ギンギツネ:リセットボタンに痺れる愛を
パチッ。
薄暗い明かりが照らすこの部屋で、ギンギツネはすやすやと眠っている。
跳ねた髪の毛をそっと直すと、彼女の頬がふわりと緩む。
「…やっぱり、かわいいな」
いけない、この調子だと永遠に眺めてしまいそうだ。
早いところあっちの部屋も片づけて、いつ起きても良いようにしよう。
「ゆっくりお休み、ギンギツネ」
ピクッと耳が揺れ動く。
俺の声を聞いてくれたのかな?
「ふふ…」
遠目で見ても彼女は本当にかわいい。
まあ、具体的にどこがかわいいかというと長くなるのだが…
暗く影のかかった銀色の毛皮に耳、ふっくらしたほっぺにモフモフの尻尾。
ここまでは周知の事実として、更に彼女は賢くクールだ。かと思うと所々抜けていて、時折見せるお茶目な失敗は強力なチャームポイント。
更に面倒見がよくて、たまにツンツンしてるけど底抜けに優しい。
前に俺が熱を出した時は付きっきりで看病してくれた上にたっぷり元気の出る料理を振舞ってくれた。
あの後風邪を伝染してしまったのは申し訳なかったが、その分お返しできちんと彼女のお世話ができていたと思う。
まあ、あの後風邪に弱い俺は再び――
って、また…!
ダメだダメだ、眠る姿は目の保養になるけど中毒にもなってしまう。
戸締りをきちんと確認してから、俺はそそくさと部屋を離れた。
願わくば、今日こそは俺の言葉が届きますように。
―――――――――
――目を開けると、真っ白な天井。
まるで私の頭の中のようだった。
「…?」
寝惚けた瞼を優しくこすると、首の後ろがズキリと痛んだ。
「いたた、寝違えたのかしら…?」
でも、痛みのおかげで若干眠気が覚めてきた。
「不思議な部屋ね」
壁も天井も目が痛くなるほどの純白、雪山よりも濁りがない。
雪山には、ちょっとの枯れ木が立っているから。
「どこなの、ここ…」
どう見てもここは宿ではないはず。
あそこはもっと質素な建物だし、ちゃんと窓もあった。
それに、天蓋付きのベッドも私たちの宿にはない。
というか置けない。
「何処かで見たようなベッドね…」
前に出掛けた時にでも見たのだろうか。
部屋のそこかしこから既視感が私に降りかかってくる。
『ここから出ろ』と急かされるような気分になった。
「とにかく、誰か探さないと」
もう時間が無い、一刻も早く私はあの方のところへ行かなければ…!
「…あれ、起きてたんだね」
「あっ…!?」
どうして、あなたがここに…?
もう別れを告げたはずなのに、二度と会わないって決意したはずなのに。
そんな私の混乱は、確かな音に鎮められた。
彼が、部屋の扉に鍵を掛ける音で。
…ガチャリ。
それは私たちが袂を分かった音で、私の心の扉を閉めた音だった。
「…もう二度と、会わないと思っていたわ」
「…そうか」
「もう、会いたくなかったわ」
「そう、か…」
悲しそうに、けれど悟っていたように彼は俯く。
そんな顔をするくらいならなんで、また私の前に現れたの…?
「ギンギツネ…やっぱり気持ちは変わらないのか?」
「変えられる訳ないじゃない、昨日の今日の話よ?」
「っ……そうだったな」
…もどかしい。
彼の言葉の1つ1つが私の心に引っ掛かる。
私の知らない何かを知っているようで、落ち着かない。
でも、それも当然かしら。
私をこんなおかしな場所に連れてきたのは、彼以外考えられないもの。
「ねぇ…私を閉じ込めてどういうつもり?」
「分かるだろ? 君に行ってほしくないんだ…」
昨日も聞いた。
「ごめんなさい、もう決めたことなの」
昨日も言った。
「本当に、気持ちは変わらないのか?」
「しつこいわね、何度言っても気持ちは同じよ」
「……どうして」
私だって、ずっとあの場所に留まっていられれば良かった。
何も心配せず、ただ幸せに暮らしたかった。
「でも私には、このパークを守る使命があるの。そのために、あの方の場所へ行かなきゃならないの」
「そんなの、ギンギツネがやる必要無いだろ…!?」
「無かったら、どれほどよかったでしょうね」
ああ、口に出るのはたらればばっかり。
一番未練がましいのは私かもしれない。
だから、こんな想いは早く断ち切らなくちゃ。
「…もういいでしょ、鍵を渡して」
「嫌だ…ここにいようギンギツネ、行かなくていい!」
差し出した片手首に枷が掛かる。
私を縛る確かな鎖で、コレが彼の想いそのもの。
そして避けなかった私の最後の未練。
この手枷を壊して、私は未来へと進もう。
「本当にごめんね…それでも、私のいるべき場所はここじゃないから」
「ッ…!?」
グラリ。カラン。
枷がだらりと垂れ、鍵が床に落っこちた。
「今度こそさよなら…元気でね」
私は屈んで鍵を拾う。
「どうして…」
「……」
パチッ。
「え…?」
揺らぐ視界、痺れる首筋。
「どうして、また同じことを言うんだ…?」
彼の手から小さな箱が滑り落ちた。
これ、ヒトの施設で見たことがある。
確か、スタンガンという名前だったような…?
…体に力が入らない。
指先までビリビリで、瞼ももう閉じてしまいそう。
首が、痛い。
「――…?」
薄れゆく意識の中で、彼の名前を呼んだ。
「ごめんなギンギツネ。次こそ、分かってくれるように頑張るから…」
「つ…ぎ?」
頭が働かない。
それって、どういう意味の言葉だったっけ?
パチッ。
丁度テレビの電源を切った時のように、私の意識は黒に染まった。
―――――――――
「また、ダメだった」
眠る彼女を抱きかかえ、記憶消去装置に寝かしつける。
これで、もう8回目だ。
「最初は、何回でもやってやるって意気込んでたんだけどな…」
毎回、同じ言葉で、ことごとく拒絶され、段々自信を失いかけている。
それでも落ち込んじゃダメだと、あの人に散々言い聞かされたんだ。
「ハハ、『いるべき場所はここじゃない』…か」
折角こんな素晴らしい装置を使わせてもらっているというのに。
これじゃあ、
「目を覚ます前に終わらせよう」
…だが今回も、前までと同じで良いのか?
「次も、無事に眠らせられるとは限らないよな…」
俺がギンギツネに拒絶されたあの日。
彼女の記憶はそこで止まっている。
だけど、それじゃあ不十分じゃないか?
俺が監禁した記憶だけじゃなくて、もっと沢山、決定的な記憶を奪うべきじゃないのか。
「あの方の記憶? それとも…パークの記憶?」
それだけで…足りるのか?
ギンギツネは、間違いなく何度も俺を拒絶したんだ。
彼女の芯が折れないままでは、俺はきっとまた拒まれる。
「……『全記憶の消去』」
九十九博士が言っていた最終手段。
何もかもをリセットし、文字通り全てをやり直すための奥の手。
「やるしか、ない…!」
その通りだ。
やろう、今すぐに。
俺が、ギンギツネをあるべき姿に戻してやるんだ。
何をしてでも、どんな手段を取っても。
俺の想いを必ず伝える。
「…さよなら、ギンギツネ」
でも、心配しなくてもいい。
すぐにまた、会えるはずだから――!
―――――――――
薄暗な明かりの中で、あの子がすやすやと眠っている。
壁の向こうから微かに聞こえる鳥の鳴き声が、俺たちを祝福しているように思えた。
今日が、彼女の新しい誕生日だ。
「ん……?」
「あ…おはよう」
眠そうな瞼を擦る彼女に、愛する人の名前を付けよう。
「おはよう。はじめまして、ギンギツネ」
「ギン、ギツネ…?私は……あ」
ギンギツネが、突然ベッドから飛び起きた。
テクテクと歩き、上の空な顔で中空に手を伸ばす。
「ど、どうしたんだ?」
そしてパッチリと目を見開いた彼女は、戸惑う俺にハッキリと言う。
「ごめんね…なんだか私、行かなきゃいけない気がするの」
こちらを見向きもせず、いなくなろうとする彼女の後ろ姿が――
パチッ。
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