第122話 ねねの馬鹿!

 莉子との話を終えた綾人が先に家に戻ったところ、部屋の掃除をしていた玲子はわざわざその手を止めて玄関まで出てきた。こうして帰宅を迎えられるのは久しい。そう思った矢先、その目が別のものを探していると気付く。鋭い視線に晒された綾人は仕方なくもう一度玄関を開け、時間差で戻るはずだった莉子を呼んだ。


 莉子が小走りで玄関をくぐると、玲子は不満顔で自らの気持ちを表現する。それを見た莉子はただちに頭を下げた。横で見ていた綾人は複雑な気持ちにならざるを得ない。


 「こうなるって分かってたから二人で話してたんだ」


 「そう……」


 「玲子とも少し話したいことがある」


 「私と?」


 綾人から先に声を掛けたのは、そうしなければ玲子が意識してくれないと思ったからである。玲子は綾人の要求に首をひねっている。避けられていると感じていたのかもしれなかった。


 二人が席につくと莉子がお茶を用意をしてくれる。玲子と向かい合う綾人は、ひとまず時間を使ってこの場の雰囲気を改善しようとする。玲子は目が合っても不気味に微笑むだけだった。


 「ねねさんは?」


 「出掛けてる。近くに住んでる友達に会いに行くって」


 「そうなんだ」


 ねねは玲子と同様に長い時間を生きているが、その交友関係は広い。二人にそんな違いがある理由はいまさら考えることでもない。ねねの知り合いの多くは怪異なのだ。誰にも邪魔されることなく話せる環境は綾人にとって都合が良かった。


 「実は近いうちに行きたいところができたんだ。莉子と話していたのはそのことで」


 「別に気にしてないよ」


 「それと、莉子は頑なに話してくれなかった。玲子がどう過ごしていたのか」


 綾人は莉子の肩を持つ。玲子もそう簡単に莉子が話すとは思っていなかったに違いない。それでも言葉にすることで全てが綾人の考えだったと伝える。玲子は小さく頷いた。


 「それで?行きたいところって?危ないところ?」


 「どうしてそう思うの?」


 「だって私に話してくれたから」


 「それは新しく約束したからだよ。妖狐のことがどうにかなるまで一緒にいるって。だから考えてること、ちゃんと話しておきたかった」


 綾人の気持ちは受け取ってもらえなかった。そのため、綾人が感じられる玲子との繋がりは、その時の約束に大きく依存している。そんな言葉を聞いて玲子は吹き出した。


 「別に私、綾人の全てを把握しておきたいわけじゃない」


 「俺が知っておいてほしいんだ。玲子に」


 「まだ気持ち変わってない?」


 「そんな簡単に変わるもんか。……なんで変わっちゃったんだよ」


 はっきり断言すると虚無感に襲われる。最後は力なく呟くだけだった。莉子は玲子の少し後ろから話を聞いている。顔を下げて綾人と視線が交わらないようにしていた。


 「それで、どこに行く予定なの?」


 「立山ってところ」


 「バードウォッチング?」


 「ううん。霊山らしいんだ。仙人が関係してるかもしれない」


 霊山と聞いて玲子の表情は固くなり、仙人という言葉で眉が大きく動く。上目遣いで綾人を見つめるのは考えを読み取ろうとしているからだ。綾人は生唾を飲んでそれを見守った。


 「やっぱり危ないことだった。私も行く」


 どこまで綾人の思考を手に入れたのか。腕を組んだ玲子は綾人の承諾を得ようとする。こんな返答は想定済みだった。綾人は即座に首を横に振る。


 「いいや、玲子はここで留守番してて」


 「どうして?さっき一緒にいるって言ったばかりなのに。もう忘れた?」


 「違う。一緒にいるっていうのはそんな物理的な意味じゃなくて……心のことだろ?ちゃんと帰ってくる。玲子を孤独になんてさせないよ」


 「綾人はこれまで何を見てきたの?そんな曖昧な言葉がどれくらい役に立った?」


 玲子が前のめりになって反論するのは単に心配してくれているからである。しかし、その優しさが綾人を苦しめる。今の玲子は昔と違う。そのことに気付かされるだけでなく、何も変わらないまま時間が永遠に流れてしまうような錯覚に陥った。


 「玲子がそう言ってくれるのは、俺が危ないことに足を突っ込まないか気になるから。言ってしまえば、お目付け役をしたいってことだろう?」


 「だって心配だよ。酒神が関わってたところだもん。行くべきじゃない。裏社会がどんな反応をするかだって分からない」


 「裏社会はもう関わってこないって」


 「信じられるわけない!」


 綾人が言い返すと玲子はさらに語気を強める。裏社会を信用できない。それは綾人も同じ考えであり、一生相容れない場所だという認識も一致している。それでも、玲子と一緒に行くことはできない。それは綾人の気持ちが大きく影響していた。


 「裏社会が心配だっていうなら、有紗たちに一緒に行ってくれないか聞いてみるよ」


 「どうして?私だと不安?」


 「そうじゃない!俺が妖狐だと知って、玲子は一緒にいることを半ば義務のように思ってる。玲子は優しい。だからきっと、自分と同じ道を辿らせないようになんて考えてる。そうでしょ?」


 「………」


 「嬉しいよ。でも同じくらい苦しいんだ。玲子の不安はよく分かる。でも、同じ妖狐だったとしても俺と玲子は全然違う。俺には俺なりの向き合い方があるんだ」


 「そんな……」


 玲子の肩ががっくりと落ちる。悲しそうな目で最後の訴えかけがあり、そんな表情に綾人の心は簡単に揺れ動いてしまう。しかし、これも玲子のためなのだと迷いを振り払った。


 「ねねと留守番しててよ。ちゃんとお土産買って帰ってくるからさ」


 「約束したのに」


 俯いてしまった玲子の顔は髪に隠れて見えない。こんな姿もまた、今までの玲子とは違う。これまでの強引さと引き換えに情に訴えかけていた。


 「ただいまー」


 状況は最悪と言っていい。そんなタイミングでねねの声が玄関から聞こえた。リビングに入るまでは軽快な声と足音をさせていた。しかし、部屋の光景を見た瞬間に肩にかけていた鞄を落として人が変わる。


 「玲子、どうしたの?」


 ねねは直ちに異変に気付いた。駆け寄って膝を床につけると玲子の顔を覗き込む。殺気を伴った眼光が続いて綾人を襲った。


 「やってくれたわね!」


 本気で掴みかかるつもりだったのかもしれない。綾人が感じた寒気は尋常なものではなかった。しかし、勢いよく立ち上がったねねは玲子に飛びつかれ、その動きを封じられてしまう。少し背伸びした状態で玲子の腕がねねの肩を強く抱きしめた。ねねは硬直する。


 「出掛ける用事があって、玲子に留守番しておくよう言っただけです。でも一緒に行くって聞かなくて」


 「それだけ?」


 綾人の状況説明の間、玲子は何度も首を振って嫌がる。ねねは玲子の味方になるべく高圧的に問いかけているものの、玲子に体を寄せられて顔が緩んでいた。


 「ねねさん、その間玲子のことお願いできますか?こんな様子で一人にさせたくない。でも、ねねさんと一緒だったら大丈夫だと思うんです」


 「ふーん。ま、そういうことだったらいいんだけど」


 ねねが欲望に負ける。言質を取ることに成功した綾人はお願いしますと頭を下げた。その途端、玲子はねねに預けていた顔を持ち上げる。むすっとした表情で二人を交互にみやった。


 「ねねの馬鹿!」


 「え!?私なにもしてないよ!」


 玲子はそう言ってねねから離れ、一人でいじけてしまう。焦ったねねは慌てて玲子の機嫌を取ろうとする。しかし、その日は態度が軟化することはなかった。

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