オイナリサマ:囚われたのは、心かその身か


「トウヤさん、葉っぱのお掃除はもう大丈夫ですよ」


「分かりました! じゃあ、少し休憩してきますね」


 彼は箒を石像に立て掛け、駆け足で神社の中に消えてしまう。

 

「お煎餅も出しておきましたから、ゆっくり休んでくださいねー……あらら、せっかちなんですから」



 子供のような彼の姿をじっくり反芻した後は、枯れ葉の山のお片付け。


 私の十八番、青い狐火。

 彼の姿には及ばないけど、見ていてうっとりしてしまう。


 出来るならずっと見ていたい。


 だけど枯れ葉はやがて燃え尽き、炎もついには用済みになる。


「……難儀なものですね」


 まだ見ていたいのに、火を無駄にしたくない。

 神様も貧乏性になったものだと自嘲して、そっと消えゆく一握の光。


 風が焼け跡の灰を攫い、靡く布の先を押さえて建物に入ろうとしたその時。

 鳥居の影から誰かが境内に足を踏み入れた。



「静かな神社…素敵な場所ね」


「…おや、お客さんなんていつぶりでしょうか」


「あなたがここの神様? ごきげんよう」


 黒いフードを被ったフレンズが、ゆっくり歩いてやって来る。

 心なしか、息が切れているようにも見える。


「ふふ、長い階段だったでしょう? 好きなだけ休んでいってくださいね」


「長居はしないわ、なんとなく来ただけだから」


 コモドドラゴンと名乗った彼女は石像に背中を預ける。

 箒の紐を指でいじって、無感動に景色を眺めていた。


 なかなか絵になる姿で、滅多にない客人ともあって私には物珍しい光景だった。

 長らく豊穣の神として人の世を見てきたはずなのに、どうしてこうも新鮮なのだろう。


「参拝客は少ないの?」


「はい、もう廃れてしまった神社ですし」


「確か、こんな神社の神様が妖怪になると聞いたことがあるのだけれど……ごめんなさい、不躾だったかしら」


「いいえ、それも事実ですから」


 誰も来ない神社でトウヤさんと二人きり。


 こんな生活に執着している私を妖怪と呼ばずして何と呼ぼうか。

 

「…そうだ、せっかくですし私の話を聞いていただけませんか?」


「いいわよ、神様のお話だなんて面白そうだもの」



 尻尾をなびかせ跳びあがり、コモドドラゴンは興味深そうに私の顔を覗き込む。


「ところで、それって何のお話?」


「一言で表すなら…『愛』ですね」


「うふふ、素敵なお話が聞けそうだわ」


 風が私の耳に入って、煎餅の音を運んでくれた。

 サクッと割れる音色があの日も、空いっぱいに鳴っていた。




―――――――――




「はぁ、今日は一段と多いですね」


 足の踏み場もないほどの枯れ葉に覆われた石畳。

 私は葉っぱを踏み鳴らし、掃いて燃やして捨てていく。


 いつもの作業を終わらせた頃、ちょうどいつも通りに彼がやって来る。


「こんにちは、オイナリサマ」


「ええ、今日はいいお天気ですね。風も強くて大変です」


「その割には落ちてる葉っぱも少ないね、もう秋だってのに」


「私が掃除しちゃいました」


「…なるほど?」


 そして一言二言他愛のないやり取りをして、彼を奥へと招くのだ。

 今日も、気持ちを一杯に込めた稲荷寿司を用意して。



 彼の名前は荷刈 稲弥カガリ トウヤ


 この寂れた神社にお参りをしてくれる唯一のヒト。

 トウヤさんはとっても信仰に厚く、毎日欠かさずお参りをしてくれる。


 それはもう熱心で、日によっては朝昼晩と三度に渡って参拝してくれることも。


 彼がこんなに真剣なのには別の理由もあるのだけれど、それはまだ神のみぞ知る話。


「オイナリサマのお稲荷寿司は、今日も美味しいです…!」


「ふふ、そうでしょう? 丹精込めて作ってますから」


「僕なんかのために毎日作っていただけて…本当に感謝です…」


「自分を卑下しないでください、私も楽しくて作ってるんです」



 仮にも神である私がここまで一人のヒトに肩入れしても良いのか。

 

 たまにそんなことも考えるけど、他に肩入れできるようなヒトもいないのが現状。


 神様として、数少ないたった一人の信者さんを無下にはできない。


 それにトウヤさんも……ね?



「でもやっぱり、申し訳ない気持ちになります」


 曇った心は影を落として、暗く冷たく部屋を包む。

 そんな顔は見たくないから、私といるときだけでも笑わせてあげたい。


「…トウヤさん、お口を開けてください」


「え? あー……んぐっ!?」


 大きく開いた口の中へとお寿司をねじ込んでみる。

 

「ふふ、変なことは考えないで、お寿司を食べてくださいね」


「もごもご……はい」


 ちょっとぎこちないけど、とびっきり明るい。


「そう、明るい顔の方が似合っていますよ」


 私に与えられる救いなんて、こんな程度のものだけだ。


 それでも”救い”と呼べるうちは、こんな日常を続けたいな。



「ねぇ、トウヤさん。こんな神社に来てくれるヒトなんて、あなたしかいませんね」


「…あはは、変ですよね」


「全く、むしろ嬉しいです。だって、あなたしかいませんから」


 彼の手が震える。

 私の手を重ねて、訊く。


「だから、明日も来てくれますか?」


「は…はい!」




―――――――――




「変な話ですよね、祈られるはずの神様なのにお願いをしてしまうなんて」


「そういうもの? 私にはよく分からないわ」


「あはは…そうですよね」


 やれやれ、色々と彼に影響されちゃったのかもしれない。

 長い付き合いになるし、致し方ないのかな。


 長い話になるし少し落ち着こう。


 ポケットから稲荷寿司の包みを出して、一口に頬張った。


「え、何よそれ…?」


「普段のおやつですよ」


 口いっぱいに広がる酢飯の酸味と油揚げの甘味。

 ほろほろと崩れる米粒にしっかりとした食感のある油揚げ。

 

 この奇跡ともいえる味の調和こそが世界で二番目の癒し。

 勿論、一番目が誰なのかは言うまでもない。



「さて、じゃあ次は私たちが今の関係になったきっかけのお話をしましょうか」


「あら、あれからもっと進展したの? …何をしたのかしら」


「うふふ、意外かもですけど、先に”何かした”のはトウヤさんなんです」


「…本当?」


 コモドドラゴンは驚きに目を見開く。


 図ったわけではないがこうも意表を突けると得意げな気分になる。

 そして意気揚々と私は語り始めた。


 全てが変わるきっかけとなった、あの監禁の物語を。




―――――――――




 普段と変わらない神社の一室。

 

 いつも通りに寂れていて、いつも通りに隙間風が吹く。

 いつも通りに小鳥は囀り、いつもと同じく彼がそこにいる。


「…おはようございます、オイナリサマ」


 そして劇的に違うのは。

 私がただの一切も動けないこと。


「トウヤさん、これは?」


「……えっと、ごめんなさい」


「そんな、謝られても…」


 普通なら慌てふためいてもおかしくない状況。

 しかし私の気分は至って平静。


 むしろ『ついに来たんだ』というような気持ちだった。


 神様はヒトの心を読めるから。

 だから、一番いい方法で解決しよう。



「トウヤさん、私は全てを受け入れます」


「…え?」

 

 優しい声色を心がけて。

 昨日とも一昨日とも変わらぬ声で、心の扉にノックする。


「だから私に話してみてください、あなたの気持ちを」


 応答は素早く、それは彼がこの言葉を待ち望んでいたからこそ。 

 だからボソボソと始まるこの告白にも、希望の色が載っている。


「…我慢できなかったんです。想いの抑えようがなくて」


「……はい」


 私は相槌を打つ。

 今できる最大の寄り添い方で、彼を肯定する。


「ずっとずっと我慢してきて、オイナリサマは神様だからダメなんだって、でも…でも! どうしても好きで…それで、こんなひどいことを…」


「…ええ」


「僕、前にお付き合いした人みんなに『重い』って言われて、繰り返すうちに人が怖くなって…神社に入り浸るようになったんです」


「どんな理由でも、私は嬉しいですよ」


「う…うぅ…!」



 そのまま彼は語り続ける。


 付き合っていた人に拒絶された過去を、ジャパリパークに行きついた経緯を、この神社を見つけたお話を。

 

 彼の思いの丈と、恋をした理由とそして、私に抱いた最後の希望を。


「でも神様なら、ヒトじゃないあなたなら、こんなに重い僕でも受け入れてもらえるかなって思って、思いついちゃって」


「…なるほど」


「ごめんなさい…本当にごめんなさい…!」


 泣きじゃくりながら彼はお札を粉々に引き裂く。

 

 体を縛る力が消えて、私は自由の身となった。

 

「こんな物まで作ってもらって…僕は…!」


 その悔恨の言葉にも、思い当たる節がある。


 縛られ方の感覚からして、この術はゲンブが使うものに間違いない。

 きっと彼女に頼み込んで力をお札に込めて分けてもらったのだろう。


 ヒトの子皆に『重い』と言わしめるその行動力に、私は改めて驚嘆するばかり。


 そして私は同時に、彼の心を救いたいとも思っていた。



 ――導きましょう。


 神様として、迷える子狐を暖かな道へ。


「トウヤさん、顔を上げてください」


「…オイナリサマ?」


 胸いっぱいに彼を受け止める。

 揺らめく火種のような温もりを、逃がさぬように包み込む。


「ごめ……っ!?」


「謝らないでください、悪いことなんてありません」


 心を切り裂く刃物な言葉は胸にうずめて私の心へ。


「大丈夫、私が付いていますから」



 彼のための一番いい方法。


 それはきっと自信を与えることでも自立を促すことでもなくて。

 ただ優しく包み込んで、望むもの全てをあげること。


 重く沈んだ彼の心はしかし脆くて壊れやすいから。

 傷に耐えられる心にするにはあまりに壁が厚すぎる。


 だから、何にも晒されないよう私がトウヤさんを守るのだ。


「私は、あなたを受け入れますよ」


「そんな…僕なんて…!」


 厚い心の壁。

 強く求めているから、だからこそ拒んでしまう。


 でもそれは辛いこと。

 辛いままで終わらないで欲しいから、私は彼の心を侵す。


「悲しいことを言わないで…? 私にだって、


「嘘ですよ、だってオイナリサマは僕なんかと違って…」


「いいえ、あなたが一番分かっているはずです。こんな神社に来るのはあなただけだって」


「そ、それは…」


「あなたが居なきゃ私だって独りぼっちなんです、神様だって独りは寂しいんです」



 神様にだってお願いしたいことは沢山あるから。


 あなたにこの身を捧げます。


「だから、私と一緒にいてくれませんか?」


「…はい!」


 あなたの心を私にください。




―――――――――




「……とまあ、そんな感じです」


「素敵なお話ね、私気に入ったわ」


「ありがとうございます。あなたも稲荷寿司、お一つどうですか?」


「遠慮しておくわ、そろそろ行かなきゃいけないし」


「そうですか、よければまた」


「いいえ…もう来れないわよ、こんな場所」


「……そうですか」


 階段はすぐに彼女を隠し、また二人きりの神社が戻ってくる。

 ほんの少しだけ安らいだような気分がした。


 舞い踊る風が私に目隠しを被せて、お茶の香りを運んでくれる。


「…あら、もしかして淹れてくれたんでしょうか」


「オイナリサマ、お茶できましたよー!」


「はい、すぐ行きます」



 思い立ったのは何のいたずらか。

 戯れに大きく鈴を鳴らしてみる。

 

「神様のご加護がありますように……なんて、変ですね」



 神様は私だけ。

 

 トウヤさんを守れるのも、救えるのも、そばにいられるのも、私以外であってはならない。


 人間はトウヤさんだけ。


 祈るのも、願うのも、私に何かを求める存在は、トウヤさん以外にいてはならない。


「……全く、何を考えてるんでしょうね」


 難しい言葉の羅列より、トウヤさんといる時間の方が大切なのに。


 私は思考をパタリと止めて、お茶の匂いを辿り始めた。


 目隠しは、更に私を盲目にする。

 この世界に差し込む光は、そばにいてくれるあなただけ。



 だから、この心もあげましょう。


 私は永遠に、あなただけの神様です。


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