しそうなその顔を見て、オレはいつまでも彼女と一緒にいたいと思った。




―――――――――




 ――そしてオレは、アカギツネをこの部屋に閉じ込めた。


「な、なんで…?」


「悪い…これも、アカギツネのためなんだ」


 半年前、オレが元いた部署に転属される一週間前のことだ。

 動機は至ってシンプルで、アカギツネと離れたくなかったから。


「やめて、出して――!」


「外は危ないぞ、強いセルリアンも出てきてる」


「なら他の子だって危ないよ!」


 放っておけないと言って、アカギツネは泣きながらオレに縋りつく。

 それを引き剥がすのは心苦しかった。


 だがこれも、全て


「正直に言ってな…オレは、お前が無事ならそれでいいんだ」


「っ…!」


「ここなら何でも揃う、出る必要なんてないんだぞ」


「そうじゃなくて! …ひどいよ」


 最初は抵抗していたアカギツネだったが、しばらくすると分かってくれたのか大人しく部屋に残ってくれた。



 …さて、さっきの会話に『強いセルリアン』という言葉が出たが、その通りあの時期の雪原にはとても強いセルリアンが出現していた。


 そして、オレはそのセルリアンの存在を利用してアカギツネを連れ去ったのだ。


 出掛ける口実にセルリアンの調査をでっち上げ、ついでに呼び出しておいたアカギツネと共に姿をくらました。


「いなくなったら、みんな心配するに決まってる」


「まあ、心配はするだろうな」


 だが、少なくともセルリアンにやられたと思ってくれている間は捜査の手もこの家にまでは届かないだろう。


 それにこの家は、雪原からかなり離れた辺鄙に建っている。


「誰もここには来ないから、安心していいぞ」


「……」


 オレの想いを邪魔できる奴なんてこの世の何処にもいない。

 彼女が、この部屋の中にある限り。



 …でも、オレの望みがそのままの形で叶うことはなかった。


 この生活の全てが狂った原因。

 アカギツネがあんな風になってしまったきっかけの出来事。


 あれはそう、3か月程前のこと。



―――――――――



 太陽が真上から地上を照らす頃。


 いつも通りにお昼ご飯を作って部屋まで持ってきた。


「今日はうどんだ、大好きな油揚げもちゃんと乗ってるぞ」


「…いただきます」


 ボリューミーな油揚げが乗ったきつねうどん。 

 態度にこそ出してはくれないが、これが彼女のお気に入り。


 カランカランと箸の音が鳴り、麺を啜る音はいつもより踊っている。

 

「…じゃ、オレも食べようかな」


 2人で静かに食卓を囲む。

 

 あれから、アカギツネは口数が少なくなった。

 仕方ないとも思っているし、まだ希望も捨ててはいない。


 じっくり分かりあう時間を過ごしていこう。

 そう思っていた、その時。



 ピンポーン…!


「あ、チャイム」


「っ!?」


 ガタッと机が揺れ、うどんの汁が零れてしまう。 

 鳴るはずのない音にオレはひどく狼狽する。

 

「まさか…!」


 最悪の可能性に思考を奪われ、全てを忘れて玄関へと走った。



「…嘘、だろ」


「やっぱりここにいたのか、――」


 過去の同僚、かつて最も心を許していた親友。

 彼がオレに向ける表情は、見たことがないほどの悲しみに歪んでいた。


「もうやめてくれ、まだ引き返せるはずだ」


「引き返せる? ここから?」


「ああ、全部元に戻して罪も償って。そうすればフレンズのみんなも受け入れてくれるさ」


 ”フレンズのみんな”か…俺はもう、アカギツネ以外に興味ないのに。

 やっぱり、コイツは過去の親友だ。


「そうか…全部バレちまったのか、にも」


「いや、まだには知らせてない…これっきりにするなら俺も最大限お前を庇える。だから……ぐっ!?」


「ハハ、よかった…その言葉が聞きたかったよ」


 腹に突き刺した拳を引くと、1人分の肉塊が力なく転がる。

 確か、もしもの時のためのナイフを近くに置いておいたはずだ。


「あった…これで」


 まずは首を引き裂き、力任せに胸を突き刺す。

 

「ったく、驚かせやがって…!」


 ザクザク、グサグサ。


 恨みを込めるたびに飛沫が掛かり、過去を切り捨てるほどにオレの心は軽くなる。

 奴が完全に息絶えた時、本当に清々しい気持ちになった。


 この手で、アカギツネ以外の全てを捨てたことを実感できたんだ。



「――?」


「…アカギツネ? ああ、鍵を掛け忘れてたんだな」


 オレとしたことが…と言えるのも今だからこそ、だな。

 あの時は全く気が回らなかった。


「えっと、あのヒトは…!?」


「気にしなくていいぞ、すぐに片付けるから」


 1歩近づけば、1歩後ずさる。

 

「なあ、どうした…?」


「やだ…いやだ…!」


 ナイフも置いてきたし、怖がられる道理も無いはずだが…

 

 一体何がいけないんだ?


「落ち着いてくれ、何も問題ないさ」


「ど…どいてッ!」


「うわっ…おい、アカギツネ!」


 アカギツネはオレを押しのけて走り出す。

 その先には玄関の扉、絶対に外へは行かせない!


 だが、アカギツネはアイツの死体の前で止まった。


「あ…あぁ…」


 いやむしろ、死体であることに初めて気付いた様子だった。


 肩を掴もうとした手が触れる直前――


「いやあああぁぁぁぁッ!」


 耳をつんざく彼女の叫声が空気を震わした。

 きっとそれが、彼女の魂が発した最後の叫びだったのだろう。



―――――――――



「ー…」


 文字にならない声でこちらを呼ぶアカギツネ。


 瞳にもう輝きはない。

 きっとオレが奪ってしまったんだ。


 これじゃ、まるでオレはセルリアンだな。


「まあ、いいか」


 かつて望んでいた形とは大きく変わってしまった。

 だけど、今のこの生活が幸せでしょうがない。


 それに姿になった彼女を放っておけるわけがないだろ?


 …さあ、そろそろお昼ご飯の準備をしようか。

 今度はたまご粥が良いかもな。



「ずっと一緒だぞ、アカギツネ」



 ありふれた今日という日を、永遠に引き延ばし続けよう。 

 いつかの未来なんて気にしないで、現在いまだけを想い続けよう。


 消えた輝きを、永遠に。


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