第6話 信濃玲子、お前は一体誰なんだ

 夕食を済ませた一行は凍える夜の街を歩いて帰宅する。大人たちは靴を脱ぐなり晩酌に突入し、残された三人はそれぞれ入浴を済ませて就寝の準備に入った。夏乃かのの寝間着を着た玲子れいこに目を奪われたこと以外は何事もなく、綾人あやとは居心地悪く感じるほど綺麗な自室に布団を敷いて寝転がった。

 今も玲子との過去を思い出すことはできていない。それでも、印象は変わりつつあった。玲子は優しく気が利き、人を惹きつける力を持っている。だからこそ自らの境遇が納得いかない。

 仕方がないと割り切ろうとしても、より親密になれるかもしれないと考えると足掻きたくなる。ただ、どんなに知恵を絞ろうと自力ではどうにもならなかった。

 隣の部屋はまだ騒がしい。一つの布団を共有している玲子と夏乃がちょっかいをかけあって楽しんでいるのだ。綾人はそれを聞きながら携帯を触って眠気を待った。

 メッセージを受信した携帯が手の中で震えたのは、意識が途切れかかっていた頃だった。送り主は祐輝ゆうきで、内容は幼馴染について。綾人は現状を正直に伝えることにする。嫌味が返ってくると分かっていたが、今の気持ちを誰かと共有したい気分だったのだ。

 祐輝の反応は予想通りだった。ただ、それと同時に一つの提案が文面に示されていた。

 『小学校まで一緒だったなら卒業アルバム確認すればわかるだろ』

 僅かな時間で返信した祐輝にとって、それは簡単に思いついたことなのかもしれない。ただ、綾人はそれを見て浮足立った。

 『可愛いなら写メ送れよ』

 追加でメッセージが届いたが、それを無視して本棚に向かう。小学校のアルバムは最も下の段で埃を被っていた。

 物音を気にしながら一枚ずつアルバムに目を通していく。玲子がいたクラスは知らないが、全ての写真に目を通せば解決できる。名前も記載されているため見落とす恐れはない。

 夏乃の部屋はいつの間にか静かになっていた。綾人は不気味な雰囲気に恐怖を感じ、呼吸を整えようと体を小刻みに痙攣させる。室温は下がっていく一方だが、気持ち悪い汗が背中を流れた。

 アルバムの中に玲子はいなかった。

 その後は卒業文集を引っ張り出して、全ての文章を読みふけった。書いた人物の名前だけでなく、文章中の名前にまで目を通す。そうして証拠は固まっていき、疑問は一つに集約された。

 「信濃玲子、お前は一体誰なんだ」

 玲子が存在していた証拠を何一つ見つけられない。それが意味することは単純で、背筋が凍り付く。恐怖は綾人の気を散漫させるほどだった。

 「あーあ、気付いちゃったか」

 不意に抑揚のない声が部屋に響く。文集が手から滑り落ちて、背後から痛いほどの圧迫感を受ける。恐る恐る振り返ると、吐息を感じるほどの距離に玲子がしゃがみ込んでいた。綾人は綺麗な瞳に釘付けとなる。

 「でも、もっと早く気付くと思ってた。ううん、気付くというか嘘を指摘するって感じ?二人のときはずっとドキドキしてたんだよ?」

 「どういう?」

 擦れた声に玲子は首を傾げる。綾人は混乱を抑えられなくなった。

 「一体誰なん!」

 恐怖を誤魔化そうと声を張った綾人だったが、即座に玲子の手で口を塞がれる。鋭い視線は声を出すなと伝えていて、自分だけでなく家族まで危険に晒されていると直感した。

 「二人きりで話がしたい。一緒に来て」

 玲子は綾人の腕を掴んで強引に立ち上がらせ、早足に部屋を出て階段を降りる。何が起きているのか考えようにも頭が上手く働かない。廊下のクローゼットから二人分の上着を取った玲子は、綾人を引いたまま玄関から出る。されるがままの綾人は近くの空き地でようやく解放された。

 「ごめんね、怖がらせちゃった?」

 「一体、何のつもりだ!?」

 震える膝を手で押さえて微笑む玲子と対峙する。ただ、綾人と対立するつもりはないのか、玲子は頬を緩めて上着を手渡してくる。星が瞬くほど強い風が吹いている。丸い月まで揺らいでいた。

 「騙してごめんね。でも、綾人を傷付けたかったわけじゃないの」

 「そんなこと、そんなことどうでもいい!一体誰なんだ?幼馴染だと言っていたのは、嘘?」

 「そう。私たちは最近まで会ったことさえなかった」

 玲子が淡々と答える。しかし、それは綾人にとって受け入れられない内容だった。もしそうだとすれば、余計に不可解な点が出てくる。

 「でも、皆は玲子を知ってた。どうして俺だけが知らない?」

 「それは私が皆の記憶を改ざんしていたから。私は人に架空の記憶を埋め込むことができる。ご両親にも私が幼馴染だったっていう偽りの記憶を埋め込んでた。でも、綾人には何もしてない。だから私のことを知らない」

 「できるはずがない!」

 綾人は一般常識に照らし合わせて反論する。そんな非科学的な話を信じるくらいならば、幼馴染の記憶を全て失っていたと解釈する方がよっぽど現実的だった。

 「そうだよね。私は綾人にとって異質。本当は近づいちゃダメなのに」

 「なんだ?もっと分かりやすく話せないのか?怖いんだよ。説明できないなら警察を呼ぶ。二人じゃ話が纏まらない」

 綾人は立場を明確にして玲子から離れようとする。しかし、直視されるだけで動きは封じられた。

 「たとえ綾人が言い出してくれなかったとしても、最後は全部話すつもりだった。近づくきっかけが欲しかっただけなの。だから、どんなことでも教えられる。私のこと、知りたいなら何でも聞いて?」

 「じゃあ、何者なんだ?その話が本当だとして、どうしてそんなことができる?」

 玲子の声には優しさが含まれているが、それを受け取れない綾人は立て続けに質問する。これほどの恐怖は経験したことがない。玲子の態度からは明確な根拠があるように感じ、その必死な姿がさらに恐怖を増幅した。

 「私の正体。誰かに教えるのは何年ぶりだろう。綾人は私を怖がってるけど、私だって同じように怖い。話したら全てが水の泡になっちゃうかもしれないから」

 「話せないってこと?だったら警察に」

 強硬な態度を取ると、玲子はすぐに首を横に振る。綾人と同じで玲子も上手く深呼吸できていない。

 「実はね、私は普通じゃないの。人を騙す神通力を持ってて、二百年以上も生きてる。自分では妖狐ようこって呼んでるんだけど」

 「ようこ?」

 「妖しい狐って書いて妖狐」

 知らない単語に綾人は戸惑う。人を騙す力から年齢のことまで、現実味を帯びない言葉は全て嘘に聞こえた。

 「どうして家族を騙してまでこんなことを?」

 綾人は乱れる思考をほったらかしにして核心に迫る。意味もなくこんなことをしたとは考えられない。隠された目的があるはずなのだ。

 玲子は綾人の問いを受けて唇を震わせた。何度も言い淀んでは、しきりに綾人の様子を気にする。そうしてゆっくりと出てきた言葉は想像を遥かに超えていた。

 「死ぬつもりだったの。だけど、そんなときに綾人と出会った。綾人なら助けてくれるかもしれない。そんなことを考えると落ち着かなくなって、その時にはもう好きになってたの」

 玲子が恥ずかしそうに目を瞑る。対する綾人は限界に達した混乱のためにめまいに襲われていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る