第21話 こんな可愛らしいの作っちゃって

 「そろそろ機嫌直せよ」


 「別に機嫌悪くなんてない。早く帰ろう」


 日はとっくに沈み、校内は真っ暗闇に包まれている。綾人あやとの少し前を歩く玲子れいこは、先程から顔をこちらに向けようとしていない。綾人が声を掛けても冷たく返されるだけだった。


 玲子は瑞歩みずほからの贈り物を知ってへそを曲げてしまった。クラス全員が貰っていたと伝えても聞く耳を持たず、他にくれる人などいないと言っていた綾人を嘘つきだと垂らしている。


 「玲子、早く乗ってくれ」


 駐輪場は点滅する蛍光灯で僅かに照らされており、綾人が跨る自転車の他には放置自転車が数台残っているだけである。玲子は渋々といった様子で荷台に腰かけた。


 「ちゃんと掴まって」


 「うん」


 玲子の腕が腰を軽く締め付けてくる。それを確認してから綾人はペダルに力を加えた。


 静かな時間が流れ、二人は順調に帰路を進んでいく。このまま家に帰れば夏乃かのに何を言われるか分かったものではない。そんなことを危惧した綾人が声をかけようとしたところ、先に玲子が口を開いた。


 「……本当に機嫌が悪くなったわけじゃないからね」


 「じゃあいつも通りに戻ってほしい」


 「私はいつも通りだよ。……でも」


 せっかく話し始めた玲子が口籠る。暗い住宅街からは、時折空腹を刺激する夕飯の匂いが漂ってくる。綾人はさらに力を込めてペダルを踏む。


 「もやもやしたのは本当。……今日が何の日なのか本当に忘れてたの?」


 「ごめんな。でも玲子を気にしてなかったわけじゃない。むしろ玲子のことを色々考えてて」


 「……綾人、すごく恥ずかしいこと言ってるよ?」


 「それに美味しかったよ。変なこと疑って悪かった」


 綾人は玲子の気持ちに応えられないが、玲子とありふれた日常を過ごすことはできる。今も綾人が恥ずかしい思いをするだけで元通りになるのであればそれでよかった。


 「夏乃ちゃんと一緒に作ったって言ったでしょ?溶かして固めただけなんだけどね」


 「溶けて固まれば別物だ。そうだろう?」


 二人きりだからこそこんなことが言える。時折、玲子と話しているとちゃんと羞恥心を持っているのか気になることがある。今はその感覚につられたのかもしれなかった。


 「お菓子もいろいろ作れるように勉強するね」


 「ああ、暇なときに俺にも教えてくれ」


 綾人が学ぶべきは食事のレパートリーである。しかし、玲子がそのことで意地悪を言ってくることはなく、キュッと腕に力を入れて返事をした。


 自転車は大通りを避けて家に近づいていく。そうして帰路も半分を過ぎたとき、唐突に人影が自転車の前に飛び出してきた。二人分の体重のために制動距離は長くなる。それでも自転車は余裕を持って停止した。


 「どうしたの?」


 「人が飛び出してきた」


 両手を広げた人影が目の前に立っている。ライトに照らされた姿は女性のようだったが、今は消えて分からなくなっている。


 「砂海綾人君ですか?」


 女性の声が響き、人影がゆっくりと近づいてくる。そばに近づいてきてようやく、その人が近くの女子高の制服を着ていることに気付いた。高校生のはずであるが玲子よりも大人びて見える。落ち着いた様子が余計にその印象を際立たせていた。


 「こんばんは。鹿野有紗しかのありさと言います」


 「砂海です」


 ひとまず社交辞令の挨拶が交わされる。綾人に見覚えはない。それでも有紗はまっすぐ綾人と目を合わせていて、後ろの玲子は目に入っていないようだった。


 「急に止めてしまって申し訳ありません。実は、綾人君にお渡ししたいものがありまして」


 「綾人君?」


 後ろの玲子が顔を出して反応する。しかし、有紗はそれを気にすることなく綾人にラッピングされた直方体の箱を手渡した。綾人は無意識に受け取ってしまう。


 「チョコレートです。今日はバレンタインですから。是非、お一人の時にお開けください」


 有紗はにっこりと笑って箱を持つ綾人の右手を優しく触る。驚いた綾人だったが、暖かい感覚が恐怖を植え付けるものではなかったため対応に遅れる。その時になって玲子が荷台から飛び降りた。


 「ちょっと何してるの?」


 「それでは私はこれで失礼します。またすぐに会うことができると思いますから、その時に感想を聞かせてください」


 「待ちなさい!」


 怒った声を出す玲子が有紗に近づこうとする。綾人がそれを制止すると、有紗は小さく頭を下げて暗い住宅街に消えていった。


 「綾人!?」


 「……帰ろう」


 「いやだ!あの人が誰なのか教えて!」


 綾人は荷台を示して玲子に座るよう指示する。しかし、今回の玲子はそれに従おうとしない。綾人と面と向かって対立した。


 「あの人誰?」


 「知らないよ。こっちが聞きたいくらいだ」


 「隠し事は良くない」


 「何も隠してなんかない。本当に知らないんだ」


 綾人は何一つ嘘をついていない。それでも、玲子を納得させられないことは分かっていた。どうして有紗が綾人の名前を知っていたのか説明できないからである。


 「……私は綾人が誰と仲良くしてたっていいけれど」


 「後で頑張って思い出してみるよ。今は帰ろう。夏乃が腹を空かせて待ってる」


 「誤魔化さないで。私すごい嫉妬してるんだから」


 「分かったよ。とりあえず後ろ乗って」


 もう一度優しく促す。すると、玲子は荷台に腰をつけた。


 「これ持ってて」


 チョコレートに執着していないことを示すため、貰った箱を玲子に預ける。玲子はひったくるようにそれを受け取った。


 「あの人おかしいよ。なんか危ない感じがする」


 「同感だ。普通の人が取る行動じゃなかった」


 「それに私のことを無視したし」


 玲子は無視されたことに怒る。有紗が玲子に反応しなかったのは玲子が神通力で姿を隠していたからだと綾人は思っていたが、そうではないようだった。


 「はあ……こんな可愛らしいの作っちゃって」


 自転車を漕いでいると後ろからガサガサと音がする。ラッピングはくしゃくしゃに丸め込まれて綾人の上着のポケットに突っ込まれた。


 「勝手に開けるなよ。一応は貰い物なんだから」


 綾人が注意しても玲子は全く反応しない。その後、間を置くことなくボリボリとチョコレートを噛み砕く音が聞こえてきた。


 「普通ね。溶かして固めただけじゃん」


 玲子がそう言って鼻で笑う。綾人はそんな玲子に溜息をついた。

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