第5話 人との縁はそんな簡単に切れたりしない

 「そんなわけないだろ」

 絞り出した弱々しい声に説得力は全くない。玲子れいこの表情は一向に変わらず、綾人あやとは心の奥底まで見透かされているような感覚に陥った。それでも目が泳がないように精一杯を尽くす。

 「そっか」

 「急にどうしたの」

 座ったまま膝一つ分距離を取った玲子だが、大きな瞳は綾人を放そうとしない。まだ何かを疑われている。綾人は慌てて話題を変えた。

 「そんなことより、掃除を手伝ってくれるんじゃなかったの?」

 「そうだったね」

 綾人が問いかけると玲子は腰を上げ、目につくプリントを集めていく。不自然な沈黙は息苦しい。適当に洋服を畳んでいた綾人は勇気を出した。

 「長野からなんて時間かかっただろ。どのあたりに住んでるの?」

 「え、知らないの?」

 「教えてもらってたかもしれないけど忘れたな。長野市の近く?」

 あくまでも間を繋ぐための話題だったが、玲子の手がふと止まる。紙が擦れる音が聞こえなくなったため静寂が部屋を支配した。

 「そうだよ」

 短く返答した玲子は再び無言になる。まだ先程のことがくすぶっているのかもしれない。綾人が主導的に会話を進めていく。

 「知ってたかな。実は俺の爺ちゃんも長野に住んでる」

 「そうなんだ」

 玲子の反応は冷たい。雰囲気を変える目的としては話題が良くなかったかと綾人は緊張した。

 「毎年じゃないんだけど、今年も三が日が終わってから顔を出してきた」

 「へえ」

 「お互いそのことを知ってたら良かったのにな。だったら定期的に顔を合わせられたかもしれないのに」

 綾人の父方の祖父母も長野市に住んでいる。ただ、家は市街から一時間ほど車を走らせたの山の中にあるため、玲子の家と近所だとは考えにくい。それでも、お互いが近くに居合わせる状況があり、それを把握できていなかったことは不自然だった。

 「そうだね」

 玲子がようやく綾人の方を向く。少し悲しそうな表情の理由は掴めない。

 「じゃあ仕方なかったのか。今日のことを母さんから聞いたのも直前だったから、親同士では話してたけど実現しなかったのかも」

 「そうなのかな。私も今すごく驚いてる」

 「運が悪かったんだろう。そのことを掘り返しても仕方ないか」

 これ以上深く踏み込むと玲子が違和感の理由に気付く恐れがある。そうして謎を抱え込むことにすると、綾人の心の中ではさらに疑問が膨んだ。具体的なことは何も分からない。それでも、大きな食い違いの根底にある真実が、ただの物忘れだとは思えないわけである。

 「今日会えてとても嬉しいよ。もしこの機会がなかったら本当に縁が切れてたかもしれなかったから」

 「大げさだな。人との縁はそんな簡単に切れたりしない」

 玲子は哀愁を漂わせている。先ほどまで綾人を圧倒したとは思えないほど、何かを思い詰めているように見えた。

 「さあさあ。晩は外に食べに行くらしいから、それまでに終わると嬉しいんだけど」

 「そうだね。任せて」

 綾人はあえて気さくに話しかける。玲子が二人の溝を気にしているのならば、そんなものは埋めてしまえば問題ない。綾人の目論見通り、表情を明るくした玲子は掃除を進めていく。ただ、それは綾人の当初の目的と異なっていた。

 片付けはすぐに終わり、残った時間は雑談に費やされた。後半になるにつれて綾人の会話下手が露呈したものの、玲子がその都度フォローしてくれる。煩い乱入者が来るまで雰囲気が悪くなることはなかった。

 「玲ちゃん、久しぶり!」

 話題も尽きかけていた頃、開け放たれた扉から夏乃かのが飛び込んでくる。テニスラケットが入った大きな鞄を放り投げるなり玲子に抱きついた。

 「せっかく掃除したんだぞ!」

 「久しぶり!元気だった!?」

 抗議は誰にも届かず、綾人は再会に感激する二人を脇から眺める。楽しそうに話す夏乃は羨ましく見えた。

 「兄ちゃんのその顔なに?混ざりたいの?」

 「えっ!?」

 夏乃のふざけた言葉を玲子が本気にする。綾人は白い目を向けつつその冗談に乗った。

 「二人が良いなら混ざるけど?」

 「はん、何言ってんだか。駄目に決まってるよね?」

 「う、うん。夏乃ちゃんに見られるの恥ずかしい」

 「そういう問題?」

 顔を赤くする玲子に夏乃のツッコミが入る。至極当然な一言であり、その会話に綾人は関与しなかった。

 「そんなことよりいつ晩飯食べに行くか言ってなかった?そろそろお腹空いてきただろ」

 「そうだね」

 「うん、丁度二人を呼んでくるように言われた。今日は駅前の中華だって」

 夏乃は玲子から離れて自分が投げ出した荷物を集める。その店は評判の良さが売りの老舗で、何度も両親や祖父母に連れて行ってもらったことがある。玲子もここらに住んでいたならば当然この名店に舌鼓を打ったことがあるはずだった。

 「玲子はあそこの中華料理屋覚えてる?」

 「もちろん。綾人とも一緒に行ったでしょ」

 「そういえばあったね。あの時は玲ちゃんのお母さんが連れて行ってくれたんだっけ?」

 「そうそう。お昼に行ってランチセットを食べたんだよね」

 玲子と夏乃はまるで最近の出来事かのように昔話を懐かしむ。何度も話に混じろうとした綾人だったが、結局できなかった。

 「準備できた?」

 雑談が盛り上がりつつあったところ、早苗さなえの声が下から響いてくる。着替えさえ終えていなかった夏乃は慌てて部屋から飛び出した。夏乃の部屋はすぐ隣で、騒々しい音が壁越しに響いてくる。再び二人きりになった綾人らは顔を合わせて笑った。

 店に到着すると一行は個室に通された。玲子は綾人と夏乃に挟まれた席に着き、対面の早苗や和人かずとから質問攻めを受ける。社交性の高さは夏乃に匹敵していた。

 炒飯が運ばれてきた頃になってようやく、綾人は信濃家が一泊することを知らされる。ただ、この期に及んで唐突な話に驚くほど綾人も馬鹿ではない。玲子の両親が飲酒している様子から薄々気付いていたのだ。玲子は夏乃の部屋で一緒に寝るようだった。

 それに差し当たり、綾人はお決まりの煽りを両親から受ける。ただ、玲子の照れた横顔を見ても、抱える問題の大きさから心がざわめくことはない。すると、玲子の不満顔に困らされることになった。

 玲子を知る時間が増えることは歓迎すべきであり、翌朝に玲子が何も知ることなく去るのであればそれでもいい。縁が切れると分かっていても、そんな考えが綾人を支配しつつあった。

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