第130話 統制組織にきな臭い動きがあるみたいで

 「玲子、そろそろやめておいたら?」


 「あと一杯だけ。綾人も付き合って」


 「うーん」


 家に帰る途中、玲子の提案で二人は乗り換え駅近くの居酒屋に入っていた。玲子とこういった店に入ることは滅多になく、酒に酔った姿も久しぶりに見る。ねねに会うために北海道に行ったときもそうだったが、玲子はそこまで酒に強くない。可愛らしさが何倍にも跳ね上がる一方、無防備さも増すため綾人は気が気でなかった。カウンターに座っていることもあり他の客の視線を意識してしまう。


 「もう落ち着いたでしょ。そろそろ帰ろうよ。皆心配するから」


 「大丈夫だよ。私たち子どもじゃないもん。最悪帰るのが朝になったって」


 「それは絶対駄目」


 「何よ。私と一緒は嫌なの?」


 「そうじゃなくて。ねねさん絶対怒るから」


 水を渡してあげると玲子は鼻を鳴らしつつそれを飲み干す。不貞腐れた態度に隠された気持ちはなんとなく理解している。今日、玲子は避けていたはずの世界で心を大きく揺れ動かした。期待していなかった分、反動が大きかったのかもしれない。これは思い出づくりの一環だった。


 「楽しくない?」


 「楽しいよ。でもずるいなと思って」


 「私のどこがずるいの」


 耳まで真っ赤にしているのは酒のせいだ。しかし、いつもより潤んでいる瞳に見つめられて、綾人は思わず玲子の頬に触れてしまう。暖かさが手に流れてくるのを感じ、嫌がられることもない。


 「こんな顔を見せられたって足枷のせいで何もできない。なのに、玲子は自由気ままに心に触れてくる」


 「試してるの」


 「それで約束を破らせようとしてるとか?」


 「違うよ。ところで、今日は綾人的に何か収穫あったの?」


 玲子が強引に話題を変える。綾人は白い目を向けた後、グラスを回してスパークリングワインの炭酸を外に追いやる。収穫はあった。しかし、妖狐の秘密とは関係のないところでの話だった。それをどう伝えるべきか考えていると玲子がまた日本酒を注文してしまう。


 「私は行って良かった。幸子ちゃんに会えたし綾人にも協力できた。それに、二人きりだったからいつも以上に楽しかったよ」


 「俺も玲子のことを知れて良かった」


 「それ駄目なんじゃなかった?」


 「そう思ってくれるなら嬉しいよ」


 綾人も大分酔ってしまっているのかもしれない。玲子はふーんと聞き流して、運ばれてきた日本酒に意識を移してしまう。綾人は今のうちに会計をしてしまおうと考えた。そうして店員を呼ぶために手を上げた瞬間、まるで蝿を捕らえる蛙の舌のように瞬発的に伸びた玲子の腕が綾人の背後で何かを鷲掴みにする。いつの間にか鬼の形相となっており、振り返るとすでに鬱血が始まりつつある男の手があった。


 「痛っ!姉貴何するんですか」


 「あれ、梅沢さん?お久しぶりです」


 綾人の後ろに立っていたのは梅沢だった。ただ、前回会った時とは雰囲気が違っていて、中年サラリーマンよろしくスーツ姿をしている。相手の正体を知った玲子は手を離す。


 「知った顔が居たから声をかけただけっすよ。何するんすか」


 「綾人に手を出したから。悪者かと思った」


 玲子は再び前を向いて酔っ払った横顔を綾人に見せる。梅沢は空いていた綾人の隣の席にどっしりと腰を下ろした。覗き込んでくるねっとりとした視線は玲子に向けられたものと思っていたが、最初に話しかけられたのは綾人だった。


 「なんかわしに言うことない?」


 「はい?」


 「そっちもそっちでここ数ヶ月大変だったのは知ってる。だけどさ、わしだって色々とあったんだぜ」


 「すみません。というと?」


 顔を向かい合わせると梅沢はにやけていた。会うのはこれが二回目である。一度目は裏社会のことを知りたいと願った綾人の希望を叶えるため、玲子が仲介してくれた時だった。その時に綾人は大切な話を聞いた。怪異には必ず生まれた理由が存在するという考え方だ。綾人は今も妖狐が生まれた理由を追いかけている。


 酒神との接触はその末に引き起こされた。結果、命を狙われて玲子と二人で恐ろしい夜を過ごした。梅沢はどうやらそのことを言っているようだった。


 「あの日、おふたりは統制組織に目をつけられた。ただ、その裏でわしも大変だったんだ。酒神の怒りを買って統制組織の執拗な追跡を受けた」


 「まさか私たちが戦ってる時にこそこそ逃げ出したなんて言うんじゃないよね?」


 梅沢は被害者として振る舞っているが、玲子の非難めいた視線にさらされる。確かに梅沢は酒神から二人を庇おうとしていた。玲子もそれは分かっていて冗談に違いなかったが、梅沢は慌ててそんな言い分を否定した。


 「もちろん最後まで二人の味方でいようとしました。酒神を説得しようと。でも、二人が襲われている時に酒神の連れがわしまで拘束しようとしたもんで逃げるしかなかった。それからは放浪の旅。後ろ盾もなかったからほとぼりが冷めるまで身を隠しているしか」


 「でも生きてる」


 「姉貴冷たいですよ。後から聞いた話だと、わしの追跡が止まったのは姉貴が捕まったタイミングでした。その情報を得たのも酒神が死んだと知ってからだったもんで」


 「無事で良かったです」


 綾人は玲子の代わりに表面上ながらそんな言葉をかける。情報屋をしている以上、このような危機は避けられないのかも知れないが、今回の件に関しては綾人にも責任がある。


 「ま、結果オーライ。詳細は知らないけど、酒神の死には二人が関わってるんだろう?ずっと裏社会を牛耳ってきた奴だ。一体何が?」


 「梅沢、その話はいらない」


 好奇心から梅沢が矢継ぎ早に質問をしていると、玲子から静かな声が返される。玲子はその後すぐ店員を呼んで会計をお願いする。梅沢はおしぼりで手を拭いただけで二人と一緒に席を離れることになった。玲子からは酒神の話をしたくないという雰囲気が溢れ出ている。綾人はその理由を知っているが、梅沢は不思議そうにしていた。


 会計を済ませると三人一緒に店の外に出る。千鳥足の玲子は綾人の腕を借りて歩いており、駅の方向に進み始めると再び梅沢が話しかけてきた。


 「それでお二人は今どんな生活を?ここには何しに?」


 「それは……」


 「私たちが裏社会から解放されて静かに生活していることが分からない?」


 「ええ、自分でも邪魔してるってことは分かってます。でも偶然会ったのも何かの縁。少し面白い話を聞いてくれません?」


 玲子は鬱陶しそうに眉間にしわを寄せる。冷たい態度は梅沢が裏社会と関わりが深いことに由来する。一方の綾人は心の中では話をしてみたいと思っていた。そんな葛藤は簡単に玲子に気付かれる。


 「次の電車は何時?」


 「えっと、次は……15分後だね」


 「それまでだったら構わない」


 玲子はそう言って近くのベンチに崩れるように座る。夜風を気持ちよさそうに感じていて、火照った顔が徐々にもとの白い肌へと戻っていく。時間を与えられた梅沢は早速話し始めた。


 「実は裏社会でちょっと奇妙な話が上がってるんです。統制組織にきな臭い動きがあるみたいで」


 「統制組織のトップが死んだんだから当たり前じゃないの?権力争いみたいな?」


 「そういうのとは少し違ってます。まず一つ目に統制組織をあの蛸山が指揮し始めたようです。これまで頑なに表舞台に出てこなかった蛸山の露出が増えてきている。おかげで目に見える権力争いは起きていませんが、変な話でしょう?」


 酒神との騒動で、蛸山は最終的な解決のために裏社会側の代表として現れた。瑞歩の父親であり、裏社会が今後綾人らに干渉しないということを約束した張本人だ。陰陽師だけでなく玲子もそれを完全には信じていないようだが、綾人は信じることにしている。穏健だとばかり思っていたが、統制組織を動かすという意味をよく知っている綾人はその話だけで不安になった。


 「それで二つ目は?」


 「これはまだ憶測ですけど、それがなにやら不老不死と関係しているとか。信憑性のない噂では、蛸山が一枚噛んでいた不老不死の研究が頓挫しかけていると。裏社会が秦製薬とズブズブだってことは知られた話ですし、そのあたりで何かあったのかも」


 「秦製薬、ですか」


 「あれ、何か事情を知ってます?」


 綾人はその名前を聞いて驚き、梅沢はその反応を見逃さない。秦製薬と裏社会の話はつい先日、和人から聞いたばかりである。不老不死の関与も一致しておりこれを偶然と捉えることはできない。玲子もそれを分かっていて、梅沢の好奇の眼差しから守ってくれた。


 「不老の話だから私たちに?」


 「もちろんです。姉貴は珍しいですから。妖狐って存在が公になった以上、酒神が居なくなったとしても裏社会の干渉は終わらないかもしれない。最悪の事態はいつも念頭に入れておいてください」


 梅沢は玲子を心配している。二人の関係を考えれば当然で、それに梅沢は綾人の身に起きたことを知らない。綾人がまた目に見えない恐怖と戦わなければならないのかと不安になっていると、既に見た目は素面の玲子も考え込んでいた。しばらくしてから立ち上がり、駅舎に備え付けられた時計を眺める。


 「ありがとう。感謝する」


 「いえ、とんでもないです」


 「そろそろ時間だから私たちは行く。梅沢も気をつけて」


 「分かりました。姉貴も気をつけてください。坊主も姉貴のことよろしく頼む」


 「はい」


 玲子と綾人は駅の改札に向かう。梅沢はそこで手を降って二人に別れを告げた。玲子は何も返事をしなかったが、綾人は手を振り返してホームに上がる。本格的な冬を迎えようとする中、嫌でも不穏な空気を感じてしまう。お互い、家に帰るまでこの話題を持ち出すことはなかった。

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