第125話 どうして玲子はそんな優しくしてくれるの?
「それで、その後はどうしたの?」
立山から戻った翌日、夜風が涼しいベランダで綾人と玲子は話をしていた。幹線道路と線路を挟んだ先にある高層マンションではほとんどの部屋に明かりがついている。電車が通過する間は声が聞き取れなくなるため大人しくそんな景色を見ていなければならない。貨物列車が通り過ぎた後は毎回気まずい雰囲気になっていた。
「その後はもう山を下りたんだよ。それで全部」
立山には仙人に関する情報を集めるために向かったが、結局成果を得ることはできなかった。それでも玲子は面白みのない土産話を楽しそうに聞いてくれている。仙人と出会えなかったことでむしろ安心しているようにも見えた。
「やっぱりそう簡単には見つからないんだね」
「うん」
綾人は玲子のもとにどんな顔で戻ればいいのかと本気で考えていた。しかし、そんな心配は意味がなかったと言わんばかりに玲子はいつも通りの優しい態度で接してくれている。一緒に行けないと聞いて涙を零して嫌がっていたはずだが、その時の怒りはもうないらしい。それは綾人にとってありがたい反面、失敗を予期されていたようで情けなく感じた。
「ねねったら酷いんだよ?綾人は怪異を呼び寄せる体質があるから、もしかすると仙人も簡単に見つけちゃうかもって。玉藻より凄い力を持ってるから、もしかしたらなんてことがあるかもしれないなんて」
「空回りで終わって良かったってことか」
「ううん。無事に帰ってきてくれて嬉しいって言ってるの」
玲子がそう訂正して綾人に満面の笑みを見せる。何度も触れてきた表情であるが、改めて玲子のことが好きなのだと自覚する。そんな気付きでまた胸が苦しくなっていく。綾人が目を背けると玲子は話を続けた。
「綾人が居ない間、斎藤先生のところに行ってたの。先生と相談してたんだね。はっきりは言わなかったけど、綾人が出掛けたことを話したら先生、珍しく考え込んだ顔をしてたから」
「先生にも迷惑かけちゃったな。玲子はいつも通りだったみたいで安心したよ」
「でも綾人がいなかった分、ねねが余計に過保護だった。話を上の空で聞いてたのが悪かったのかもしれないけど」
玲子がくすくすと笑う。その時、自分は一体何をしていただろうか。綾人はそんなことを考えて、やはり自分勝手なことをせず玲子の隣にいるべきだったと後悔する。妖狐の謎を解き明かしたいと思うのは他の誰でもなく玲子のためである。しかし、固執するあまり困らせてしまっていた。
列車がまた二人の邪魔をする。話を中断している間、綾人が気付かれないように玲子の横顔を見つめると、そんな視線はすぐにばれてしまって透き通った瞳に晒される。騒音が止んだ後、綾人は我慢できなくなって問いかけた。
「どうして玲子はそんな優しくしてくれるの?」
「え?」
「僕のこともう好きじゃないんでしょ。それなのに今まで以上に気を掛けてくれてる。どうして?」
「好きじゃない……」
「玲子がそう言った。妖狐の関係は呪いだからって。意味はよく分からなかったけど、でも玲子の言葉だったから大切にしてる」
心の内を正直に話しながら、それでも気丈に振る舞って玲子を不安にさせないようにする。納得いかないのは自分が至らないからだ。行動が結果を伴わないことも同じ理由で、綾人にはそれを受け入れる心構えが必要である。悔しくてもそうするしかなかった。
「でも、分からないんだ。玲子が矛盾してるように見える。気を遣ってくれてるのか、距離を置こうとしているのか。いっそのこと冷たくされた方が苦しくないのにって」
「………」
また困らせている。どうして毎回後になってからでないと気が付けないのか。綾人は手すりにもたれかかってため息をつく。すると、玲子も同じような体勢になって肩を寄せてきた。
「私のときもそうだったの。自分が何か人と違う存在なんだって分かった後は手探りになった。どうしてこんなことになっちゃったのかとか、これからどうすればいいのかとか。考えて考えて、それで何を考えているのかも分からなくなって」
玲子は遠くの空を見上げる。決して良い思い出ではないはずだ。綺麗な瞳は夜の光を反射しているが、声は少し低くなってその物語の本質を反映している。
「私は大昔に体験した。頑張って答えを探そうとして、諦めて時間に身を任せることにして。それで壊れちゃった。でも私は運が良かった。心に落ちていた影に飲み込まれる寸前に綾人が救い出してくれたから」
「重なって見える?」
「もうほんと、自分の昔の頃を見ているみたいだよ。手につくこと思いつくことは何でも試したくなる。そうしていないとおかしくなってしまいそうになるんだよね?」
「でも一人っきりじゃない。玲子がいてくれて、斎藤先生や有紗や遥音や。まだ恵まれてるはずなのに」
綾人と玲子の境遇は必ずしも同じではない。その意味を伝えようとすると玲子はそうだよと大きく頷いた。
「綾人にも時間が必要なんだよ。自分で納得できないと先に進めないから。でも途中で行き詰って倒れてしまうことだってあり得るでしょ?その時のために私はいるんだと思う。綾人がしてくれたように、苦しい時に力になりたいの」
「だから優しくしてくれてる?」
玲子がにっこりと笑顔になる。綾人には玲子を救い出したという大袈裟な感覚は持っていない。玲子が自死の瀬戸際にあった時、手を貸したのは自分がそれに加担したくなかったからだった。今では恋愛感情が芽生え、その淡い気持ちで隠されてしまっているが出会いはそんな始まりだった。
玲子はどうして気持ちを変えてしまったのか説明していない。そばに居ることの理由は教えてくれたが、玲子にそんな義務感しか残っていないのだとすればそれは綾人にとって悲しいことだった。いっそのことはっきりと聞いてしまおうかとも考える。しかし、それが二人のためになるとも限らない。
ベランダに出てからどれほど経ったのか。綾人が肌寒さを感じ始めたころ、後方で人の気配がした。玲子は綾人にしか見えない角度で眉を動かして邪魔が入ったと不満そうにする。振り返るとねねが窓枠にもたれ掛かって綾人を冷たく見ていた。
「玲子をほったらかして遊んできた話でもしていたの?」
「凄く天気良かったらしいよ」
玲子は即座に綾人の側についてくれる。しかし、ねねの視線はなおも力強さを保っている。単純に綾人の短絡的な行動を非難しているようだった。玲子に対してはいつものように猫なで声を出す。
「そろそろ中に入ったら?風邪ひくよ」
「そうしようか」
「一人で考え事はいいの?」
「ねねさん。ありがとうございました。これからしばらくは玲子のそばに居ようと思います」
挑発する意図はなかった。しかし、ねねの目がすうっと細くなって今にも額に血管が浮かび上がりそうになる。挟まれていた玲子は頬を膨らませた。
「二人とも、それが私のためだなんて思わないで」
玲子はそう語気を強めて部屋に入り、先にリビングへと歩いていってしまう。残された二人は少し顔を見合わせた後、競うように玲子の後を追った。
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