第10話 夏乃ちゃんは正体知ってるよ

 玲子れいこから一向に反応がない。これでは綾人あやとが強引に引き留めたようで、高まる緊張は手汗として表れた。月は刻一刻と高度を下げている。それにふと気が付いたとき、ようやく玲子の口が動いた。

 「じゃあ、私が求めること話してもいい?」

 「うん。話してみて」

 玲子が振り返ると同時に、綾人は手を離して一歩下がる。潤んだ大きな瞳は僅かな光さえ反射する。まるで小さな希望も見逃さないようにしているようだった。

 「私は綾人と一緒にいたいんだと思う。仲間を探すなんてどうでもいいの。ただ、綾人と一緒にいたい」

 「それは、そう思ってくれるのは嬉しいけど」

 綾人は言葉を慎重に選ぶ。放って置けないと感じたのは綾人であり、こちらから突き放すことはもう許されない。

 「ありふれた生活がしてみたい。故郷の毎日はもう思い出せない。記憶に残っているのは孤独だった時間だけ」

 「でも、俺を頼ってもそうなるかもしれない。理解者であり続けることはできたとしても」

 「そばにいてくれるだけでいいの。好きだから」

 再び玲子の告白が刺さる。人に好意を抱かれる誉れは承知している。本当の幼馴染だったならば飛び上がって喜んでいたに違いない。しかし、今の綾人にはそれができない。

 「嬉しいよ。でもよく考えてみて。その気持ちは玲子の孤独を解消できるわけじゃない」

 「どうして?」

 「俺と玲子が違うからだ。今は同年代のようにやり取りしてるけど、俺はすぐに年を取る。数年という時間は長いようできっと短い。その間は心の拠り所になれたとしても、それは一時的なものに過ぎない」

 「年の差を気にしてるのなら大丈夫。だって、私は綾人の何倍もの時間を生きてきたんだよ?」

 即座に反論する玲子は自らの過去をもって合理性を示そうとする。綾人は首を大きく横に振った。

 「だったらどうして俺に一目惚れしたんだ?きっと玲子は年を重ねても体が不老で、好きになる相手もそれに合わせてるんだと思う。心は幼いままなんだ」

 「そんなことない。私は綾人が好き。綾人がこうやって心配してくれるほど気持ちが強まっていく。死ぬまでそばにいたいなんて重たいことは言わない。だけど、綾人が年を重ねても好きでいられる自信はある」

 説得する玲子の声は力強い。それでも綾人は別の可能性を示して再考を促すことにした。一日で決められる話ではなく、拙速さが取り返しのつかない結果を引き起こす可能性もあった。

 「玲子の気持ちを否定するつもりなんてない。でも、その一目惚れは自殺に緊張した心が見せた幻かもしれない。混乱して何に緊張していたのか分からなくなったのかも」

 「私の気持ちが、紛い物だってこと?」

 またもや玲子の瞳に涙が溜まっていく。大胆な行動とは裏腹に、本当は繊細な心の持ち主に綾人は優しく返事した。

 「可能性の話だって。それに、真実を解き明かすのは今じゃなくていいだろ?あと数年って言ったけど数年もある。その間に仲間が見つかるかもしれないし、玲子の気持ちが変わるかもしれない。俺が玲子を理解できる時が来るかも」

 「いま分かってほしいよ」

 「それは無茶だ。玲子だって俺のことをまだ何も知らないはず。だから玲子と同じ境遇の人を探す傍らでお互いを知っていけばいいと思う」

 綾人はあくまでも目標を仲間探しに絞る。理由は適度な距離感を保つためだったが、玲子は曇らせた顔で不満を表した。

 「だから仲間探しなんて。綾人と一緒にいたいだけなのに」

 「友人としてなら拒んだりしない。まさか一緒に暮らしたいってわけじゃないだろうし」

 「綾人は嫌?」

 「嫌というか、戸惑う。だってそうだろ。初めて会った人と生活なんて普通はできない」

 一つの関門を突破したことで、玲子は次から次へと欲望を垂れ流す。綾人が距離を取ろうとしても間合いはすぐに詰められてしまう。綾人が言葉と身振りで気持ちを伝えることで、玲子はようやく肩を落として大人しくなった。

 「でも」

 「人との関係は距離じゃない。玲子が孤独だった理由は色々あるんだと思う。だけど、こうして話をしたことで一人の理解者が見つかった。いつも上手くいくとは限らないけど不可能じゃないって分かっただろ?」

 「一緒にいられるなら好きな人がいい」

 玲子はなおも小さな声で呟く。綾人はすぐにでも反論できたが、その様子を見て踏みとどまった。

 「どうしてそこまで?俺なんて魅力的じゃないし、何か光るものを持ってるわけでもない。玲子に相応しい人は他にいるよ」

 「綾人が言いたいことは分かる。でも、偶然見かけたあのときから綾人は私にとって運命の人なの」

 「よく恥ずかしげもなくそんなことを」

 「綾人を好きになったことは恥ずかしいことじゃない!」

 お茶を濁したつもりの綾人だったが、玲子はそれを軽々と上回ってくる。見る見るうちに顔が熱くなり、綾人は思わず玲子から目を背けてしまった。

 「綾人の気持ちはもちろん尊重する。でもね、非常識だって分かってても我慢できないの。こんな気持ちになれるのはこれが最後のはずだから」

 あまりにも情熱的な告白に綾人はただ言葉を失う。揺れ動く心が玲子の慕情を証明していて、もう一押しがあれば気持ちを受け入れていたかもしれない。ただ、その直前に玲子は口を閉ざした。

 「やっぱり玲子の言う通りにはできない」

 「そう」

 「でも、条件を飲んでくれるなら一番の協力者にはなってあげられる」

 「本当!?」

 玲子の表情は激しく変化し、最後は明るい顔で説明を急かしてくる。綾人はその雰囲気に気圧されながら言葉を紡いだ。

 「時間の流れ方が違いすぎるから、玲子の気持ちには応えられない。だけど、孤独を解消できるように手助けはしたい」

 玲子の本心はよく分からないの一言に尽きる。だからと言って、この場で説明を受け続けたとしても全てが腑に落ちるとは限らない。時間だけが適切な妥協点を見つけられるのであれば、猶予を設ける必要があった。

 玲子は考える素振りを見せた後に困った顔をする。しかし、しばらくして久しぶりの笑顔を見せた。

 「ありがとう。これが最善なんだよね?」

 「多分ね。問題は山のようにある。でも、玲子の正体を信じる以上に難しいことはないと思ったから」

 「そんなことない。私の方が難しい問題を残しちゃったな」

 これがその証拠だと言わんばかりに玲子は照れ笑う。綾人は気付かなかったふりをして、間を置くことなく直近の問題について提起した。

 「何にしても二人だけっていうのは心もとない。生活拠点とか仲間探しとか、どうしたらいいのか全然分からないし。もう少し協力者が必要だな」

 玲子の存在をすんなり納得してくれる人などそう簡単に見つかるはずがない。いたずらに玲子の正体を暴露することも躊躇われ、現状では打つ手がないように思われた。しかし、予想外な言葉が玲子の口から漏れる。

 「協力者なら一人見つけてあるよ」

 「え?そんな人いるの?」

 「うん。夏乃かのちゃんは私の正体知ってるもん」

 「なんで?」

 さも当たり前のように説明する玲子の前で綾人は目を丸くする。今晩で最も理解に苦しんだ瞬間だった。

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