第18話 俺はいつか死ぬんです
「
「ちゃんと言うこと聞いてた?」
「うん。でも先生が変になっちゃった」
頷く玲子が部屋の奥を指し示す。そこでは資料に埋もれた斎藤が一心不乱に紙をめくっていた。部屋は今朝よりも荒れて汚くなっている。
「変なこと、してないよな?」
「何もしてない!話し合ってる内にあんなことになっちゃって」
「先生、大丈夫ですか?」
「……ん?あれ、砂海君来てたのかい」
綾人に声をかけられてようやく斎藤が顔を上げる。顔つきはいつも通りで綾人は一安心した。
「どうかしたんですか?今朝より、なんかかなりひどくなってますけど」
「いやあ、玲子ちゃんと話していたら止まらなくなってね。……ってあれ、もうこんな時間か。私授業に行ってたかな」
「ちゃんと行ってましたよ。私にあれこれ読んでおくように言って出ていったじゃないですか」
「そういえばそうだったね」
よほど没頭していたらしく、斎藤の脳内は現実と乖離している。綾人はとりあえずソファーに腰かけた。
「玲子は役に立ちそうでしたか?」
「ああ、玲子ちゃんはすごいよ。疑っていたことを申し訳なく感じるほどだ。できるものなら学会に連れていって発表させたい」
「駄目ですよ」
どこまで本気か分からない斎藤に綾人は一応忠告する。玲子の理解者は増やすべきだが、人目につくような行動はしてはいけない。学会などもってのほかだった。
「でも玲子ちゃんのおかげで色々と進展しそうだよ。考え直すべきことも山のように出てきたけどね」
「それを聞けて良かったです。俺には玲子の長所を引き出せませんから」
玲子の活躍を聞いて綾人は安堵する。具体的な内容は理解できないが、少なくとも斎藤が評価してくれているだけでも進展と言えたのだ。
「ところで、砂海君が来たということはもう帰るのかい?」
「まだ話し合いがあるのなら待ちますけど」
「だったらもう少しだけいいかな。おっと、その前に聞いておきたいことがあったんだった。……二人は一緒に住んでいるんだって?」
斎藤は持っていた紙を資料で作られた山の頂きに置いて、のんびりとコーヒーを淹れ始める。綾人からは話していなかったため、玲子から聞いたようだった。
「玲子が新しい家を見つけるまでの間ですけど」
「それで、砂海君はこれから玲子ちゃんのために何をしていくんだい?」
立て続けに斎藤から質問が飛ぶ。玲子が息を飲んで顔を窺ってくる中、綾人は簡単に答えた。
「玲子の仲間を探すんです。世の中には玲子と同じ妖狐の人がいる。俺はそう思ってますから」
「どうやってだい?」
「何やら玲子みたいな存在が集まる社会があるらしいです。そこを重点的に探せば……」
「綾人!」
玲子が説明の最中に口を挟む。その表情はやや怒りに満ちていた。
「先生には言っても大丈夫だろ?隠したって仕方ないし」
「そうじゃなくて!裏社会には関わらないでほしいの!」
玲子は綾人が裏社会と関係を持つことを嫌がる。理由を問いただす前に綾人は反論した。
「今のところはそれ以外に道がない。そうだろ?俺が約束したのは玲子の仲間を一緒に探すことなんだから」
「綾人の気持ちは嬉しい。でも、危険な目に遭ってまでそんなことをしてほしくない」
「おやおや?よく分からないが、二人はそんな危ないところに行こうとしているのかい?教師として簡単に見過ごせないじゃないか」
不穏な空気を感じ取った斎藤が話に入ってくる。ただ、その表情は二人を茶化しているようにしか見えなかった。
「だったらどうしてほしい?」
「私は綾人のそばにいられるならそれだけで良いってずっと言ってる。でも、綾人が嫌がることはしたくないから、その時は長野に戻るって……」
「だからそれは脅迫だろ?」
「脅迫じゃない。危ない目に遭ってほしくないって思うのはおかしいこと?」
二人の間にある溝が露呈して話は平行線となる。危ない目と言われても綾人には何のことだか分からない。それ故に妥協するつもりにはなれず、それは玲子も同じのようだった。
「どうして砂海君は玲子ちゃんを避けるんだい?玲子ちゃんにとって必要のないことをわざわざする理由はないだろう?」
「先生も分かっているでしょう?根本的な問題が」
綾人は自らの主張の正当性に自信を持っている。たった数日の出来事にとらわれて盲目的になってしまうことは誰の幸せにもならないのだ。しかし、玲子は噛みついてきた。
「一生友人のままだっていい。それだけでも孤独じゃなくなるから。綾人が私を理解してくれている限り、綾人が裏社会に関わる理由はない」
「ちょっと待ちたまえよ。砂海君は玲子ちゃんの気持ちを受け入れたんじゃなかったのかい?」
「はい?」
「だってこんな可愛い子に告白されたんだ。それで協力してると聞いていたからてっきり」
斎藤は不思議そうな顔で補足の説明を求めてくる。その認識には勘違いがある。玲子に口を挟まれる前に綾人ははっきりと明言した。
「二人とも根本的な解決が何なのか分かってますか?俺はいつか死ぬんです。すると、いずれまた玲子は孤独になって振り出しに戻る。だから玲子と同じ存在を探すほかない」
「綾人がいなくなる時は私も一緒だから」
「いやあ、それはちょっと重いんじゃないかい?」
恥じらうことなく断言する玲子に斎藤も流石に苦笑いを浮かべる。しかし、基本的には玲子の味方のようだった。
「まあ、まだ時間はあるんだから早急に決める必要はないんじゃないかな。私には二人がお似合いに見えるけどね」
「適当なこと言わないでください」
「でもね、一世一代の告白をそんなこじつけた理由で誤魔化されたらどんな気持ちになるか、一度は考えたかい?玲子ちゃんのためだと言って安易に傷つけていることに気付いた方が良い」
「………」
斎藤の口調は軽いが、内容は肩に重くのしかかってくる。玲子は今だとばかりに不満を前面に押し出して対峙してくる。綾人は深く考えた末に張った糸を自ら切った。
「そんなつもりはなかった。ごめん」
「謝っても答えたことにはならないんじゃかい?」
「……いいんです、先生。私が強引だったのはその通りですし、綾人は私のことをまだ何も知りませんから。もちろん私も綾人のことを知っていきたい」
まっすぐ綾人を見つめる玲子の白い歯がわずかに光る。綾人が気まずくしているとどこからともなく舌打ちが聞こえてきた。
「最初に言っただろう?ここで乳繰り合うのはよしてくれと」
「話を振ったのは先生ですよ?」
「そんなことを聞きたかったんじゃないんだけどね。それに、結局まだ何も決まっていない」
「そんなことないです。これから決めていくって決まったんですよ、先生」
綾人の代わりに玲子が答える。言っていることはただ結論を先延ばしにするということ。しかし、それ以外の解決策を見つけられなかった綾人も同調せざるを得なかった。
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