第14話 先生は孤独の恐怖を知っていますか

 「先生、こんにちは」


 斎藤さいとうの登場に綾人あやとはひとまず挨拶をする。斎藤は無表情のまま小さく会釈してボサボサの髪をかき上げた。


 「日曜の昼に一体何の用だい?テストの質問に来たわけでもなさそうだ」


 「そうですね。別のことで話がありまして」


 「別のこと?そちらの彼女は……見覚えのない顔だ」


 斎藤が玲子れいこの瞳を凝視する。玲子は逃げるように綾人の陰に隠れた。


 「彼女は信濃玲子と言います。実は玲子のことで相談がありまして」


 「私に協力できることかい?今、面倒な未来が見えたよ」


 「面倒かもしれません。……少し時間をもらえないでしょうか?先生の都合が合わなければ日を改めます」


 斎藤はすでに何かを嗅ぎ取っている。鋭い感覚に綾人は冷や汗をかいた。玲子は綾人の袖を掴んで視線に怖気づいてしまっている。


 「構わないよ。日曜日はこの通り暇にしていることが多いからね。それに、教え子のお願いとあらば聞かないといけないだろう?」


 斎藤が研究室の扉を大きく開け放つ。ひとまず第一関門は突破である。綾人と玲子は恐る恐る部屋に入った。


 「散らかっていて申し訳ない。人が訪ねてくることなんてほとんどないからね」


 「そうなんですね」


 綾人は周囲を見ないように案内されたソファーに座る。斎藤は手につく衣類や資料を適当に重ねて整理していきつつ、部屋の奥のデスクに座った。


 「こんなことを言ってはなんだけど、砂海君にこんな可愛い彼女がいるとは思わなかった」


 「いや、玲子はそういうのじゃ……」


 「気にしなくていい。どうして今日のデートがここになったのかは知らないが、仲が良さそうで何よりだ」


 二人の距離感を見て斎藤が適当なことを言う。実際、距離を置こうとする綾人に玲子がくっついてきている。今さら何を怖がっているのかと綾人も不安になった。


 「見せつけているのだとすれば質が悪いね。……さて、何かの飲むかい?」


 いつの間にか斎藤の手にはインスタントコーヒーや紅茶パックが溢れ返っている。綾人が紅茶を申し出ると玲子も同じものをお願いする。斎藤は二人にカップの紅茶を手渡した後、何度もスプーンを往復させたコーヒーを自分に準備した。


 「さて、世間話はこれくらいにしてそろそろ本題に入ろう。玲子ちゃんだったかな?緊張しているのかい?」


 「そんな繊細な奴じゃないんですけどね」


 綾人は玲子の強引さを知っている。斎藤もその話を聞けば驚くはずだが、今はまだその時ではない。


 「信濃玲子です。今日はお時間を作っていただいてありがとうございます」


 「なんだ、ちゃんと話せるんだね。そのまま自己紹介をしてほしいな」


 斎藤の要求は当たり前のことである。初対面の人同士であるため、自己紹介が行われてしかるべきなのだ。しかし、事情を抱える綾人はそれだけで息を飲んだ。


 「出身は信濃の山間の村です。正確な西暦は分からないですけど、江戸時代の後期、おそらく1780年頃に生まれました。それで……」


 「ふふ、ちょっと待ってくれるかい?」


 説明も序盤で玲子の説明は遮られる。最初は俯き気味に黙っていた斎藤だったが、次の瞬間には大笑いを始めてしまう。玲子は困った顔で綾人に助けを求めた。


 「君たちはそんな話をするために、わざわざ休日を使ってここに来たのかい?だとすれば、教師の立場からもっと有意義な時間の使い方を提案してあげようか」


 「俺もそうしたかったんですけどね。実はそうやって笑い飛ばせない事情がありまして」


 「私をそんな下手な嘘で騙そうとする事情かい?」


 斎藤は玲子の話を全く信じようとしない。ただ、それは極めて正常な反応だった。この結果は想定できていただけに、玲子が初手から核心を持ち出したことに綾人も驚いてしまう。


 「もう少しだけ話を聞いてくれませんか?」


 「ああ、いいよ」


 斎藤は笑いながら了承する。綾人がアイコンタクトを取ると玲子は一瞬だけ唇を尖らせた。


 「信じられないかもしれません。でも、私は本当に200年以上生きてます。そうして今では、自分は不老なんだろうって考えています。斎藤先生、先生はそんな私の人生がどんなものだったか想像できますか?」


 「難しいなあ。だけど、私がもしそんな妖怪だったら、まずは本当に不老なのか調べてみるね。長寿と不老は違う。200年生きることができたとしても、300年生きられる保証はないからね」


 「それは楽しいでしょうか?」


 玲子の眉間にしわが寄っていく。明確な不快感だった。斎藤はわざとらしく手を顎に当てて考え始める。


 「どうだろう。そもそも80年の人生だって楽しめる人とそうでない人がいる。だから一概には言えないんじゃないかな。その人の本質次第で変わる。違うかい?」


 「違います!」


 斎藤は挑発している。綾人がそう気付いた時、玲子が声を張って即座に否定した。その目は鋭く斎藤を突き刺しているが、当の本人は何とも思っていないらしい。玲子を見て楽しんでいるようだった。


 「玲子ちゃんは私の考えが知りたかったんだろう?どうして自分と違うからって怒るんだい?」


 「先生は孤独の恐怖を知っていますか?年を取らないってだけで皆と同じような生活ができない。そうして長い間孤独だった」


 「そう言われてもね。私には玲子ちゃんが孤独には見えない。隣に砂海君がいるじゃないか」


 「………!」


 斎藤の指摘を受けて玲子が歯軋りする。これ以上は喧嘩に発展してしまう。そんな雰囲気を感じ取った綾人は間に割って入った。そして、綾人の口から孤独だった玲子と知り合った経緯を説明した。


 斎藤はそれを静かに聞いていた。どのように思っているのかは全く分からない。綾人も説明している内にこれが正しかったのか分からなくなってしまう。綾人が話し終えると斎藤は小さく拍手した。


 「ロマンチックな話だった。こう言えば満足するかい?」


 「ええ、他人事であれば俺もそう言っていたに違いないです」


 「面白い話だったよ。……さて、用件はそれで終わりかな?」


 斎藤はコーヒーを飲み干してもう一杯淹れに向かう。綾人は黙り込んでしまった玲子を横目に会話を続けた。


 「いえ、本題はもっと驚くようなことです。聞いてくれますか?」


 「聞くだけならね」


 「ありがとうございます。単刀直入に説明して、玲子を先生の研究に協力させたいと思ってここに来ました。玲子は生きてきた年月に似合った知識を持っています。先生の研究に貢献できるに間違いありません」


 「えっと……それはここで玲子ちゃんの面倒を見てほしいということかい?」


 この時になって斎藤が驚いた表情をする。綾人は即座に頷いて肯定した。


 「そんな展開は予想していなかった。全く面白いことを考え付くなあ」


 「大真面目な話です。俺には玲子が持つ知識の重要性を理解できないですけど、先生なら活用できるんじゃないかと」


 「玲子ちゃんは砂海君と同年代だ」


 「外見と心だけです。疑うのであれば何かしらの方法で確認してみてください」


 「なんだい、やけに気合が入っているじゃないか」


 綾人の言葉を挑発と捉えたのか、斎藤が頬を吊り上げる。コーヒーカップを置いてゆっくり立ち上がると、本棚から一冊のファイルを取り出した。


 「あくまでも参考として、この文献を見てくれるかい」


 斎藤がそのファイルを玲子に手渡す。開かれている場所には古そうな史料が写る一枚の写真があった。


 「とある一般のお宅に保管されていた江戸時代後期のものと思われる史料だ。かなり傷んではいるが独特の言い回しが特徴的で、私が最初に見つけたものだからまだ出回っている文献ではない。さて、どんな内容なのか分かるかい?」


 玲子には何も分からないと踏んでいるのか、斎藤は意地悪い顔をしている。ただ、玲子は全体に僅かな時間目を通しただけでファイルを斎藤に返した。


 「……確かに面白い文献ですね。でも先生はいくつか間違っています」


 「ほう?」


 「まず一つ。これは江戸時代後期のものではありません。もう一つ、これは珍しい言い回しをしているわけではありません。いわゆる暗号の類です」


 玲子は自信満々に解説する。綾人は状況を注視するしかできない。


 「詳しく教えてもらってもいいかな?」


 斎藤が興味を示したことをきっかけに二人だけの空間が形成される。会話は綾人に理解できない内容であり、割って入ることはできない。そんな中で少なからず分かったことは、斎藤が鎌をかけたということと玲子の説明に間違いがなかったということだった。


 「確かに言っていただけはある。玲子ちゃんの博識さは認めよう。よく勉強しているじゃないか」


 「当然です。今までに何度も見てきましたから」


 「どこの先生に教えてもらったんだい?興味があるなあ」


 斎藤は手帳を取り出して手の中でペンをくるくると回す。まだ、玲子をどこかの大学生と思っているらしい。


 「信濃の赤川先生です」


 「信濃ってことは長野だろう?そんな名前の先生どこかの大学にいたかな?」


 「大学の先生ではありません。私の故郷で手習い塾をしていた方です」


 玲子が間違いを指摘すると斎藤が手を止める。そして首を傾げた。


 「まだその設定を続けるのかい?玲子ちゃんの知識は認めるよ。だから本当のことを教えてくれてもいいだろう?」


 「先生、何度も言ってますけど玲子の話が事実なんです」


 斎藤が玲子を認めたこの機に、綾人はどうにかして説得できないかと試みる。しかし、斎藤はあくまでも現実的な考え方を捨てなかった。


 「砂海君はどうして信じることができたんだい?今の話だって何も分かっていなかっただろう?」


 「そうですね」


 「だったら理由が気になるなあ。まさか告白されたから信じたなんて言わないだろうね?」


 「そうじゃないです。信じられないと言っていられない事情があったので」


 「それなら、私にもその事情を教えてほしい」


 斎藤の要求は至極当然である。しかし、綾人はどうするべきか判断に迷った。説明のためには玲子の神通力を明らかにしなければならない。それは躊躇われることだったのだ。


 「綾人?」


 「……どうしようか」


 「大丈夫だよ」


 渋る綾人に玲子が訴えかけてくる。ただ、綾人も玲子の神通力の一辺さえ知らない状況である。今日は月が出ているわけではないため、昨日の夜と同じこともできない。そんな中で今回の玲子が一体何をするのか。想像もつかない結果を考えることは怖かった。


 しかし、そんなときに夏乃かのの言葉をふと思い出した。玲子は信じてほしいと目を見つめてきている。綾人は先に覚悟を決めて小さく頷いた。


 「過激なのはダメだ」


 「分かってる」


 「何の打ち合わせだい?」


 「いえ何でも。先生にもお願いがあります」


 「何かな?」


 斎藤は何が始まるかまだ分かっていない。しかし、常に落ち着いている様子は綾人を不安にさせた。


 「協力していただけるかどうかに関係なく、これからのことは誰にも他言しないでください」


 「口は堅い方だ。信用してくれていい」


 「それと、驚いたとしても取り乱さないでください」


 「程度によると思うけどね。でも、私が悲鳴を上げて泣き叫ぶと思うかい?」


 斎藤は終始眠たそうな顔で笑っている。綾人は半分やけになって玲子に指示を出した。

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