第120話 普通に生きればいいってことさ

 その日の予定が終わった綾人はへとへとになって斎藤の研究室に戻る。久しぶりということもあり担任からは心配され、交通事故で入院していたと誤魔化すことに疲れていた。また、玲子と再会を果たしてから一日の大半を離れて過ごしたことはなかった。研究室に近づくにつれて気分だけは持ち直していく。


 「……あれ、玲子は?」


 扉を開けた時、頭は玲子のことで一杯になっていた。しかし、研究室にいたのは一人で作業をしている斎藤だけだった。その光景に思わず動悸が激しくなっていく。赤く染まる空を背にした斎藤の顔は逆光で暗かった。


 「玲子ちゃんなら莉子ちゃんのことで先に帰ったよ。連絡すると言っていたけど?」


 綾人はそう言われてポケットから携帯を取り出す。すると、確かに玲子から連絡があり、莉子が熱を出して早退することになったため迎えに行くとあった。綾人は残念に思う反面、安心も交じって最後に莉子を心配する。斎藤はそんな綾人を見て眉間に手を当てた。


 「砂海君ももう帰るかい?そこに玲子ちゃんが忘れていった弁当箱がある」


 「はい……」


 早く玲子に会いたい。そう思った綾人は弁当箱を鞄にしまってすぐさま斎藤に背を向ける。しかし、立ち止まって考えを巡らせるとソファーまで戻って腰を下ろした。斎藤が首を傾げる。


 「さっきの話の続き、いいですか?」


 「協力は得られなかったみたいだね。そんな気はしていたよ」


 「色々と難しいことを言われました」


 斎藤もコーヒーを手に持ってソファーに移る。夕陽が窓から差し込んでいる。斎藤は眩しそうに目を細めた。


 「それで?何の話がしたいんだい?」


 「……妄想でも構いません。妖狐がこの世に生まれた理由、先生はどう考えてますか?」


 「妄想でいいのかい?それとも、陰陽師としての考察を聞きたいかい?」


 「先生の考えが聞きたいです。それが陰陽師のものと同じならそれでも構いません」


 「そうだねえ」


 自分は妖狐だ。自覚はできないが、周りから言われ続けて綾人は信じている。腑に落ちる説明がないまま妖狐という枠組みを受け入れた綾人は、もはや厳密な定義を必要としていない。欲しかったのは玲子を説得できるだけの根拠だった。


 「分かったよ。でもまずは整理から始めよう。砂海君は妖狐と一番関係がありそうな要因は何だと考えているんだい?」


 「孤児です。俺も玲子もそうだった。そんな傾向があることは陰陽師の皆さんも言ってたことです」


 「そうだね。それが直接的な原因じゃないことも分かってる。他にはあるかい?」


 綾人はその他に玲子との共通点を探す。しかし、簡単には見つからない。どうして玲子は自分なんかにと考えていたくらいである。綾人は考えた末に黙ってしまう。


 「じゃあ私から。二人とも酷く嫌われていた。それをどう解釈するべきかは分からない。生まれることを望まれていなかったというべきか、心のどこかで殺意を抱かれ続けたというべきか」


 「嫌われてた……俺はそうです。でも」


 「ああ。砂海君は自らの出自を聞いただけでなく、肌で感じることもできただろう。陰陽師家系に怪異として生まれてしまった。両親がいないだけでなく、望まれもしなかった」


 「玲子は?そんな話、聞いたことないです」


 「そうだろう。あくまで私の想像だからね。玲子ちゃんだって生まれた時のことは覚えているはずがないし、周りの人間が伝えなければ分かるはずのないことだ」


 「じゃあどうしてそう思うんですか?」


 「砂海君は玲子ちゃんがどんな時代に生まれたのか知っているかい?」


 若干挑戦的な視線が綾人に向けられる。綾人は歴史についてあまり詳しくない。それを玉藻に笑われたことがあった。


 「苦しい時代です。飢饉があって」


 「なんだ知っていたのか。玲子ちゃんのことになると知識欲が湧くみたいだ。じゃあ口減らしというのはどうだい?」


 「口減らし?」


 「経済的に養えなくなった者を排除することさ。飢饉の時代は特に増える。食べるものがなくて自分の子供を殺したり売ったりというのはどこの国でもあったことだよ」


 「でも玲子は」


 「玲子ちゃんはそんな目に遭ってない。それは分かってる。だからこそさ」


 斎藤は丁寧に説明して綾人に理解させようとする。綾人は自らの至らなさを認めつつ斎藤に続きを求めた。


 「きっと玲子ちゃんが生まれた村の長は優しい人だったんだろう。こんな時代、普通は他人の子を預かるようなことはしない。きっとその人だけで玲子ちゃんを養えたわけではないだろう。村で食べ物を融通したと思う」


 「まさかそれが?」


 「十分に考えられる話さ。口減らしとして捨てられたとなれば憎悪は一時のものだっただろう。だけど、共に生きるとなれば恨みつらみは蓄積していく」


 斎藤は淡々と話している。時代背景をよく知らない綾人には当然その真偽を確かめようがない。妖狐との繋がりなどさらに想像が難しかった。


 「そうだったとして、でも玲子には少なくとも一人、育ててくれる優しい人がいた。俺だって家族がいたからこうして生きてこれた」


 「その通りだ」


 「先生はこのことがどう妖狐と関係してると思ってるんですか?」


 綾人は語気を強めて問いかける。梅沢はどんな怪異にも生まれた意味があると言っていた。これに当てはめると、妖狐の存在意義が不幸を持って生まれた人間をさらに絶望させて死に追いやるためではないかと考えてしまう。ただ、斎藤は正反対の可能性を指摘した。


 「妖狐という存在を好意的に捉えると、長命を与えて同じ妖狐と巡り合うためとかだろうか。現に君たちは出会った」


 「まさか。だったら俺たちの問題はもう解決してるはずです」


 「そうだね。あと、もう一つ気になってることがある。君たちはやけに人に好かれるよね。お互いが惹かれ合っただけでなくて、周りの人を巻き込んでる」


 そうだろうと斎藤が同意を求めてくるが、綾人はこれにも懐疑的な考えを持つ。綾人が机の一点を見つめて黙っていると斎藤が続けた。


 「玲子ちゃんは言うまでもないけど、砂海君だってそうだ。あの玉藻さんが玲子ちゃんの隣にいることを認めたくらいなんだから」


 「それが妖狐の能力?」


 「どう言えばいいかな。マイナスの状態で生まれた人間を神は人生が終わるまでにプラスへと好転させたい。そのために必要な時間を与えられているとしたら?」


 「そんな神は馬鹿だ。先生も知ってるはずです。玲子は与えられた時間のせいで孤独を被った。人生を好転させるため?あまりにも馬鹿げてる」


 「砂海君の言う通りだ」


 斎藤は意見を言って綾人に否定させた後、簡単に同意してしまう。それを不可解に思った綾人が顔を覗くと、斎藤は少し笑っていた。


 「なんですか?」


 「いや、あまりに真剣だからね。感心してしまった」


 「自分だけじゃなく玲子のことなんですよ?」


 「分かっているさ」


 「じゃあどうしてそんな……」


 「今の砂海君を見ているとこの議論が果たしてどれほど意味のあるものなのかと思ってね」


 「どういうことですか!?」


 斎藤の冷たい言い草に綾人は噛みつく。すると斎藤は即座に手を横に振って誤解だと伝えた。もうすぐ陽が沈む。斎藤は部屋の電気を付けるために立ち上がった。


 「複雑に考えすぎてるような気がしてならないんだ。そもそも、神は妖狐に妖狐として生まれた意味を理解してほしいと思っているだろうか?もっと単純で簡単な目的があるんじゃないかな。なぜなら、妖狐というのは言い換えれば時間が与えられただけの人間。もっと定義の難しい怪異は他にいくらでもいる」


 斎藤の考察は難しい。しかし、どこかで納得してしまいそうになる。整理しているはずの思考が余計に散らかっていく。


 「私の結論だけどね。人間は人間として生きる以上のことを求められてないと思う。そのために神は私たちに足りていない物を与えるんだ。普通に生きればいいってことさ」


 「普通に生きる」


 「難しいことは分かってるよ」


 そんなに簡単な話ではない。綾人は頭の中で何度も否定する。しかし、その提案は魅力的に聞こえた。もし難しいことを何も考えることなく玲子と普通に暮らすことができたら。誰もが叶えられなかった夢だった。


 「あまり私の言葉を深く受け止めないでほしい。きっと砂海君はこれからも玲子ちゃんのためにできることをしていくんだろう。私は応援するよ」


 「……はい」


 「それと、砂海君は私のことを玲子ちゃんの母親代わりだと言ったね?」


 「まだ怒ってますか」


 「そうじゃない。その立場で見ると嬉しく思ってね。玉藻さんが一人でここに来た時もそうだった。玲子ちゃんのためにこんなにも真剣に悩んで考えている人がいる。私もその一人のつもりでいるが、ここで玲子ちゃんと話している時にふと思い出すと嬉しくなるのさ。砂海君が諦めない限り、玲子ちゃんは大丈夫だってね」


 斎藤はそう言ってまた笑う。綾人はその表情の意味を知って照れ臭くなった。確かに綾人は最後まで玲子のそばに立ち続けたいと思っている。気になることは玲子がこんな綾人の考え方をどう思うかだった。

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