第20話 昼休みにいませんでしたよね?
二月半ばのとある平日の昼休み、
「おまたせ」
「やっと来た、遅いよ」
良いとも悪いとも言えない結果を受け取り終えた後、綾人は一人で斎藤研究室に向かう。冷え込む外気から逃げるように部屋に入ったところ、待っていたのは
「ところで、今日は何があるの?」
「何って……ねえ」
気分を良くしている綾人の質問に玲子がもじもじと照れ臭そうにする。現時点で返却されたテストの中に赤点はない。それだけで満足できる綾人は玲子の些細な感情の揺れに気付けなかった。斎藤はそんな二人を怪訝そうに見ている。
普段、昼食を一緒に取ることはしない。綾人は教室で食べて、玲子は斎藤と一緒に食べるのだ。しかし、今日は家を出る前から昼食時には研究室に顔を出すよう執拗に指示されていた。
「これ、バレンタインのチョコ」
綾人が先に弁当の包みを開け始めると、玲子が慌てて綺麗に包装された箱を差し出してくる。一瞬何のことか分からなかった綾人が固まっていると、玲子はさらに腕を伸ばした。
「くれるの?」
「見せびらかしているだけだと思う?」
「いや……」
壁にかかるカレンダーを見てようやく事情を理解する。受け取った箱は大きさの割に重さがあった。
「もう綾人ったら、恥ずかしいからって忘れてたふりするなんて。私がいなかったら一つも貰えてないもんね」
玲子が額の汗を拭う。すると斎藤はニヤニヤと目を細めた。
「これのせいで午前中は何も進展しなかったんだ。どうやって渡すかとか、朝に素振りを見せなかったから愛想つかされてるんじゃないかって煩くてね」
「あ、いや、言わないで!」
「朝?」
狼狽える玲子の横で綾人は今朝のことを思い出す。しかし、綾人には遅刻しそうな中で騒々しく準備をしていた記憶しか残っていなかった。
「朝に何も言わないで
「もう!」
「いいじゃないか。結局その作戦は失敗したんだから。砂海君、今の今まで気付いていなかった」
「そんなわけないよ。内心では期待してたんでしょ?」
顔を真っ赤にする玲子から指摘が飛ぶ。綾人は小さく頷いた。
「いつもはね。だけど最近は色々あり過ぎてそれどころじゃ。でもありがとう」
「……お礼は食べてから」
「ああ、せっかくだし開けてみようかな」
玲子の仕草にしどろもどろになりながら丁寧に包装を剥がしていく。中に入っていたのは綺麗に成形された手作りのチョコレートだった。
「
「弁当の後にしようかな。これはデザートということで……」
「一つ食べてみてよ」
綾人の声にかぶせて玲子が力強く要求してくる。綾人はやけに積極的な玲子を訝しがった。
「なあ玲子、ただのチョコレートだよな?」
「そうに決まってる。食べれば分かるよ?」
「変なもの入ってないな?」
「入ってないよ!」
必死に否定する姿が逆に嫌な想像に繋がる。綾人がひとまず弁当に手を出すと、唇を尖らせた玲子に睨まれた。
「放課後一緒に食べよう。昼休みはもう時間ないし、色々感想だって言わないといけない」
「……終わったら早く来てよ?」
「テストがとんでもないことになってなかったらすぐに行くよ」
「はぁ、そろそろもういいかな?私のコンビニ弁当を腐らせないでくれ」
綾人と玲子が小競り合いをしていると斎藤が間に割って入って文句を言う。綾人がそれに苦笑いを浮かべると玲子が意味深な視線を向けてきた。
「な、なに?」
「綾人、もしかして他の人からも……」
「ないない。馬鹿なこと言ってないで食べよう」
恥ずかしげもなく玲子が嫉妬する。そんな剥き出しの感情に綾人は箸の先を見つめた。ここまで露骨にされるとどうしたらいいのか分からなかったのだ。
「君たち次からはよそで食べてくれるかい?」
痺れを切らした斎藤が大きく鼻を鳴らす。ただ、それからも玲子はことあるごとに気持ちを押し付けてきて、食事はなかなか喉を通らなかった。
放課後も速やかに研究室に来るようきつく命令された後、綾人は遅れそうになりながら教室に急ぐ。教室の扉の前では
「おーい、綾人?こそこそと一体どこへ行ってたんだ?」
「何でもない」
「弁当箱まで持って怪しいったらありゃしない」
綾人は祐輝を手で払って横をすり抜け、席に着く。どこから玲子のことが漏れるか分かったものではない。綾人は何も話さないように心掛ける。しかし、祐輝の目的は綾人の追及ではなかった。
「どこに行ってたのか知らないけど、残念だなあ」
祐輝が何かを手に持って笑っている。よく見てみると市販のチョコレート菓子だった。
「さっき配布があったんだなー。いなかった綾人は貰えてないみたいだけど」
「……まじかあ」
綾人は雰囲気に乗って情けない声を出す。すると祐輝の高笑いが響いた。
「もったいないことしたなあ!クラスで寂しいのはお前だけだ」
「そろそろ席についたら?」
「腹立つよなあ?」
「めちゃくちゃな」
「友達として探したけど見つからなくてさあ」
祐輝は嬉しそうに自席に戻る。綾人はそんな後ろ姿を見送ってからため息をついて弁当箱をしまった。羨ましいかと言われれば羨ましい。その後は誰が配ったのか気になりながら赤点スレスレのテストに嘆息した。
午後の返却が終わると、綾人は即座に帰宅の準備を始める。奇跡的に赤点はなかったため、喫緊の懸案事項は玲子からの命令だけとなる。
教室を出るときは祐輝だけを気にする。祐輝は赤点で返ってきたテストに絶望しており、綾人はそれを横目に廊下に出る。これで問題はない。そう思った矢先、背後から名前を呼び掛けられた。
「砂海君、待ってください」
「い、委員長?どうしたの?」
「えっと、お話があって。砂海君は帰るところですか?」
「え、あ、うん」
「私も帰るところなんです。……取り合えず歩きませんか」
瑞歩に催促されてゆっくりと歩き始める。瑞歩がそばにいては研究室に向かえない。綾人は仕方なくそれについていった。
「……何か話でもあった?」
「あ、いやその……これなんですけど」
瑞歩が鞄から丁寧に何かを取り出す。それは透明の袋に入ったクッキーだった。
「昼休みにいませんでしたよね?実はその時に」
「そうみたいだね。祐輝が喜んでたよ」
「その時に渡せなかったので。これは砂海君ので、美味しくないかもしれないですけど」
厚意で渡されたクッキーであるがやけに重い。綾人は受け取るなり鞄にしまう。
「ありがとう。家で頂くよ」
瑞歩の手作りであれば食べることに抵抗はない。瑞歩はそれを聞いて喜んだ。
「砂海君は自転車ですよね?私は電車なので」
一緒に校門まで歩く中、駐輪場との分かれ道に近づくと瑞歩から別れの挨拶を切り出してくる。綾人にとってこれはチャンスだった。
「そうだね。本当にありがとう」
「はい。それじゃ春休み満喫してくださいね」
「委員長もね」
笑顔の瑞歩が足早に校門を通り抜けていき、綾人はその後ろ姿を見送る。腑に落ちない感覚が残り続けている。ただ、玲子との約束を思い出して、慌てて校舎に戻った。
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