第123話 綾人君らしくないよ!

 「すごーい!遥音も見てる?」


 「はい。しっかりと」


 絶好の旅行日和に恵まれ、綾人と有紗、遥音の一行は紅葉が始まりつつある渓谷を上空から見下ろしていた。その横では黒部湖が眩しい光を反射している。綾人の隣では有紗が大はしゃぎしており、それを遥音が微笑ましそうに見つめていた。


 立山には観光で来たのではない。仙人に関する情報を集めることがこの旅の目的だった。しかし、そんな心持ちで臨んだ綾人も外の絶景に釘付けとなってしまう。どこまでも山々が続く光景はまさに深山幽谷という言葉が似合う。しかし、ロープウェーの中は人で溢れかえっていて、こんな鉄の箱を仙人が見上げているとは思えなかった。


 玲子を留守番させることになり、その代わりに連絡を取った有紗は二つ返事で同行を承諾してくれた。しかし、想像とは裏腹に諸手を挙げて賛同してくれたわけではない。話を持ち掛けた時から出発まで、一貫して気難しい顔を見せていたのだ。長野側から観光地化された山々に入り、その大自然に触れるうちにようやく機嫌を良くしてくれている。


 「段々と紅葉の色が深くなってる」


 「標高が高くなってるから。駅についたら結構寒いかもしれない」


 「綺麗だね」


 有紗が綾人の顔を見上げてにっこりと笑う。そうだねと答える綾人は一人で胸を撫で下ろした。頭では置いてきた玲子のことを心配する。


 駅に到着すると、大勢の人が入れ替わりで乗り込むために列をなして待機していた。綾人らはそれとすれ違って、今度は山の中を走るバスに乗り込む。到着したのは室堂と呼ばれる立山登山における拠点だった。


 「ここはね、昔から修験者が使ってた宿泊場なんだよ」


 「修験者?」


 「え、知らない?」


 ここも大勢の人で賑わっている。気温は低く、上着を羽織っていても少し寒い。ただ、周囲は人々の熱量で溢れ返っており、求めていたものと違っていて綾人は困惑してしまう。有紗はこの場所の成り立ちについて説明してくれている。綾人が上の空で聞いていると腕を引かれた。


 「仙人のことを調べに来たんでしょ?」


 「うん」


 「私ちゃんと下調べしてきたんだ。綾人君のため。それと信濃さんのためにも」


 「ありがとう。迷惑かけちゃって」


 綾人は心からそう思っている。それを伝えると有紗の表情は柔らかくなった。


 「こういう霊山で修行する人たちが目指していたのは、ある意味の仙人だった。酒神もその一人だったのかもしれない」


 「うん」


 「オカルトチックだけど本当にそれで不老不死の欠片を手に入れた人間がいる。そう思うと、笑って馬鹿にはできないね。日本じゃ仙人思想は仏教との混じり物になった。ということは神や仏への信仰心はそもそも必要ない?」


 説明している内に有紗は難しい独り言を呟くようになる。言っていることが分からない綾人は再びそれを聞き流した。


 綾人はここに仙人の痕跡を探しにきた。仙人という存在が実際にあるのか、あったとしてどんな教えを乞うべきか、綾人自身もよく分かっていない。把握していることは妖狐という呪いとの向き合い方や心構えが足りていないことだけである。


 「酒神は信濃さんに修行させようとしたんだよね?つまり日本式の仙人を目指したってことかな」


 「仙人にも種類があるの?」


 「仙人は道教に始まって、究極の目的は不老不死の獲得。日本式では修行でそれに近づこうとするの。でも、本場の中国では仙人になる過程はあんまり重要じゃないらしくて、もちろん修行も大切だけど、仙薬とかでとにかく不老不死になれれば良いって考えてたみたい」


 「詳しいね」


 「調べてきたって言ったでしょ?せっかく一緒に行くことになったから少しくらい役に立ちたくて」


 恥ずかしそうにしながらも有紗は自らの役割について考えを述べる。綾人は感謝する以外にそのお礼をしてあげられない。斎藤の考えを借りるならば、こんな有紗の行動も妖狐の特性に由来するのかもしれなかった。ただし、そのことを仙人に結びつけようとすると頭の中で疑問符が浮かぶ。


 建物の外は澄み切った空気に包まれていて、深呼吸をすると気分が落ち着いていく。また、振り返ると台形に大きな山々が並んでおり、信仰の対象となってもおかしくないと綾人は納得した。この近くには仙人池や仙人谷など、仙人という名を持つ地名が多くあるらしい。綾人は人が少ない方へと足を進めた。


 「仙人と妖狐の関係は分からない。だけど、玲子はすでに不老だったからそんなの必要なかったとも考えられないかな」


 「それは私も気になってた。信濃さんから何か聞いてないの?」


 「……何も話してくれなくて。しつこく聞くと嫌がられてしまいそうだから。それが怖くて聞けてない」


 綾人は玲子との距離についてその現状を説明する。有紗はそれを聞いてどもかしそうにする。遥音が次に口を開いた。


 「修行は脱俗世のためにするのだと見ました。酒神は玲子様にそのようなことを要求していたのではないでしょうか?」


 「脱俗世って具体的にはどういうこと?」


 「つまり日常と距離を置くということです。綾人様やその他の人との関係も捨てて」


 「やっぱそういうことになるのかな。だとすれば、仙人と妖狐ってその存在意義に関係性があるんじゃなくて、不老ってことだけに共通点があるのかもしれない」


 この場に斎藤や玉藻がいればと綾人は思ってしまう。綾人は周囲を観察して珍しい鳥が飛んでいることに気付く。玲子のために理解しなければならないが、空気が薄いためか頭はぼんやりとしていた。綾人がそんな様子でいると、有紗が簡単に噛み砕いてくれる。


 「仙人が生まれたのはもともと死をどう解釈するかって話に始まるけど、単純に長生きして俗世を楽しみたいって願望に由来するんだよ。だから昔の権力者は仙人になるための薬を求めた。仙人は目的じゃなくて手段ってことだね。でも、この国の修験者にとって仙人になることは目的そのものだった」


 「そんな違いが」


 「うん。だから妖狐の信濃さんに修行をさせた理由って後者なんだと思ってる。だって、不老不死が生活を楽しむための手段だとすると、信濃さんのこれまでの苦しみと一致しないよね」


 「確かに」


 「私の想像だけど、酒神は信濃さんが抱える苦しみを取り払いたかったんだと思う。孤独って結局、俗世にまみれて生活したことで起きる問題だから。こびりついた固定概念を捨てさせて、不老不死として生きるための適切な考え方を植え付けようとしたんじゃないかな」


 有紗は単に一つの可能性として話をしている。ただ、本当に酒神がそんなことを考えていたらと想像して綾人は思考を曇らせた。綾人や玉藻は強引にでも玲子を助け出すことに固執した。しかし、それがなければ玲子は孤独の苦しみから解放されていたかもしれないのだ。


 「有紗の考えが正しいとして、玲子にとってそれは良いことだと思う?」


 「それは人によると思う。仙人になりたいって思う人がいれば、寿命で死にたいと思う人だっている。信濃さんは綾人君と再会できて喜んでたんでしょう?」


 「そう……なのかな」


 「きっとそうだよ。だったら、信濃さんは孤独に苛まされると分かっていてその道を望んだってことになる。ライバルに塩を送るのは釈然としないけど、綾人君と一緒に居たいと願ったんだって伝わってくるよ」


 「でも苦渋の決断だったかもしれない。玲子は向こうで俺が妖狐だってことを聞いたらしい。それで、玲子は優しいから……」


 「そんなの本人に聞いてみないと分からない。でも、そんな考え方が愛情と相容れないわけじゃないと思う」


 玲子が綾人のために犠牲になるなど受け入れられない。そこに献身があったとしても、綾人の望みと何ら重ならないからだ。一方の有紗はそんな考え方が間違っていると告げている。


 「どうしてそう言い切れる?」


 「私も同じ考え方をすると思うから。自分と同じ苦しみを味わってほしくない。そこに愛情があったっておかしくない。信濃さんの場合、特にそうだと思うけどなあ」


 「でも俺は……」


 「好意を拒絶されたのは知ってる。でもそれが全てじゃない。想いをさらけ出して、最初の目的を果たせなかったら何の意味もないから」


 「そういうものなの?」


 「そういうものなの」


 有紗の言い草はまるで玲子の気持ちを全て分かっているかのようである。これほど淡白に物事を考えることができれば、綾人ももう少し玲子を安心させられる振る舞いができたのかもしれない。しかし、そんな独りよがりが玲子のためにならなかった場合を考えると怖くなる。遠回りになってしまう理由だった。


 一行はその後、霊山と呼ばれる所以を求めて山道を歩き続けた。どうして山が信仰の対象になるのか。考えながら歩いたことで綾人にも分かった気がした。ここには人間社会にはない特別な空間がある。人々はそれを神聖に感じ、魅了されるのだ。


 それでも仙人が顔を見せることはなかった。酒神がここに来て何をしていたのか。観光客に混じって大自然を満喫していたとは思えない。何を探しているのかさえ分かっていない目では大切な物は見つかりそうにない。


 「そろそろ戻った方がいいんじゃない?」


 「……そうだね」


 日が傾いてきて、登山道には綾人ら以外の人影がなくなる。下山のバスに乗り遅れるわけにはいかない。最終便から逆算してそろそろ時間切れだった。


 「綾人君?」


 「やっぱ、そう上手くいくわけないか」


 綾人は近くの岩に腰を下ろして溜めていた息を吐く。ほとんど運動をしない生活だったため両足とも悲鳴を上げている。このまま山を下りれば玲子のもとに帰れる。しかし、歓迎してくれるとは思えなかった。


 「二人にはまだまだ時間はある。私はいつでも協力するよ」


 有紗が隣に腰を下ろして優しい言葉をかけてくれる。深く考えると余計に気落ちしてしまう。雲の流れが速い。空回りする心がキリキリと痛んだ。


 「諦めたほうが楽かな」


 「え!?」


 綾人が何げなく呟く。すると、それを聞いた有紗は声を張り上げた。綾人が横を向くと目を丸くして驚いた顔が迫る。


 「綾人君らしくないよ!そんなこと言うなんて!」


 「……そうかな。俺が玲子の気持ちに納得できれば一緒にいることはできる。今回のことでまた玲子の気持ちを遠ざけてしまったかもしれない。そんなの続けてるとこっちがもたないからさ」


 「なにそれ?ちょっとおかしいよ」


 綾人の弱音に対し、珍しく有紗が強く反発する。綾人も本心からそうしたいと思っているわけではない。それでも、玲子の心が綾人に関心を示さなくなってしまうことが何よりも怖い。その可能性を考えると自分の行動が間違っているように思えた。


 「有紗はどうして今日、ついてきてくれたの?」


 「それは綾人君が好きだから。でも、私が好きな綾人君はそんなこと言わない」


 「いいよ。そんな肩を持たなくて」


 「私の時はそうだった。信濃さんの制止を振り払って私のことを助けてくれた。今でも鮮明に覚えてる。人のために無茶をするところが一番好きなの」


 豪邸が燃えている最中、綾人と玲子は森に隠れていた有紗を見つけた。玲子は統制組織との衝突を嫌がって関わることを避けようとしたが、その時の綾人は裏社会の情報を必要としていた。そうして有紗に手を差し伸べたことで今日に繋がっている。


 「そりゃ私にとって信濃さんは目の上のたん瘤かもしれない。最初の頃は信濃さんが自分の力を使って無理矢理に綾人君に近づいたことをよく思ってなかったから。でも、遥音を助けてくれた人だし、今では綾人君への気持ちが嘘偽りないものだってことも分かってる。私だって同じ。だからこうやって実らないことをしてる」


 「………」


 有紗にこんなことまで言わせてしまい、綾人は顔を合わせられなくなる。有紗も唇を噛んで自らの言葉に少し驚いていた。


 「お二人とも、そろそろ時間が」


 「もうそんなこと言わないで。不安を共有できる人がいなくなるなんてことは絶対にない。私が約束するから」


 「……ありがとう」


 「ほら、悩むのはまた後でも大丈夫。とりあえず今は戻らないと」


 有紗の言葉は直接的で綾人は純粋な気持ちから羨ましく思う。顔を真っ赤にした有紗は照れ隠しに綾人の腕を引いて一緒に立ち上がる。道を戻る間、その手は綾人を離してくれなかった。

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