第19話 やっぱり兄ちゃん女々しい

 玲子れいこがやって来て三週間が過ぎた。テストが終わると春休みが始まり、この日は綾人あやとだけでなく玲子と夏乃かのも家で怠けていた。


 最初の一週間は綾人にとってまさに手探りだった。話しかける言葉や距離感など些細なことで困ってしまう。そうして気の休まる時間のない毎日が続いたのだ。ただ、三週間も経てば、玲子が妖狐という存在とはいえ普通の人間だということが分かっていった。


 玲子は極めて真面目な性格で協調性を重んじている。慣れない生活にもかかわらず他人行儀になり過ぎることはなく、特に夏乃と仲良くしている。警戒していたのは綾人だけで、試験勉強に追われるとそんな意識も淘汰されていった。


 「皆さんにお話があります」


 「どうしたの?急に改まっちゃって」


 昼下がり、玲子に呼ばれた綾人と夏乃はこたつで向かい合っていた。玲子だけが軽く身なりを整えていて、二人の注目が集まると後ろ手に隠していた一枚の紙を机に置く。


 「やっと住むところを決めました」


 「えっ!?玲ちゃん出て行っちゃうの?」


 玲子の言葉と同時に夏乃が手をパタパタと振って慌てる。一方、綾人はその話を覚えていたのかと一人感心した。不動産屋で貰ってきたのであろう紙にはとある物件情報が記載されている。


 「部屋は空いてたんだけど、準備に時間がかかるって言われてたの」


 「これ、隣のアパートじゃないか」


 「うん。ここしか狙ってなかったから」


 「本当に隣に住む幼馴染になるんだ!凄い!」


 態度をコロコロと変える夏乃が今度は体を上下させて喜ぶ。当然、隣に住んだとしても幼馴染になることはない。


 「302号って割といい部屋だな。家賃も相場くらいだし」


 「そこが空いててラッキーだったよ。そこのベランダからだと簡単にここのベランダに飛び移れるから」


 「はい?」


 「戻るときも跳べばアパートの雨どいに手が届く」


 不思議な説明に綾人は首を傾げる。距離が近いことを言いたかったのであろうが、言うまでもなくそんな行為は容認できない。


 「見られたら通報されるだろ」


 「ばれないようにするの得意だから」


 「一回でもやったら出禁だからな?」


 「私が入れてあげるもんねー」


 綾人が正論で対応しても常に夏乃が玲子の横に立つ。こんな場面は三週間で何度も見受けられた。今一番の綾人の悩みの種となっている。


 「それは冗談。でも三週間もかかっちゃってごめんなさい」


 「別にいいんだけど、正直忘れてると思ってた。それか分かってて押し通そうとしてるかって」


 もともとの予定では玲子との共同生活は一週間だった。しかし、気が付くと勝手に延長されていて、その結果早苗らと鉢合わせかける事件も起きたのだ。


 「言ったら止めさせられると思って言えなかったの」


 「しないよそんなこと……引っ越しはいつ?」


 「明日にはもう入居できるって。荷物なんてほとんどないから鍵を受け取ればいいだけ」


 「もしうちの押し入れにある物で使いたいのがあったら持っていって良いよ」


 現在の玲子の所持品は衣服や日用品程度である。家が決まったことは喜ぶべきことだが、外枠があるだけでは家とは言わない。ひもじい思いをさせるわけにはいかず綾人は提案する。


 「ありがとう。でも必要なものは自分で買うから大丈夫」


 「それだとお金かかっちゃうよ」


 夏乃も提案に甘えるよう促す。玲子には貯金があるらしいものの、現在のところは無収入である。三週間が経ったとはいえまだ一週間先の事情は分からない。極力無駄は省くべきだった。


 「斎藤先生のところに行ってるからまともに働く時間もないだろ?早いうちにその解決もするべきだろうけど、今はありがたく持っていってほしい」


 「そうだよ玲ちゃん。お布団とか座布団とか持ってって。洗濯とかご飯はこっちでしたらいいし」


 「でも、私は情けを受けるためにここに来たんじゃないの。綾人と対等でいたい」


 「そんなこと気にする性分じゃないだろ?」


 「そうだったとしても。それに、働く場所はもう見つけてあるの」


 姿勢を正した玲子が続いて別の紙を取り出す。近所にある学習塾のチラシだった。


 「これは?」


 「ここのアルバイトに採用されたの。だから、少ない収入だけどちゃんとある」


 「玲ちゃん、いつの間に?」


 「二人がテスト勉強で忙しくしてた時に応募したの。面接も受けてきた」


 玲子が胸を張って得意げにする。玲子の行動力は知っているため今更驚くような話ではない。しかし、綾人は少しの不満を持った。


 「なんで何も言ってくれなかったの?」


 「決まってからの方が良いと思って。私のことで悩んでもらうのも良くないと思ったから」


 「いや、そういうのは教えてほしい。急に言われると、なんていうかびっくりする」


 玲子は何ら間違ったことをしたわけではない。それでも綾人は無意識に声を張ってしまう。するとすぐに、こたつの中で夏乃に足を小突かれた。


 「なんでちょっと怒ってんの?なんか女々しいよ?」


 「違うって」


 「心配してくれたんだよね。ありがとう」


 綾人の受け止め方とは異なる玲子の軽い声が響く。綾人はさらに言い返してしまう。


 「そうじゃない。例えば、俺が何の相談もなしに裏社会に足を突っ込んだらどうする?絶対怒るだろ?」


 「当たり前でしょ」


 「それと同じだよ。隠し事が嫌だと言ってるんじゃない。相談がないと信頼されてないんじゃないかって感じる」


 「やっぱり兄ちゃん女々しい。別に目くじら立てるようなことじゃないのに」


 「……そうかな」


 夏乃にややきつい口調で応戦され、綾人は自分が間違っているのかと尻込みしてしまう。しかし、崩していた足を正して少し背が大きくなった玲子は小さく頭を下げた。


 「ううん、私が分かってなかった。今まで一人で決めることばかりだったから。これからはちゃんと相談する。……頼ってもいいんだよね?」


 「あ、ああ」


 威勢よく前に出たのは綾人だったが、玲子のか弱い声にどんな顔をすればいいのか分からなくなる。あまりにも稚拙だった。そんなことに後から気付き、顔の火照りに羞恥心を煽られる。


 「まあ、玲子が決めたことに反対なんてしない。忙しくなるかもしれないけど頑張って」


 「うん。これからもよろしくね」


 「私は兄ちゃんがおかしいと思うんだけどなあ」


 依然として夏乃は腑に落ちていないようである。ただ、安易に反応しては墓穴を掘ることになりかねない。綾人はテレビに興味を移すことで会話を終わらせた。

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