第11話 綾人がそう言うならそうする
どうして
「玲ちゃんはこっち」
綾人を視認した夏乃が擦れた声で自らの左側を指し示す。しかし、そこには当然誰もおらず、当の玲子は綾人の後ろから夏乃を覗き込んでいた。
「あれ?二人してどうしたの?」
「白々しいこと言うな。もう全部バレてんだよ」
綾人は布団の脇に座り込み、玲子もその横に腰を下ろす。夏乃はゆっくりと起き上がってあぐらをかく。
「玲ちゃん全部話しちゃったの?」
「うん。綾人が気付いたから」
「それでどうなったの?」
夏乃は玲子が綾人を騙していたことに触れず、進展だけを気にする。綾人はそんな呑気な妹に溜息をついてしまう。
「いつ知り合ったんだ?説明しろ」
「そんな怒った顔しないでよ。ね、玲ちゃん」
夏乃の言葉に玲子がこくこくと頷く。ただ、綾人が知りたいのは二人の仲の良さではない。夏乃も操られているのではないかと疑ったところでようやく説明が始まった。
「玲ちゃんと会ったのは木曜日だったかな。駅前で突然声をかけられたの。兄ちゃんのことが好きだから場を取り繕ってほしいみたいな感じで」
「そんな適当な話があるか」
「そんな感じだったよ。玲ちゃんの正体はもう聞いた?」
「ああ。妖狐っていう怪異だって」
「驚いたよね。けど玲ちゃん可愛いから」
「……文脈が繋がってない。可愛いからなんなんだよ」
いい加減な説明をする夏乃に少し苛立つ。玲子の正体に驚いたことは理解できる。しかし、それと玲子の容姿は全く関係ない。
「だってこんな可愛い人が兄ちゃんを好きだって言ったんだよ!?妹としてこのチャンスは逃しちゃいけないと思って」
「余計なお世話だ。それに普通疑うだろ?妖狐とか神通力とか」
「玲ちゃんを疑うとか正気?兄ちゃんへの想いを聞いて協力するしかないってなったんだよ」
夏乃は話のところどころで玲子に同意を求め、綾人は呆れて物も言えなくなる。そこで代わりに玲子から事情を聞くことにした。
「なんで夏乃に話を?木曜って俺が玲子の名前を知る前だ」
「一人は怖かったから。私にとっては人生の大一番。一人くらい味方が必要かなと思って」
「まあ、騙しやすそうだもんな。使いやすかっただろ」
「ちょっと言い方!そうやって普通に話してるってことは玲ちゃんを受け入れたんでしょ?つまり私は二人のキューピット。それを忘れないでよね」
夏乃が自慢げに綾人の言葉を訂正して胸を張る。綾人はそれを無視してもう一度質問を投げかけた。
「親父らが騙されてるのはどうして?幼馴染なんて嘘つかなくても、正直に事情を話して挨拶するとかあっただろ」
「だって玲ちゃんの望みは兄ちゃんと一緒に生きることなんだよ?普通の紹介じゃ、兄ちゃん挙動不審になるだけでしょ?」
「いやいや……」
「だったら玲ちゃんを気にせざるを得ない状況にしようって。お父さんたちは、うんまあ仕方なかったかな。本当に神通力を使えるのか私も確認したかったし」
両親は夏乃の実験台になってしまったらしい。日頃から頭のネジが足りていないと思っていたが、その深刻さに綾人は戦慄した。
「夏乃は将来詐欺にかかるな。俺なんて正体を明かされてずっと怖がってたのに」
「私は詐欺じゃないよ……」
「そうだよ!それに私も色々考えた。でも、二人にとってこれが一番だと思ったから。玲ちゃんの悲しそう顔を見なかったの?」
「……それは見たけど」
「私はもう玲ちゃんの味方だから。会ってまだ数日とか関係ない。兄ちゃんより先に友達になったし」
夏乃も玲子の孤独に気付いたといい、それを理由に玲子の肩を持つ。綾人は文句を飲み込んで何度か頷いた。
「ちゃんと協力しろよ?」
「言われなくても。だから心配しないでね」
夏乃の一言で縮こまっていた玲子が笑顔になる。綾人はそれを見て夏乃を信じることにした。
「さて、これで本題に入れるな」
「まだ何かあるの?もう眠たいんだけど。玲ちゃんも眠たいよね?」
「私は綾人が寝るまで待つよ」
「寝てる暇なんてない。大切なことが何一つ決まってないだろ」
二人には緊張感が欠けている。現状、二人は玲子を助けると口で言っているに過ぎない。具体的なことはまだ何も決まっていないのだ。
「何を決めるの?」
「まずは玲子がどこで生活するのかってことだ」
「うちでいいじゃん」
「い、いいの?」
「駄目だ」
夏乃がまた適当なことを口走るが、綾人はきっぱりと否定する。玲子がしょんぼりと肩を落とすと、途端に夏乃が啖呵を切った。
「意気地ないなあ。いいじゃん別に。兄ちゃんを好きって言ってるんだし」
「近くに家を借りたらいいんじゃないか?そうすれば簡単に顔を合わせられるし、仲間探しもすぐに始められる」
「綾人がそう言うならそうする。前に作った戸籍がまだ使えるから」
綾人の提案が難しいことではないと玲子が見識を示す。その戸籍が偽造されたものであることは容易に予想できたが、深く追及はしない。
「生活費はどうしてた?何か仕事を?それとも……」
「ちゃんと仕事をしてた。少しは貯金もある」
「玲ちゃんってどんな仕事をするの?」
「住む場所によって色々。最近は塾講師のバイトかな」
「え、教えてほしい!」
玲子の職歴を聞いて夏乃が目を光らせる。綾人もその回答には少し驚いた。
「何を教えるんだ?」
「国語と日本史かな。子供の頃に国学者だった人に色々教わって以来、国語系は得意なの。長生きだから近代史とか人生そのものだし」
「言われてみれば」
玲子の話は非常に興味深い。綾人は物知りな祖父を尊敬しているが、玲子が持つ知識量はそれと比べて桁違いなことは言うまでもない。
「話を戻すんだけど、家を借りることはできる。だけど、数日はかかっちゃう」
「そうだろうな」
家を決めるまでには内見や契約、不動産会社による部屋の準備など手順がいくつもある。詳しくない綾人でも一週間はかかると予想できた。
「その間くらいはここにいさせてあげようよ。どうせお父さんたち明日からずっと帰ってこないんだし」
「気にしないで。どこかホテルに泊まるから」
玲子が夏乃の提案を固辞する。ただ、一週間程度であれば頑なに拒否する理由はない。話がとんとん拍子で進んでいくことに若干焦りながらも、綾人は玲子に居場所を提供することにした。
「無駄なお金を使うのもよくないし、一週間くらいはいいよ」
「本当!?いいの?」
玲子が顔を綻ばせて綾人に近づく。ただ、綾人は一つの条件を出した。
「ただし、神通力で作った幻影は全部消してほしい。その力は人目に触れさせない方が良いと思うから。俺も少し怖いし」
「もちろんそうする。偽りの記憶とか私の両親や車、すぐに消した方が良い?」
「いや、朝まで待って。親父らは午後から仕事がある。だから午前中に信濃家が車で出発したように見せて、親父らの出勤後に消す方が良いと思う」
綾人には両親に現状を上手く説明できる自信がない。玲子を恐れて警察に相談などされれば面倒極まりなく、申し訳ないものの両親にはこのまま騙され続けてもらう必要があった。
「でもそんなことできるの?玲ちゃんの記憶がなくなったら、お父さんたちは昨日どんな生活をしてたか忘れるってこと?」
「ううん、私の記憶がなくなるの。新しく記憶を植え付けて誤魔化すことはできるよ。でも現実的じゃない。神通力は私がかけてないと作用しなくて永遠に続くものじゃないから」
「さすがに違和感を持つかな?」
「そうね。すぐに神通力を解除すると違和感に気付かれるかもしれない。だから普段は徐々に正しい記憶に戻していくの」
「そんなこともできるのか」
「ただ、ものすごく疲れる。神通力をかける相手が離れるほど不完全になったりもする」
神通力は強大な能力であるが完全ではない。綾人はそれを知って少し安心した。
「親父らの記憶は明日にでも解いていい気がするな。休日なんてだいたい疲れて寝てるだけだから、記憶に齟齬が生まれても気にしないと思う」
「それでいいならそうするけど……ご両親のあの仕事って何なの?とても忙しいことは分かってるんだけど」
「製薬会社の研究員。何が楽しいのか分からないけどほとんど毎日研究してる」
両親の生活は研究が基盤になっている。そんな二人の働き方は普通ではなく、綾人はいつも心配している。ただ、今はそれがプラスに働きそうだった。
「とにかく明日はそれで乗り切ろう」
「玲ちゃん、私たちに任せてね」
「二人ともありがとう。よろしくお願いします」
僅かながら話が決まると玲子が二人に頭を下げる。玲子の将来は全く見通せていない。それどころか、綾人さえ自分がこれからどうなっていくのか想像できない。ただ、今はこの決断が正しいと思うほかなかった。
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