第8話 たとえ綾人であってもそれだけは許さない!

 「江戸時代の終わり、私は信濃の寒村に生まれた。その時代は大きな飢饉のせいでとても貧しくてね。それに生まれた時に母親を亡くして、父親も分かってなかったから私には家族がいなかった。だから村長に引き取ってもらって生活してた」

 「証拠は?考えられないほど長生きだってどう信じればいい?」

 「証拠はないと思う。きっと私の出生の記録なんて残ってないだろうし、知ってる人は皆もういない」

 玲子れいこが綾人を小馬鹿にした目で見る。悪魔の証明ということになるのだろう。綾人は仕方なく話を続けるように促した。

 「始めは変わったことなんてなかった。同年代の友達と一緒に成長して、違っていたことといえば結婚できなかったことくらい」

 「理由を聞いても?」

 「孤児だったから。資産なんて何もなくて、家柄も分かってなかった」

 淡々とした玲子の説明に綾人は言葉を返せない。不幸なことなのだろうとは思ったが、その時代の結婚観を知らないため正当な評価ができなかった。

 「違和感に気付いたのは二十歳前だった。歳を取っても体が変化しなくなったことが始まり」

 「そんな若いときから分かるものなのか?」

 「人間は年を取るとともに劣化していく。実感できなくてもそれが当然の理なの。だからむしろ止まった時、敏感に気付くことができる。とても怖かった。人と違っていることがとても」

 当時を思い出す玲子は恐怖から体を震わせる。綾人もこの主張には同意せざるを得なかった。人は周りとの差異を嫌う。些細な違いであっても、人間関係に大きな亀裂を作り出してしまうのだ。

 「それでどうしたんだ?」

 「一番信頼してた村長に相談した。そうしたら今すぐ村を出て逃げなさいって」

 「え?」

 「怪異の兆候に間違いないから、このままじゃ陰陽師に殺されてしまう。それに、知ってて匿ってると村の人にも迷惑がかかるって」

 綾人は新しく飛び出たオカルトチックな単語に戸惑う。ただ、玲子が江戸時代から生きている存在ならば、それは怪異と呼んで差し支えない。陰陽師についても過去に実在していたことだけは知っていた。

 「私は言われた通りに逃げた。ちょっとのお金を渡されて人目を避けながら」

 「でもそれって」

 そこで綾人は隠された意味に気がつく。玲子は小さく頷いた。

 「追い出されたって気付いたのは遠くまで逃げた後だった。もう戻ることなんてできなくて。それからはひたすら放浪した」

 「そっか」

 「たくさん悪いこともした。盗んだ物をお金に変えたりね。とにかく人に会わないようにしてた。もちろん、その間も体は歳を取らなかった」

 「超能力は?」

 「私は神通力って呼んでる。人を騙す力はそれから半世紀くらい経ってから使えるようになった。きっかけはもう忘れちゃった。お陰で陰陽師の連中から逃げやすくなった」

 玲子が自らの両手を擦り合わせる。気温はどんどん下がっており、街灯の明かりが白い吐息の輪郭をはっきりとさせる。

 「話を聞く限り玲子は人間だ。どうして歳を取らなくなったのかとか、神通力の由来は分からないけど」

 「そう言ってくれるのは嬉しいけど、言い切らないほうがいい。私は周りの子と同じように育ったって聞かされてそれを信じてただけ。確認のしようがないのはその通りだから」

 「でもさっきは人間だって」

 「思い込んでるだけかもしれない」

 綾人が玲子の気持ちに寄り添おうとしたのは、そうしなければ問題を解決できそうになかったからである。しかし、弱気になった玲子は何度か地面の石を蹴る。綾人は言葉を返せずに黙った。

 「幼いみなしごを表す言葉に幼孤ようこってあるの。幼いに孤児の孤って書いて、さっきの妖狐と音が同じ。孤児という境遇が人生を狂わせた原因だと考えてたこともあって、それ以来自分のことを妖狐って呼び始めた」

 「新しい存在を言い表してるってこと?」

 「うん。少なくとも私は狐じゃないから。駄洒落みたいで気に入ってたんだけど、混乱しちゃうよね」

 玲子は残念そうな顔をしているが、同時にどこか安心しているようにも見える。人に話して少しは肩の荷が下りたのかもしれない。

 「少し分かった気がする。でも、まだ信じられない。人を騙す力って具体的にどんなもの?もし嫌じゃなかったら見せてほしい」

 目にしたもの以外信じないなどと面倒を言うつもりはない。しかし、玲子の話は非科学的すぎる。両親が記憶を操作されていたと聞かされても綾人には実感がない。好奇心も相まって綾人は解説を求めた。

 「あまり見せたくない。綾人に怖がられたら本末転倒だから」

 「過激なのは困るけど、玲子を信じるためには必要なことだ。そこで俺の常識が崩れるようなら、玲子の出生も信じられないって切り捨てられなくなる」

 「そこまで言うなら、分かった」

 最終的に玲子の首が小さく縦に揺れる。玲子はゆっくりと空き地の真ん中へと移動して、大きく息を吸い込んだ後に綾人と視線を合わせる。そして右手を大きく空に伸ばした。

 「空を見て」

 「空?えっ!?」

 声が漏れたのは無意識だった。目の前の光景に綾人は絶句した。

 つい先程まで、空には見慣れた満月が浮かんでいた。しかし、今ではその月が空の半分を占めるまで大きく接近して、表面の凹凸まではっきりと見えるようになっている。恐怖とは違う感覚に支配され、自力では目を離せない。心臓の高鳴りも抑えられなかった。

 「綾人」

 名前を呼ばれてようやく体の硬直が解ける。しかし、そうして確認した玲子は再び空を指差していた。綾人は恐る恐るもう一度顔を上げる。そこにはいつもの夜空が広がっていた。

 「信じてくれた?」

 「さっきのは?」

 「本当に大きくなったわけじゃない。私がそう見せただけ。これが私の神通力のひとつ」

 動悸は今も激しい。非現実的な光景はいとも簡単に人を狂わせる。玲子は小さく息を吐いてから言葉を続けた。

 「昨日綾人が会った私の両親も単なる幻影。本当の両親はもうこの世にいないんだからね。ガレージの車も私のお手製」

 次から次へと神通力の痕跡が明かされるが、なかなか頭に入らない。トリックを見つけようとしても、不可能だということだけがすぐに分かった。

 「綾人?」

 「ということは」

 「どうしたの?」

 「今の玲子も幻影かもしれないってこと?」

 神通力とは凄まじい能力である。その片鱗に触れた綾人は、突如として玲子をどう見るべきか分からなくなった。何かを幻影として見せられていても綾人には判別できない。目の前の玲子が虚像だったとしても不思議なことではなかった。ただ、玲子はそれを聞くなり眉間にしわを寄せて迫ってきた。

 「そんなわけない!」

 玲子が至近距離から睨みつけてくる。隠れていた恐怖が再び溢れてきて、綾人は膝を震わせた。

 「確かに、私はこの力を何度も悪事に使った。今回もその一つだってことは分かってる。でもね、自分で自分を騙してどうするっていうの!?私が生きた証拠は私しか持ってない!それを捨てるなんてできるはずない!」

 「怒らせるつもりなんて、ただ」

 玲子の容姿はお世辞抜きに突出している。そのため、それが幻影だったと説明された方が納得できたわけである。外見を自由に変えられるならば、誰しも万人受けする容姿を求めるはずなのだ。

 「綾人が綺麗だと思ってくれるのは嬉しい。だけど、そんな風に思われるなんて耐えられない!たとえ綾人であってもそれだけは許さない!」

 「ごめん。軽率だった」

 綾人は慌てて頭を下げる。すると、玲子の表情は元に戻って綾人から数歩距離を取った。

 「私もごめんなさい。でも、容姿や名前を偽るなんて生きてる証を捨てるようなもの。それも好きな人の前でなんて」

 「そうか」

 場が落ち着いてから、綾人は玲子を怒らせたことの危険性に気付いた。神通力の存在が明らかとなった今、綾人はそれに対して無防備なのだ。ただ、目の前で照れ笑いを浮かべる玲子を見るとなぜか震えは止まった。

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