第124話 神なんて嫌いだ
下山後、綾人らは街の中心へと足を運び、そこで食事を済ませてから予約してあったホテルに向かうことにした。綾人がこの土地で予定していたことは全て終わった。結局、力のない者が行動したところで骨折り損となるだけ。今日は大人しく寝て、帰った後に身の丈に合った範疇で玲子のそばにいる。そんな気付きを得るためだったと考えて自らを正当化した。
「ねえ、綾人君」
廃れた繁華街を歩いていたところ、後ろを歩いていた有紗が立ち止まる。振り返ると路地裏に興味を示していて、綾人は手招きされた。遥音は有紗のそばにぴったりと立って眉間にしわを寄せている。
「なにか見つけたの?」
「占いだって!ちょっとやってかない!?」
綾人も有紗の横から路地裏に視線をやる。すると、細く暗い道の傍らに小さな机と卓上照明、それと一人分の影が見えた。遥音は警戒している。綾人も首を横に振った。
「占いは好きじゃない。人の弱みに付け入ろうとしてるだけ。嘘しか教えてくれないよ」
「そんな嘘でも心を軽くしてくれるかもしれないよ?」
「有紗様、やめておいた方が」
「いいの。私やってみようかな」
なぜそんなことを思ったのか。有紗は勝手に決めて路地裏に入っていく。遥音は渋々それについていき、綾人もそうするしかなくなる。気を遣われていることは分かっていた。
「こんばんは。今から良いですか?」
「……ん?三人かい?」
占い師の顔はフードで隠れていたが、声からそれなりに年の取った男だと分かる。有紗に声を掛けられるまでは寝ていたのか、客を待っていたようには見えなかった。
「私は大丈夫です」
「俺も」
「二人でお願いします。先に綾人君ね」
有紗は全く話を聞いてくれない。綾人が胡散臭く思って机に近づかないでいたところ、有紗に背中を押されて一歩前に出てしまう。客用の椅子はビールケースで代用されている。仕方なくそこに座るとようやく老人の顔が見えた。深いしわが入っているが、その瞳に老衰の影は見られない。綾人を注意深く観察しており、その雰囲気に気圧されてしまった。
「酷い顔をしておるな。わしが信用ならんか?」
「何を見てくれるんですか?」
「何でも。おおよそもう考えは読めた。思い悩んでいることがあるな?」
「誰だって悩みの一つくらいあります。なんとか効果ってやつです」
「あまり何でも疑ってかからん方が良い。探し物が遠のいていくぞ」
綾人が冷たく対応しても占い師は一切声音を変えない。後ろでは有紗と遥音が静かに話を聞いている。
「何しにここへ来た?住んでおるのはこの辺りではないな?」
「はい」
「何しに?」
「………」
正直に事情を説明することはできない。そこで綾人は適当な嘘を考え始めた。一瞬の沈黙が流れ、綾人は逆に占い師の挙動を注視する。なかなか思考が纏まらない。それだけでなく気を抜いた瞬間に本当の理由が喉から出かかり、綾人は慌てて口をきつく閉ざした。
「靴に泥がついておる。それと日頃の運動不足が祟ったか、歩き方がおぼついていなかった。山に行っていたな?となると立山か。観光か?」
「霊山だと……」
占い師は淡々とその日の綾人の行動を言い当てていく。それに驚いたわけではないものの、綾人の口から自然と言葉が漏れた。
「最近の若者がそんな理由で山に登るとは。しかし、見る限り修行というわけではないな」
「何か、見つけられるかもしれないと思ったので。自分がこれから何をすればいいのかとか」
「ふむ。まあそう隠そうとせずとも分かる。だが言いたくなければ言わんでも良い」
占い師は照明の向きを変えて綾人の顔を照らす。綾人が目を細めると、視界が狭まって占い師の顔が見えなくなった。綾人の知っている占いとは違う。具体的な質問があるわけではなく、虫眼鏡で手相を見るわけでもない。占い師は静かに結果を話し始めた。
「まず、生気がないな。自分の足で歩いているかもしれんが、心の中が死んでしまっている」
「心が死んでいる?」
「生きる意味を失っているということ。自分が何のために何をしているのか。何も分かっていないだろう」
「そんなこと!……ない」
綾人は思わず強く言い返す。すぐに冷静さを取り戻したが、それを聞いて占い師の肩が上下した。綾人がここに来たのは玲子のためである。何をすべきかまるで分かっていないが、玲子こそが自分の生きる意味だと確信している。それを否定されるわけにはいかなかった。
「自己犠牲なぞ誰のためにもならん。霊山を求めたのも自分のためではなかったか。このままでは腐り落ちるのも時間の問題か」
「………」
「綾人君は……あ、この人は綾人って言うんですけど、どうすれば心を取り戻せますか?」
綾人が黙ってしまったため、代わりに有紗が問いかける。老人は照明に寄ってきた虫を追い払ってから答えた。
「己のために生きることだ。他人に対する自己犠牲で神が納得するのは、生きる意味とその行動が都合よく一致したときだけ。普通はそんなことないのだから、自分の欲望を満たすことだけ考えればよい」
「また神ですか……」
綾人は呟く。神が存在するかはさておき、そんな曖昧なものに玲子の人生を賭けたくない。しかし、仙人に近づくときも妖狐を理解するときにも神という言葉が出てきた。どうしてそんなものを介さなければ玲子を救うことができないのか。綾人は納得いかなかった。
「言っておくが、人間が幸せに生きようと思えば、いついかなるときも神が関わる。神を満足させずして円満な生活などできはしない。その代わり、神は選んでよい。この土地の神でもよいし、西洋の神でも良い」
「じゃあ、あなたの言う神は何を求めてますか?俺はそれに応えられてないと?」
「そうなるな。神が望むはただ一つ。難しいことではない」
「何ですか?」
綾人は食い気味に問う。誰が神の存在を証明したのか。神など人間が生きる上で都合よく作り上げられた存在に過ぎない。反骨心からそんなことを考えていると、占い師は小さく首を横に振った。
「神は誰もが幸せになることを願っている。だが、幸せは一人では作り上げられぬ。なぜなら人間の幸福とはつまり、誰かに必要とされることなのだから。わしには君が幸せのようには見えない。後ろの二人はそう見えるか?」
返事はない。ただ、見えていないだけで頷いている可能性はあった。一方、綾人には怒りが募っていく。耳障りの良いことを言っているだけに過ぎない。玲子の過去を知る綾人はその考えと相容れなかった。
「神が人を苦しめることはない。そういうことですね?人を孤独に追い込むようなこともしないと?」
「言うまでもない。だが、試練を与えることはあるだろう。人間が道を外れた時、正しい道に戻すためだ。弱い人間はそこで逆らってしまう。自らの価値を失い、神に背を向けて生きる。それでは救済など夢物語だ」
「神なんて嫌いだ」
玲子を傷付けたのが神だというのなら、綾人は堂々と非難する。玲子に落ち度はなかった。永遠の命で縛り付けておいて、それを試練と正当化するなどもってのほかである。占い師は綾人の暴言にも表情一つ変えなかった。
「君が助けたいその子は、傍から見れば不条理を押し付けられただけかもしれない。だが、価値を持たない神の手など存在しない。君もその子も神の与えた道を信じて進めばいい」
「馬鹿馬鹿しい」
「では誰の言葉なら信じる?神本人か?それとも預言者か?はたまた、今日探していた誰かか?」
「自分だけ!自分で見つけた答えだけです!」
時間を無駄にした。綾人は勢いよく立ち上がってそう最後に吐き捨てる。しかし、同じ話を聞いていたにもかからわず、有紗が占い師に持った印象は違っていた。間髪入れず空いたビールケースに腰を下ろして占い師と向かい合った。
「次、私の占いをお願いします」
「彼には不評だったが」
「いいんです。私の恋愛運、占ってください。これからどうなりますか?」
綾人は苛立ちを抑えつつ有紗のやり取りを眺める。占い師は少し有紗の方へ身体を傾けて観察を始める。一瞬、綾人も視線を感じた。
「心の中では分かっている。それで正しい」
「言葉にするのが怖いんです。だから占ってもらってて」
「そうかい。上手くいかないよ。薬を少し手元に残しておくんだったね」
あまりにも辛辣な解答を前に有紗がその場で硬直する。それを見た占い師は手のひらを三人に差し出してきた。
「二人で一万円。この時代にも私を必要としてくれる人がいると知れたので割引している」
「帰りましょうか。お代は私が」
有紗はまだ銅像のように固まっている。遥音はそれを引っ張り上げてから支払いを済ませた。納得いかないことを聞かされただけであるが、綾人は割り勘にして半分を遥音に返す。そして真っ先に踵を返した。
「呪いは」
そんな時、後ろから一言声が掛けられる。遥音も有紗を連れて歩き出しており、綾人と一緒に振り返った。
「呪いは解くことができるから呪いなのだ。できなければ運命と変わらない。それに、意外と思うだろうが解く方が案外簡単だったりするものだ」
「ありがとうございます」
綾人は強引に話を終わらせて頭を下げる。心の中を覗かれているようで気持ちが悪い。呪いの話は一度も出していなかった。
有紗はまだ項垂れた状態でふらふらと歩いている。遥音が困ったように手を貸すと、有紗の顔が綾人に向けられた。
「せめて友達でいてね」
「ね、占いなんてしない方が良かったでしょ?適当なことばかり」
「ですが、それでは有紗様のこの取り乱しようは説明できませんね」
綾人の想像とは裏腹に遥音まであの占いの結果を許容する素振りを見せる。冗談を言っている割には真剣な顔をしていて、綾人にも占い師の言葉を受け入れるように諭しているようだった。
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