星を待つひと(4)
気がつけば、私はいつもの海岸の前に立ちつくしていた。
昨夜は一睡もできなかった。眠気は確かに感じるのだが、どうにも眠れず、時間を潰しているうちに、辺りはすっかり明るくなってしまっていた。それから日が暮れるまで、ぼうっとしながら酒を煽り、不快な酔いを醒まそうと、軽い散歩に出たところまでは思い出せる。それから無意識のうちに……そう、自分でも気が付かないうちに、吸い寄せられるようにして、この海岸まで来てしまっていた。
――君なら信じてくれるだろう?
私の胸に深々と突き刺さった、ナナシの言葉。あの問いへの答えを、私はまだ持っていない。
やはり、帰ろう。そう諦めて、身を翻しかけたときだった。
「ナオユキ!」
私が最も聞きたくなかった、そして最も待ち望んでいた声が岩と砂の間に響く。
ナナシはいつもの岩陰から、這うようにして表に出てきていた。その脚は脱力しきって、彼の助けになりそうもない。彼は腕だけで身体を支えたまま、へらりと笑ってみせる。
ナナシのその姿を見て、私は、これまで一度も彼が立ち歩かなかった理由を理解した。彼は、歩かなかったのではない。歩けなかったのだ。
「もう来てくれないかと思った」
ナナシは、私を咎めようとはしなかった。それどころか、いうことを聞かない身体を引きずってまで、私を引き止めに来たのだ。
私はいたたまれなくなり、ただ立ちすくんでいた。彼を抱き起こしてやることも、この場から逃げ出すこともできなかった。
「生き物は死んだら星になるって、聞いたことあるかい」
ナナシは、動けずにいた私にそう言った。自らは半分砂に伏せたままで。
生き物は死ぬと星になる。ありきたりな話だ。それなら、星が死ぬという現象をどう説明するのだろうか。星はあくまでただの恒星であり、生き物の命なんかとは全く関係がない。科学的根拠と共にそう言われた方が、納得もいくというものだ。
だが私は、ナナシの言葉を遮ることができなかった。彼は穏やかに言葉を続ける。
「あれは本当なんだ。生き物は死んだら星になる。そしてその星は、流星群の日に、貝となってこの浜に降り注ぐ。生前の行いに応じて、少しずつ見た目を変えてね」
――善い行いをした者の星は美しい貝に、悪い行いをした者の星は薄汚れた貝へとそれぞれ姿を変え、この海岸で眠りにつくんだ。
『空想は嫌い』――そんな言葉は、もう出てこなかった。私は、彼の言葉をゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。彼の言葉は、声は、水のように私の胸の中に沁み渡った。胸のあたりにわだかまっていた酔いが、安らかな微睡みへと色を変えてゆく。
私はナナシに数歩歩み寄り、その身体を起こしてやった。彼は少し戸惑ったようだが、私の顔を見ると、照れくさそうに微笑んだ。どうして歩けないことを教えてくれなかったのか
と尋ねた私に、ナナシは、当然のようにこう答えた。
「イルカには足なんてないだろう?」
「それじゃ、あなたが歩けないのは、イルカだから?」
ナナシは首肯した。やはり、その表情は真剣だった。
もし彼が私をからかっているのだとしても、どうだっていい。私は、『そうか』とだけ答え、はるかかなたの小さな輝きを見上げる。そんな私とナナシの様子を、浅瀬のイルカたちも、静かに見守っていた。
触れることのできない、きらきらと輝くものたち。大人になって手放せたと思っていた、空想や夢。けれどもそれらは、まだ私の中に残っていた。胸の奥で、私が迎えに来るのを待っていた。
私はナナシを浜辺に連れて行き、彼の足先を水に浸してやってから、自分も靴を脱ぎ捨てる。ナナシは水の感触に首をかしげていたが、しだいに顔をほころばせていく。そんな彼を見ていると、私までたまらなくなって、脚で水面をかき回す。
水が跳ね、踊るたびに、水面は星を映してきらめいた。足元に広がる私たちだけの星図の中で、ひときわ強く輝くナナシの瞳が、私をあるべき場所へと引き戻してくれる気がした。
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