第13話 29歳ですよ、砂海君

 「俺が通う高専っていうのは理系の学校で、大学みたいに教員一人一人が研究室を持ってる。専門科目の教員は当然として、一般科目の英語や数学、それに国語の教員も」


 「それで?」


 夏乃が説明を急かす。二人ともまだ事情が分かっていない。


 「斎藤さいとう先生っていう国語教師がいるんだけど、さっきホームページ見て調べたら研究内容が江戸時代の文献調査、それと文字と市民生活の関連性についてだった」


 綾人あやとは斎藤の教員紹介ページを見せる。玲子れいこは興味深そうに覗き込んだ。


 「その研究に協力するってこと?」


 「出来るか分からないけど。玲子の知識が役立つかどうかは話してみないと分からないし、そもそも協力させてもらえるかさえ曖昧だから」


 「仮にそうするとして、私の正体はどうするの?神通力は……」


 何かを気にした玲子が動きを止める。それは綾人も悩んでいた。


 「神通力は使ってほしくない。でも、正体を隠すべきかどうかは決められてない」


 「そうだよね。私はその道の学問を究めた人の年齢には見えないはずだし」


 玲子の外見はまだ大学さえ卒業していない年齢に見える。従って、正体を隠したままでは協力を得られるはずがない。


 「でもね、知識をひけらかすことはしたくないけど、成功のためなら頑張れるよ」


 「テストで可否が決まるならそれでいいんだけどね。実際のところは知識を披露したところで、正体を怪しまれておしまいだ」


 「……信じてくれそうにない人なの?」


 夏乃は腕を組み、斉藤が要領の悪い人間だと言わんばかりの顔をする。ただ、斉藤がそんな反応をしたとしても文句は言えない。


 「賢い人ほど理性的で論理的に考えると思う。俺や夏乃かのは例外だ」


 「え、私が馬鹿だって言いたいの?」


 「疑念を持たなかった分、余計にそうだろうな」


 このあたりの感性は人によるとしか言えない。授業で知る斉藤は夏乃とは正反対の人間性であり、心配はその分だけ大きかった。


 「なんだか上手くいきそうにないね」


 「やっぱそうだよな」


 綾人は同意して肩の力を抜く。仮に正体を信じてもらえたとしても、玲子が斉藤の研究室で活動できるとは限らない。その議論には学校の規則が関係してくる。


 「でも先生って女の人なんでしょ?だったらどうにかなると思うけどな」


 綾人はこの案について諦めかけていた。しかし、夏乃が意味深に成功の可能性について言及する。適当な根拠しか持ってないだろうと思いながらも綾人は視線を送った。


 「なんで?」


 「女の人だったら玲ちゃんの気持ちを分かってあげられるよ。好きな人に希望を託したなんて聞いたらなおさら」


 「いやいや、そこまで話す必要はないだろ」


 話すとしても、玲子が妖狐だということだけに留めるつもりだった。それだけでも博識の説明はできるのだ。


 「ダメだよ。本当に協力して欲しいなら全部話さないと。万が一失敗して言いふらすなんて言ってきても、玲ちゃんの能力があれば瞬時に解決できるし」


 「だから神通力は……」


 「乱用はダメだけど、それは適切だと思う。兄ちゃんがそうやって禁止ばかりして、危険が迫った時に玲ちゃんが躊躇ったらどうするの?」


 綾人が保守的な考えを貫いていると夏乃の表情が強張る。そこで綾人は大切なことを気付かされた。普通の人間にとって神通力は恐怖の対象である。しかし、玲子にとっては神通力を制限した生活が恐怖となり得るのだ。


 「……分かった。ただ何にしても、上手くいく保証はない」


 「私がそれに挑戦したいって言ったら、綾人は手助けしてくれる?」


 「それは、そういう約束だから。でも、できることなんて玲子を先生のところに連れて行くことくらい。説明も知識の披露もするのは玲子だから」


 綾人は玲子に決断を委ねる。過度に玲子の将来に干渉してはいけない。玲子はまだ深いベールに覆われているのだ。


 「じゃあ、一度話してみたい。どんな研究しているのか気になるし」


 「……くれぐれも、言葉で説明する以上のことはダメだからな?」


 「信頼して」


 「玲ちゃんなら大丈夫だよ。それに、失敗したってきっと別の道が見つかる」


 「ありがとう。いつ行ったらいいかな?」


 すぐに涙を流してしまうほど弱い面もあるが、こういった大一番で玲子は躊躇いを知らない。それは綾人に会いに来たときや正体を明かしたときもそうだった。


 「どうしようか。あまり人に見られたくないからなあ」


 「私と一緒にいるところを誰かに見られたくない?」


 「違うって」


 誤解した玲子が唇を尖らせる。夏乃にまで睨まれてしまう。


 「先生に協力してもらうとして、それはよくあることじゃない。だから、玲子が研究室に通ってることを知られるのは良くないだろ?それに、どこに悪意を持った人間がいるか分からないし」


 「それもそうだね」


 身振り手振りを合わせながら説明すると玲子がようやく理解を示す。綾人はひとまず息を吐いて安心した。


 「でも、明日から平日になるし難しくない?」


 「そうだなあ」


 綾人はカレンダーを確認する。明日になってしまえば、問題を解決できないまま平日を迎えることになってしまう。それでは人目を避けることは困難を極める。


 「じゃあ今日しかないな」


 「今日?そんな急だと先生居ないんじゃ?」


 「いや、斉藤先生なら多分いる。研究室に住んでるって噂があるくらいだから」


 「なんかお父さんとお母さんみたい」


 夏乃が面白そうにそう表現するが、実際には少し違っている。単純な両親とは違い、斉藤は捉えどころのない人間なのだ。


 「とにかく行ってみる?」


 「うん」


 「じゃあ準備しよう」


 玲子のためにも早急に生活を安定させる必要がある。迷って時間を無駄にすることなどできない。夏乃は今日も部活があるという。綾人と玲子はそんな夏乃を見送ってから家を出ることにした。


 「ここに乗るの?」


 「ああ」


 学校まではいつも自転車で通学している。玲子を荷台に座らせるなり半時間の移動が始まった。


 一体誰がこんな未来を想像できただろうか。玲子の温かさを背中に感じながら、綾人はいつも以上に強くペダルを漕ぎ続けた。昨日初めて出会ったとは思えない。綾人は懐かしい雰囲気を感じていた。


 学校に到着すると、玲子を下ろして駐輪場に向かう。何年も一人でいたからか、玲子は自らの魅力に無頓着である。運動後ということも相まって綾人の体は熱くなっていた。


 「それじゃ、行こっか」


 「大丈夫かな?」


 「やってみるしかない。先生は理不尽ってわけじゃないから。悪い人じゃないことだけは言っておくよ」


 玲子の心配はもっともであるが、綾人にも心配事がある。斎藤の綾人に対する印象はおかげさまで良くない。その点が玲子の一件に影響しないか気になっていた。


 斉藤の研究室は校舎五階の一角にある。集合住宅のように他の先生の研究室が隣接しており、階段を上るたびに知った顔に鉢合わせないか綾人はハラハラした。ただ、運が良いことに部屋の前まで誰とも出会わなかった。


 「会う前にもう一度確認させて。その斉藤先生ってどんな人?」


 「だから国語の教師をしてて、年は確か、30くらい……」


 「29歳ですよ、砂海君」


 扉の前で綾人が斎藤の特徴を思い出していると、何の前触れもなくその扉が開かれる。中から出てきたのはだらしないジャージを着た斉藤だった。

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