最終話 エーデルワイスのせい


 ~ 五月三日(金) カエデ狩り ~


 エーデルワイスの花言葉

          大切な思い出



 湖に、足首まで浸して立つ少女。

 真っ白なワンピースをさわやかな風になびかせて。


 彼女の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき

 その輝く髪を飾るエーデルワイスが。

 花弁を一つ風に摘まれると。

 波間に揺れる小舟が生まれ。


 その背にやさしい春の思い出を乗せて。

 俺たちのいる岸辺へ運んでくれた。



「……すげえな、初めて見たぜ」

「いえ、何度も見ているはずなのです。印象に残っていないだけで」

「少年。なぜこんな時期に紅葉こうようしてる? あれはモミジの木?」

「あれはカエデなのです」


 湖を囲む緑に混ざる赤い色。

 いや、くすんだ朱色の正体は。


春紅葉はるこうようという現象なのですが、今日はカエデ狩りと呼びましょうかね」

「それ! アタリ!」

「やっぱりね」


 ぱっと見はお嬢様の水遊び。

 その姿に目を奪われる者すらいるでしょう。


 だというのに、びしっと俺を指し示したその手にはプラスチックの熊手とか。


「……やっぱり、幼稚園なのです」

「え? 何の話?」

「いえ。痛むものも埋まっているので、早く探してくださいな」

「まかしとくの。次はひよし貝がいい? それともひよしエビ?」

「わはははは! そんじゃあたしも手伝うから、ひよし牛を掘り当てるさね!」

「がってんなの、おばさん」


 穂咲は砂浜にはだしで上がってくると。

 夢中で砂を掘り起こすひかりちゃんと母ちゃんの間にしゃがんで。

 楽しそうに熊手を振り下ろしました。



 ……それにしても。

 カエデ狩りって。


 どれほど思いついた言葉を並べても見つからないわけです。


 だって。

 そんな言葉、無いですから。


「お、これか」


 バーベキュー台で栃木産のシイタケを……、いえ。

 ひよしキノコを焼いていたまーくんが。

 携帯をダリアさんに手渡していますけど。


 春紅葉を検索していたのでしょうか。


 ……これは、春にカエデ属の木などが見せるものなのですが。

 葉っぱに葉緑素が出来て緑色に代わる前、短い期間だけ赤っぽい色になっている事があるようで。


「ナルホド、モミジでも同じ現象がオキルのか」

「ええ、カエデ属ですから。でも、モミジの場合は春紅葉はるもみじと言う名で鮮やかな緑を楽しむ遊びがありますし。どっちか分からなくなるので、この際、春に赤い色になるのはカエデ狩りでいいでしょう」

「……勝手に日本語を作るとは。少年、意外な権力者」


 そんなことを言いながら、ダリアさんが見つめる景色の中。

 何本かのカエデが、朱に染まった大きな葉を風に揺らします。


「……確かに。知っていれば気付く自然の不思議も、知らねばただの景色の一部」

「そういうわけなのです」


 でも、それも仕方ない。

 だって春紅葉はるこうようは、そんなに綺麗なものでもなく。

 印象に残らないので。


 ただ、俺には逆に。

 一瞬の物悲しい色彩がとても気になって。

 自分でこの現象について調べてみたのです。


 ……奇しくも。

 おじさんと同じものに心を震わせたおかげで。

 正解にたどり着くことができたという訳なのです。


 江戸っ子発音は継承できませんでしたけど。

 俺も、なにか大切なものをおじさんから受け継いだということなのでしょうか。


「呼んだ?」

「…………呼んでませんし。君のことじゃない」


 そんな、図々しいタイミングで俺に声をかけてくるこいつ。

 君のおかげで、また振り回されましたけど。


 でも。

 穂咲が記憶の中で探していたものが。

 ひよし狩りではなく。

 カエデ狩りだったということは。


「……君も、この物悲しい色に心を打たれて記憶していたのでしょうか」


 俺がぽつりとつぶやくと。

 穂咲は熊手を砂に刺して。

 首だけを湖畔の森に向けながら。


「こんな景色、ぱっとしないから、すぐに思い出せなかっただけなの」

「言うと思った」


 思わず浮かんだ苦笑い。

 今のは照れ隠しですよね。


 みんなをひっかきまわして。

 もうちょっと素敵な景色へご案内できたなら。

 照れ隠しなんかしなくて済んだのにね。



 それでもね、穂咲。

 それはちょっぴり考え過ぎなんじゃないのかな。


 だって、みんなカエデを見て。

 優しい笑顔を浮かべているのです。


 かつて、おじさんが君をここへ連れて来た日の事を思い描いて。

 こんなにも嬉しい気持ちになっているのです。



「みっけた! パパ、みっけた!」


 そして、想像の中の穂咲が。

 現実の中のひかりちゃんとオーバーラップ。


 嬉しそうにまーくんの元へ走る、その姿を見て。

 おばさんが、すうっと涙を流しています。


「でかしたひかり! 貝か? 肉か?」

「……チョコ」

「え? なに言ってるんだよお前?」

「ああ、それ埋めたの俺です。ひよし菓子が出てこないといけないなと思って」


 ひかりちゃんを呼んで。

 ビニール袋からチョコを取り出して。


 砂だらけの手に触らせるわけにはいかないので。

 銀紙を剥いて、あーんとかじらせましたが。


「……パパ。これ? ハズレ?」


 まーくんが眉根をひそめたことが気になっていたのでしょう。

 少し寂しそうに尋ねます。


「いいや、大当たりだ。みんなで分けて食べるんだぞ?」


 そう言われて、ぱあっと笑顔になったひかりちゃんの手を結局洗ってあげると。


 小さな天使は、一口ずつの幸せを。

 みんなに配ってまわるのでした。


「……あたしも、チョコは一口だけにしたの」

「穂咲、思い出したのですか?」


 穂咲は、湖に映える逆さの景色をじっと見つめながら。

 ……暗くて曖昧な、幻の景色を見つめながら。

 ぽつりとつぶやきます。


「だって。ママの分もとっとかないとって、言ったと思うの」


 そして水面から目線をあげて。

 鮮やかな、現実の景色に目を細めると。


 ひかりちゃんからチョコを受け取って。

 幸せそうに頬張るのでした。


「…………道久君」

「はい?」

「やっぱ、ハズレなの」



 ――穂咲と俺と。

 思いは一緒だったようで。



「ええ、ハズレですね」

「そうなの」


 思い出の景色に足りないものは。

 大きな大きな背中。


 二人で来たはずの静かな湖畔も。

 今は賑やかな笑い声が絶えませんし。


 これが記憶と同じ景色かと聞かれれば。

 ハズレという他ないのです。



 ……でも。



「どっちが楽しいです?」

「どっちもに決まってるの」


 そう。

 例え正解ではなくても。

 楽しければそれで幸せ。


 そして今日の楽しい思い出がある限り。

 十数年前の、楽しい記憶へ繋がる、懸け橋になってくれることでしょう。




「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 20冊目🍁



 おしまい




 ………………

 …………

 ……




「あれ? ここ、なんて地名だったっけ?」

「懸け橋、あっという間に落ちたのです」



 今度こそおしまい!




 ……

 …………

 ………………




「穂咲ちゃん! 肉、まだ見つからないかい?」

「無いの。今日はそこそこあったかいから、このまんまだと常温熟成牛になっちゃうの」

「痛んでるだけなのです」


 呆れながら突っ込む俺の声も届いていないご様子。

 穂咲は、母ちゃんと並んで。

 ざっくざっくと砂を掘り起こしているようですが。


 母ちゃんと並んで。

 丸い背中が二つ。



 あれ?

 丸い?



「……穂咲。そう言えば、最近運動してます?」

「ダイジョブ。もうすぐ運動会だから。また走れば元通りなの」


 なんという皮算用。

 そう言えばここのところ。

 気付けばお菓子を食べてますよね。


 でも。


「走れば元通り?」

「走れば元通り」

「今回は走りませんよ?」

「なんで?」


 だって。


「今年は球技大会でしょうが」

「…………球技だって、走るの」


 まあ、そうですが。

 むしろほとんどの球技は走るのですけど。


「君の場合、走る特訓以上にまともに試合になることの方が重要なのでは?」

「どういうこと?」

「だって。君の運動神経、どう頑張っても無理だから君を見捨てて逃げて行ったじゃないですか」


 おやおや。

 ボールみたいに膨れてしまいましたが。


「二人三脚と違って、球技はどれほど頑張っても君には無理」

「そんなこと無いの! いまに見ていろなの!」

「はあ」

「打倒、道久君チームなの!」

「絶対に、君に負けることはありません」



 ……だって。

 同じチームですから。



「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 21冊目🏀


 2019年5月6日(月)予告編より開始!


 穂咲に球技!?

 いやはや、何を無茶なことを。


 運動神経ゼロの穂咲に出来ることと言えば。

 せいぜい、殺人魔球を投げることができるくらいぎゃんっ!!!


「……殺人魔球って、これのことなの?」


 …………ご、ご期待、く、だ…………



 ※作者の体調次第で開始が遅れる可能性がございますが、ご了承ください

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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 20冊目🍁 如月 仁成 @hitomi_aki

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