星を待つひと(3)

 ナナシと出会って三度目の夜、私はやはりあの海岸を訪ねた。ナナシの方も、もう慣れたように私を出迎えた。もちろんイルカの群れも、海岸のすぐ近くで星を待っていた。

 私は裸足を海水に浸し、黙って空を見上げる。岩場の影に座ったままのナナシも、浅瀬に集まったイルカたちも、皆一様にただ星を眺めていた。夜の海で水遊びをする私と、それを気にもしないおかしな風体の男――ナナシと、何を考えているのか分からないような顔をしたイルカたちが、そろって同じ空を見ている。奇妙な光景だが、笑おうとも思えなかった。なにせ、私だってその奇妙な光景の一部をなしているのだから。そしてそれが、奇妙にも快いのだから。

 私は足先で水をかいて、ナナシの方を振り返る。星々を見上げるナナシの漆黒の瞳は、鏡のように夜空を映して輝いていた。

「流星群の日には、この海岸に星が降り注ぐ。降ってきた星は色とりどりな貝になって、浜に落ちてくるんだ。美しい貝もそうでない貝もないまぜに、たくさんの貝が降ってくる日……それが、流星群の日」

 そう言ったナナシの声は、静寂にしんと溶け込んでいった。私は足元に視線を落とし、浅い水底に転がった貝をつま先でつつく。

 これが、かつては星だったとナナシは言う。そして私は、そんなナナシの言葉を受け入れてしまいそうになっている。

 私は足元の貝を拾い、闇に覆われた水平線に向けて投げつけた。貝は力尽きたように少しだけ向こうの水面をはね上げ、やがて見えなくなった。

「ナオユキ……?」

 ナナシの隣は、とても居心地がよかった。だが、私では、彼の言葉に応えてやることができない。私は水から足を上げ、ナナシの方を見ないままに靴を拾い上げる。

「……空想とか、そういうものは嫌いなんだ。僕は……僕はもう、大人だから」

 絞り出した言葉は、誰よりも私自身に、深々と突き刺さった。ナナシはどんな顔をしているだろうか。振り返るのが怖かった。

 靴を手に持ったまま、裸足でその場を立ち去ろうとした私の背に、声がかかる。

「私は君をからかってなんていないよ。ナオユキ、君なら――」

 ――信じてくれるだろう?

 ナナシの声は、疑いなく澄んでいた。私は返事もせず、足早にその場を離れた。

 そうして、ナナシの背中もイルカの群れも岩陰の向こうに隠れて見えなくなったとき。全身から力が抜け、その場に蹲ってしまった。

 休暇を言い渡され社会を離れてから、ときどき、上司から休暇を言い渡された瞬間に感じた、血の気が引くような感覚に襲われるようになっていた。もしかすると、もう会社には復帰できないかもしれない――そんな不安が、心に重くのしかかる。

 私以外の誰も知らないだろうが、私は、あそこまでたどり着くために、『ちゃんとした大人』になるために、とても大切なものを捨てた。大好きだった空想をやめたのだ。子供のすることだと他人が言うから。『普通』に生きていくには、邪魔だったから。

 ――さっきの君、とても輝いていたよ。

 ナナシの言葉を思い出し、深くうなだれる。

 まだ子供だったころの私は、不思議なものが好きだった。目に見えない、私の知らない、それでも存在するものを思い浮かべるのが好きだった。そんなことを、どうして……どうして今になって、思い出してしまうのだろう。

 社会からは遠ざけられ、空想は遠ざけてしまった。もう、私の居場所はどこにもない。星にさえも見放されてしまったような寂寥が、澱んだ風と共に足元にまとわりついてくる。力の入らない身体でどうにか立ち上がり、足を引きずるようにして、長く暗い帰路へと踏み出した。

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