第9話 だったら人の親切に甘えておけばいい

 「でも驚いた。世の中にこんなことができる人がいるなんて」

 目の前で起きた非現実は紛れもない事実である。しかし、綾人あやとがこれを誰かに伝えたところで信じる人はいない。この類の話が空想として語られる理由だった。

 「案外珍しくないよ。私以外にもこういうことできる存在はたくさんいるし、もっと凄い神通力だってあるから」

 「怖いな」

 綾人は寒さとともに漠然とした恐怖を感じる。玲子れいこの神通力にされるがままだった綾人は、より高度な神通力を操る人物に気付けるはずがない。ただ、玲子もその恐怖に理解を示した。

 「それは私も一緒。誰が能力を持っているかなんて分からないから。それに、私みたいに悪いことに使う人だっているし」

 玲子の言葉は様々な意味を含んでいて簡単に返答できない。玲子の行為が悪事に当てはまるのか否かは本人が決めることではないが、同時に綾人にもできないのだ。

 「そういう人は多い?」

 「分からない。私を含めてほとんどが怪異であることを隠すから。でも、そういった存在が集まるコミュニティがあるのは確か。裏社会って呼ばれてる」

 「裏社会?」

 「そう。嫌な響きだけど中身もその通り。私たちが生活してる社会は表社会っていうんだけど、そこでは許されていない行為が当然のように蔓延ってる」

 玲子は表情一つ変えない。綾人は息を飲んだ。

 「具体的には?」

 「殺人に強盗、詐欺とか。とにかく悪いことは何でも。それで成り立ってる世界だから」

 「警察はどうしてるの?」

 「警察は表社会の組織。だから裏社会への干渉はできない。狙われる対象もまた裏社会の存在だから問題が表社会に持ち込まれることがないの」

 玲子の存在を理解した綾人は不思議な感覚でその話を聞く。妖狐などという存在をいとも簡単に認めさせられた。これ以上に不可解な話はないと考えていたこともあり、裏社会という存在も無意識に信じることができた。

 「玲子もその一員?」

 「大きく見ればね。さっきも言った通り、悪いことをしてこなかったわけじゃないし」

 「なるほど」

 「でもね、私が裏社会に関わってた理由の一つは表社会で必要なものを手に入れるため。特に戸籍がないと表社会では何もできない。裏社会は偽造の戸籍を与えてくれるの」

 「他の理由は?」

 長寿を隠して表社会から逃げていた玲子が戸籍を持たなかったことは想像に難しくない。しかし、戸籍の偽造は表社会において紛れもない違法行為である。

 「もう一つは仲間を探すため。裏社会には表社会に溶け込めなかった人間や怪異が集まる。だから見つかるかもしれないと思った」

 「それで見つかったの?」

 綾人は結果を知っていながら問いかける。案の定、玲子は首を横に振った。

 「でも当たり前のこと。私だって探してる間は自分の正体を隠してた。いたとしても簡単に見つけられるわけじゃない」

 「それでずっと孤独だったのか」

 玲子の悲しそうな表情は見るに堪えない。しかし、それに引きずられて無防備になることはできなかった。綾人は今、恐ろしい世界に引きずりこまれようとしている。そのことに危機感を持たなければならない。

 「裏社会にいるのってどんな奴らなんだ?表社会に溶け込めないっていうのは?」

 「表社会からはみ出たってこと。見たことのある怪異だと吸血鬼とか狼人間とか雪女。人間もそれなりにたくさんいて、反社会勢力のような表社会で非合法を働いてる奴らが暗躍してる」

 「妖怪の類もいるのか」

 「そうね。陰陽師は人間だから当然表社会で生活してて、彼らに追われる存在は逃げるように裏社会に集まってるよ」

 「陰陽師っていうのは?」

 「私が生まれるずっと前から怪異退治をしてる奴らよ。昔から怪異が人の生活を脅かすことが多かったから、占いや祈祷で場所を割り出しては討伐まがいのことをしてた。最近はほとんど見なくなったけど、私も何度か襲われたことがある」

 何かを思い出した玲子が顔を歪ませる。ただ、綾人にとっては知らない物語の設定を聞かされているようだった。

 「それで」

 綾人は話し始めてすぐに口を閉じる。玲子は少し視線を落とした。

 「それで、俺に何ができる?玲子の苦しい日常はほんの少し伝わってきた。でも、俺は玲子と違ってただの人間だ。命を狙う輩から守ってあげられるわけでもないし、裏社会に精通してるわけでもない。おまけに、同じ時間を一緒に生きていくこともできないんだろう?」

 「それはそうだね」

 「じゃあどうして?告白がしたかったから?今まで隠してたことを話して楽になりたかった?」

 「やっぱり迷惑だよね」

 歯を強く食いしばる玲子が再び震える声を出す。ただ、綾人が聞きたかったのはそんなことではない。玲子の境遇を聞いて追い打ちをかけるつもりなどなかった。

 「そうじゃない。出来ることがあるならしてあげたい。だけど、どれを取っても力不足だ」

 「うん」

 「玲子一人の方が効率良いと思う」

 淡い期待を持たせたくない一心だった。最後の一言を口にした瞬間、玲子がはっと何かに気付いた顔をする。綾人もそれを見てから自らのとんでもない過ちに気が付く。

 「そうだよね。私って馬鹿だからはっきり言ってくれないと分からないの。ごめんなさい、変な話に付き合わせちゃって」

 玲子は綾人に背を向けて大きく息を吐く。このままでは全てが空回りしてしまう。そう思った綾人は咄嗟に玲子の右手を掴んだ。勢いよく前に進み出していた玲子はすぐに体を止めて、引っ張られた綾人は玲子の背中に肉薄する。

 「でも、仲間を一緒に探すことくらいはできる。俺が協力して何かが進展するとは思えないけど、一人でできなかったことも二人ならどうにかなるかもしれない」

 「綾人の目は関わりたくないって言ってる。私には分かるよ」

 「だったら今考えてることを覗いてみろよ。それくらいできるんだろう?」

 「できない。綾人には使いたくない」

 「だったら人の親切に甘えておけばいい」

 どうして今更になって手助けを引き受けようと思ったのか。そう問われても答えられない。玲子の説明が警察への通報まで考えていた綾人に安心を与えたわけでもないのだ。

 それでも、玲子の冷たい手を握る綾人にとってそれは些細なことになりつつあった。玲子が神通力で協力を強制している可能性はある。ただ、そうだったとして綾人に抵抗できるはずもない。それならば、格好良く手助けを買って出た方が身のためだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る