ミムラスのせい


 ~ 五月二日(木) 湯上り ~

 ミムラスの花言葉 騒々しい



 土地の呼び名というものは。

 住所として登録されていないものが沢山あり。


 地方に来れば来るほど。

 そんなローカル名が沢山あるものですが。


「まさか、父ちゃんが見つけるなんて」

「まだここが正解かどうかは分からんがな」


 手際も良く、大会社のお偉いさんであるまーくん。

 日本全国を飛び回る金澤さん。


 そんなお二人が悪戦苦闘する中。


 父ちゃんのお客様という方が。

 連休のど真ん中だというのに。

 真剣にお手伝いして下さって。


 ひよしと呼ばれる地区にある小さな湖を見つけてくださいました。


 ……まーくんが教えてくれたのですが。

 仕事上のお付き合いという方がこれほど一生懸命になって下さるのは。

 父ちゃんが、それだけ真面目に仕事に取り組んでいるからだろうとのことで。


 信頼という言葉を用いて。

 父ちゃんを高く評価してくれたのです。



 俺が探している。

 誰かの気持ちを汲む仕事。


 ひょっとしたら。

 どんな仕事でも叶うものなのかもしれません。



 まあ、父ちゃんだけでは。

 ゴールデンウィーク真っただ中だというのに。

 八人もの客を泊めることのできる宿など見つけることはできなかったでしょうけど。


「風呂入って寝るだけなんだ。文句はねえだろ?」

「確かに。これで宿泊料が半額なんて、願ったりかなったりなのです」


 夕食は、途中で寄ったファミレスで済ませて。

 まーくんが予約してくれた温泉宿にたどり着いたのはすっかり夜中。


 どんな素敵なお部屋だったとしても。

 楽しむ余裕なんかまるで無い。

 そんな俺達にはおあつらえ向きなのです。


「物置きと言っていましたよね?」

「普段は布団とか置いておく部屋だから、ご覧の通り窓もねえ」

「……ココのオーナーは、お義父さまの釣り友達。そのツテで、前にも秋のハイシーズンに物置きを借りた」

「混んでる時は逆に空く部屋なわけだからな」



 ――男性部屋、女性部屋の二つに分かれ。

 旅行疲れも手伝って、皆さん温泉から上がるなりあっという間に大いびき。


 でも、俺はまだ眠れそうにないので。

 ちょっと散歩にでも行こうかと部屋から出てみれば。


「おや。君も散歩ですか?」

「ママとおばさんが散歩に行っちゃったから。あたしも合流しようかなって」

「その二人で散歩? それ、穂咲は合流できないお店に行っている可能性が高いのです」

「なるほど。それはあり得るの」


 そんなことを話している間にたどり着いたのは。

 ロビーに設置された自動販売機の前。


 俺が紅茶を買うと。

 お隣の販売機からもガラゴロと音が鳴り。


「やっぱり、二人と合流するのやめましたか?」

「お酒のお店だったら入れないの。道久君の後を追っかけてった方が楽しそうなの」


 そして不意打ち。


 穂咲は紅茶のペットボトルを片手に。

 俺の浴衣の袖をきゅっとつまんで。

 のこのこと付いてくるのですけど。


 ふと後ろを振り返れば。

 彼女がまとうのは、お風呂上がりの香りと浴衣だけ。


 軽い色に染めた髪がほんの一房。

 心もとなく鎖骨を隠すのです。


 いやはや、こんな姿はまともに見れません。

 明るいところは無しですね。


 ロビーから、辺りを見渡すと。

 中庭に出るサッシが少し開いていたので。

 スリッパから外用のサンダルへ履き替えて外へ出ます。


 すると、見上げる空におぼろ月。

 薄暗がりにぼんやりと浮かぶ間接照明が。

 芝生の海を淡く輝かせるのです。


「……綺麗なの。でも、ちっと暗くて怖いの」


 先日の怪談のせいでしょうか。

 暗がりにおののく穂咲の手が。

 袖をきゅっと絞ります。


 そして近づく穂咲との距離。

 お風呂上がりの香りもすぐそばに。


 何か、こいつを離す手段はないでしょうか。

 じゃないと、ドキドキしているのがばれてしまうのです。


「……穂咲。すぐそこの丸石、椅子代わりになると思いますよ?」

「その黒い石? ちっとばかし高くて大きくて座りにくそうなの。ここでいいの」

「では、そうですね。紅茶でも買ってきましょうか?」

「え? ペットボトルって、賞味期限一分?」


 袖を握る反対側の手に。

 ちゃぽちゃぽと揺れるレモンティー。


 おお、逃げ道無し。


 覚悟を決めて。

 鼓動に合わせてビブラートのかかった吐息を漏らすと。


 穂咲は、紅茶を俺に差し出しながら。

 優しいトーンで話し始めました。


「おばあちゃんに聞いといたの。お花の仕事」

「ああ……。どんなのがありました?」


 ペットボトルの蓋を開けると。

 穂咲は空いている方の手でそれを受け取って。


「こういうお宿のお庭番とか。もっと洋風なところならお部屋にブーケを置いたりするの」


 なるほど、確かに そういったお仕事もあるでしょう。


 お客様を想って。

 丁寧にアレンジする。


 でもやっぱり。

 そういった、不特定な方へのサービスというものは……。


「うーん……。ピンと来ないのです」


 我ながら、冷たい返事。

 でも、大切なことだから本音を言わないと。


 大抵、手を貸したというのにこんな対応をされたら。

 ぐずぐずと暴れだすこの幼馴染も。


「そうなの。……じゃあ、クラスのみんなにも聞いてみるの」


 まじめに考えている俺を察して。

 文句どころか、諦めることなく俺をお手伝いしてくれます。



 ――正直、夢を探すことの手間に飽きて。

 妥協してしまおうかと考えたこともあったのですが。


 こいつがこんなに頑張ってくれるから。

 俺の気持ちも折れずにいられるのです。


「あたしもね? これは違うんじゃないかなって思ってたの」

「そう? なぜです?」

「道久君、誰かがこんな感じのものが欲しいって言うのを聞いて、そんなのを作りたいんだよね?」

「日本語下手ですね……」


 ありゃりゃ。

 さすがに膨れてしまいましたか。


「じゃあ、上手く説明するの」

「俺はですね、お客さん一人と向き合って、その人があいまいにこんなのが欲しいって言うのを一緒に探して作りたいのですよ」


 俺の理想と言いますか。

 夢について説明すると。


 どういう訳やらあきれ顔になった穂咲ですが。


「……ああ、なるほど。俺も日本語下手ですね」

「あたしの話とたいして変わんないの。日本語下手くそなの」

「そんな顔しなさんな。こう見えて、俺はフランス暮らしが長かったのです」

「いっとき、ブームで毎朝食べてたもんね、フランスパン」


 硬いバゲットにあこがれて食べていた時期もありましたが。

 やはり、パンはふかふかに限ります。


「くしゅん」

「冷えましたか? 湯上りですし」

「ハズレなの」


 鼻をグズグズとする穂咲のハズレという言葉。

 いつからか、これが定常化しましたが。


「狩り探しですか? ハズレに決まっているでしょうに。だって、正解はもう分かっているわけですし」

「なに言ってるの?」

「君がなに言ってるのです。この旅行、君がひよしがりをした湖を探しているのですけど」

「……ハズレなの」


 ……………………は?


「ちょ……? え? ひよしがりがアタリですよね!?」

「アタリなんて一言も言ってないの」


 ウソ?


「だって! 昨日自分でひよしがりって言ってたじゃないですか!」

「ひよしがりは確かにやったの。でも、あたしが探してる狩りは、違う狩りなの」

「庭で潮干狩りやった時だってあんなに楽しそうに……!」

「楽しかったの。でも、ハズレなの」

「め……」

「め?」

「めんどくさい生き物ですね君はっ!」


 確かに。

 あれは俺が勝手に思い出したというか。

 思い付いたもので。

 君はアタリとは言っていなかった気がしますけど。


「じゃあ、なんのためにこんなことをしているのやら……」


 まあ、これはこれで思い出探しと考えればいい訳ですけど。

 納得いきませんって。


「…………さすがに降参です」

「そんな事じゃダメなの。あたしは諦めてないの」


 そう口にした穂咲は。

 嬉しそうに月を見上げます。


 まるで、まだ見ぬ宝物を探し求めるような。

 それを通して、おじさんと旅をしているような。


 優しい、幸せそうな笑顔なのです。


 ……そして再び。


「あたしは諦めてないの」


 優しいタレ目を俺に向けながら。

 こんなことを言うものだから。


 まるで、俺と一緒に捜し歩くのが。

 楽しいと言ってくれているようで。


 俺は頬が赤くなったことを自覚しながら。

 君から目を離すことができなくなって……。


「諦めてないの。道久君が見つけてくれるのを」

「台無しです」


 まったく。

 ちょっといい感じに解釈したらこれですよ。


 でも。

 えへへと笑うその口元は。

 ほんとに幸せそうで。



 ……見つけてあげたいな。

 思い出の場所。



 肩の力がすうっと抜けて。

 代わりに上がったあごの先。


 おぼろ月は、ほうっと誰かさんの髪の色に輝いて。

 そこに、タレ目の笑顔が浮かびます。


 ……湯上りの香りと月明り。

 なにやらポーっとしてきました。


 そう言えば、洋館でも。

 不思議な気持ちになりましたね。


 セピア色にぼやけた景色の中で。

 穂咲とおじさんの姿を見た気がしますけど。


 その窓辺にはエーデルワイスが咲いていたような。



 …………エーデルワイス、か。



「おじさんとひよしがりに来たの、この時期でした?」

「分かんないの。ママがこの季節だって言ってたけど、でも……」


 なにやら首を捻る穂咲ですが。

 ぽつりとつぶやくには。


「……紅葉狩りっぽい気もするの」


 ああ。

 なるほどね。



 ようやく謎が解けました。



「……狩りの正体、分かりました」

「ほんと?」

「見せてあげる事、できると思うのです」


 君は。

 運がいいから。


「ほんとに?」


 袖を引く、穂咲の指に力がかかって。

 淡い光に浮かぶ君の顔が少し近付いて。


 木々がさわりと葉を揺らしながら。

 柔らかな風を吹かせて、君の髪を揺らしたので。


 その髪を、指で耳にかけてあげると……。


「ほれ! そこでぶちゅーっと!」

「ほっちゃんから行っちゃいなさいな!」


 ……余計な声が。

 ステレオで聞こえてきました。



 なんという邪魔者。

 いえ、全然邪魔とかそういうのではないのですが。


 振り返れば。

 おばさんがロビーからこちらを覗きながら。


「どんなお話してたの?」

「内緒に決まってます」


 教えろ教えろと騒いでいるのですけど。


 あれ?

 そう言えば、もう一つの声。

 どこから聞こえて来たのです?


「わははは! 二人が何しゃべってたか、あたしが全部教えてやるさね!」

「うわ! 石がしゃべった!」

「椅子にしないでよかったの」


 黒い丸石だと思っていたものは。

 母ちゃんの背中でした。


「でかした! 聞かせてよ、どんなこと話してた?」

「まずはね……」


 急に騒々しくなったので。

 俺は逃げ出すことにしました。



 ……騒々しくなったからです。

 他の理由は、特にありません。


「姑の場ふさがりなの?」

「そういった事実は確認されておりません」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る