第121話 奥手が過ぎるのではないでしょうか

 週末の昼下がり、綾人が近所の公園のベンチに座っていると、玲子の私服を身に纏った莉子が小走りでやって来た。息を切らしつつ周囲を気にしているのは綾人がそうお願いしたからだ。何も言わなければ莉子はベンチに腰掛けることもしない。綾人は自分の隣に座らせた。


 「お待たせしてしまってすみません」


 「ううん、全然」


 呼び出された莉子はそこはかとなく緊張しているように見える。二人きりで話すことは滅多になく、それが綾人の呼び出しとなれば無理もない。警戒されていると分かっていた綾人は早速本題に移ることにした。


 「いきなりごめんね。ちょっと莉子さんに聞きたいことがあって」


 「玲子様のことですよね?夏乃様から少し伺いました。ですが、あの時間のことは話せません」


 莉子は話題についてある程度予想を立てていたらしく、先に綾人を牽制する。莉子は一貫して玲子の想いを尊重している。自らがどちら側に立っているのか宣言しているようでもあった。


 玲子を失った数ヵ月。その時間が気にならないと言えば嘘になる。ただ、今日の目的はそのことではない。妖狐の謎を明らかにすると決めた綾人だったが、瑞歩への協力依頼は上手くいかず、陰陽師も長年の知識の中に答えを持っていなかった。そんな中、次に白羽の矢が立ったのが莉子だった。


 莉子は裏社会で酒神に拾われた過去を持っている。以降、玲子と出会うまでは酒神を主人として生きてきた。生前の酒神は玲子に仙人の修行をさせようとしたといい、この世で仙人だけでなく妖狐にも最も詳しい男だった可能性が高い。酒神がいなくなった今、莉子が最後の頼みの綱だった。


 莉子が口を噤むのは玲子と過ごした時間についてのみ。酒神の考えを知ることは玲子の秘密を侵犯するものではなく、加えて玲子のためになるならば協力してくれる。綾人はそう踏んで話しかけていた。当然、玲子本人は芳しく思わないかもしれない。夏乃から話を通してもらい、莉子を一人で来させたのはそのためだった。


 「今日聞きたいのは玲子のことじゃない」


 「……そうですか」


 莉子は綾人と目を合わせて固まる。本来、二人に玲子以外の繋がりはない。余計に警戒されてしまったようで綾人は慌てて言葉を続けた。


 「聞きたかったのは酒神のことで」


 「酒神様……のこと?」


 「そう」


 「………」


 酒神の名前が出ると莉子ははっと息を飲む。今でも莉子は酒神を様付けで呼ぶ。それは過去に命を救ってもらった恩があり、玲子の一件があってなおその気持ちを忘れていないためである。綾人の話を聞くことがその気持ちと相反しないか確認しているのかもしれなかった。


 「ご存じの通り、私は酒神様を慕っていました。その気持ちは今でも変わりありません。ですから、例え玲子様に関係のないことであっても、場合によっては」


 「構わないよ。聞いてから考えてくれても」


 「分かりました」


 酒神が貶められることを憂慮しているのか、莉子はあえて自らの心情を言葉にする。綾人にそんな考えはない。玲子を危険に晒したことは許せないが、玲子の父親だと聞かされてからはその怒りが誰のためか分からなくなっていたのだ。親が子を幸せにすることの正当性を酒神は強く主張していた。それを頭ごなしに否定することはできない。


 「酒神さんは玲子に仙人の修行をさせようとした。そうだよね?」


 「約束をお忘れですか?」


 「あ、いや、ごめん。聞きたいのは仙人の方で」


 「仙人?残念ながら私はあまり詳しくありません」


 莉子は淡々と答える。綾人はそれを聞いてその通りだと納得してしまう。質問の内容は何度も考えていた。しかし、上手く言葉にできない。綾人はもう少し嚙み砕いた説明を試みる。


 「どうして酒神が仙人に詳しかったのかは知ってる?」


 「それは酒神様自身がいわば仙人だったからです」


 「……玲子と同じように長い時間を生きていたから?」


 「申し訳ありませんが、私には仙人の定義はわかりかねます。酒神様が自らをそのように表現されていましたので、その言葉を信じていただけです」


 本当に玲子が関係する話ではない。そう分かったからか莉子の肩から力が抜ける。きっちりと足を閉じて両手を膝の上に置いて座っているが、その拳は柔らかくなった。


 「じゃあ酒神も何か修行をしてた?」


 「そのはずです。そのお姿を拝見したことはありませんが、長期間不在にされることもありました。ただ、日常的な振る舞いこそが一番大切なのだとも仰っていました」


 「というと?」


 「生活の全てが仙人に通じているということです。食事の内容や取り方、睡眠時間や呼吸法。その全てが修行なのです」


 「うーん?」


 綾人は顎に手を当てて考える。仙人と妖狐は近い存在かもしれない。それは玉藻の説明や陰陽師が妖狐をそう呼称していることから推測している。一方、莉子の話はそのような共通点ばかりではないことを示していた。妖狐はそういった条件が満たされずとも生まれてくるからだ。


 綾人が思慮に耽っている間、莉子は居心地悪そうに待ち続けていた。しかし、途中で痺れを切らして綾人に問いかける。


 「……何を知りたいのですか?確かに、玲子様に関することは申し上げられないと言いました。けれどもう少し踏み込んでいただいても構いません。玲子様が第一ですが、玲子様が大切にされている砂海様もまた私が気を遣うべき一人なのです」


 高校生の年齢でありながら、どのような育ち方をすればこれほど他人に献身的になれるのか。嘘や偽りを全く感じさせない莉子の態度に綾人は感心してしまう。また同時に、玲子が自分の生活を見つけてほしいと言っていた理由がよく分かった。


 「そうだね……じゃあ玲子のことも少し絡めて話してもいい?その方が簡単かもしれない」


 「はい」


 「自分の時間もいずれ止まると知って、まず思ったのはこれで玲子の隣に居られるってことだった。でも玲子はそれをよく思ってくれなくて。妖狐を理由に壁が出来てしまった。だから妖狐のことをもっと知らないといけない。だけど上手くいかなくて」


 「だから仙人のことを」


 「そう。酒神が玲子に仙人の修行をさせようとしたのは、妖狐と仙人に何か共通点があるから。そこから妖狐に触れられると思ったんだ」


 「えっと……」


 事情を聞いた莉子は何かを話そうとして直前で思いとどまる。何度か思案顔をしてみせて、小さく首を振っている。何か綾人に遠慮をしているらしい。そんな躊躇いは玲子のためにならなかった。


 「思ったことがあるなら言って」


 「はい。何と言えば良いでしょうか。砂海様は少し、回りくどいと思います」


 「回りくどい?」


 「奥手が過ぎるのではないでしょうか」


 綾人が促した矢先、容赦ない指摘が飛んでくる。綾人が思わず声を詰まらせてしまうと、即座に莉子は頭を下げて謝罪した。間違った印象を与えてしまったと綾人は笑顔を取り繕う。


 「違う違う!ずっと言われ続けてることだからやっぱり莉子さんからもそう見えるのかと思って」


 「そうなんですね?」


 「斎藤先生や玉藻によく。最近だとねねもずっと。つまり女々しいってことだよね」


 「玲子様がそれを望んでいるようには思えません。それに、砂海様はそんな些細事を気にせず玲子様の心に触れられるはずです」


 「そうかな」


 「間違いなく。どうして玲子様が距離を置いたのかは分かりません。ですが、綾人様を想う気持ちは人一倍強い。砂海様も本気で嫌われたなんて思っていないでしょう?」


 莉子の丸い目が綾人を納得させようとする。玉藻や斎藤が相手ならばいざ知らず、年下の莉子にまで諭されると綾人の立つ瀬がなくなる。恥ずかしいと思うのは納得しているからだった。


 「その上で一つ、思い出したことがあります。酒神様、何度か霊山に通われていたことがあります。確か立山と仰っていたような。統制組織の活動の一環だったのかもしれませんけど」


 「霊山か……仙人が山籠りをして修行をするっていうのは聞いたことある」


 「あまり短絡的に考えないでください。覚えていることがこの程度ということなので。また何か思い出せばお伝えしますけど」


 「うん、ありがとう」


 莉子はなおも納得できていない。確かにこれは遠回りなのかもしれない。しかし、無茶をしたくない綾人は一つずつ出来ることをこなしていくしかなかった。玲子は簡単に振り向いてくれない。そうであれば、綾人もアプローチの仕方を変えなければならなかった。

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