星を待つひと(2)

 次の夜。私は逸る心のままに、息を切らせてあの海岸に辿りついた。昨日と全く同じ場所に座りこんでいるナナシを見つけると、迷わず隣に腰かける。そんな私を、ナナシは嬉しそうに出迎えてくれた。

「本当に来たんだね」

「来る気がなければ、また明日なんて言わないよ。……こんばんは」

 ナナシは目をぱちくりさせ、こんばんは、と繰り返した。改まった挨拶には慣れていないらしい。これまで私がナナシの態度に驚くばかりだったぶん、彼の驚いた顔を見ると、なんだか不思議な気持ちになる。

 私が実家から持参した安酒を取り出すと、ナナシは、奇妙なものでも見るようにそれをじっと見つめてきた。ためしに一口飲ませてやると、彼がずいぶん酒に弱いのだとすぐに分かった。目をとろんとさせ、しゃっくりを繰り返す彼の様子はとても愉快だ。

 私は酒を傾けつつ、顔を赤くしたナナシと、そろって星空を見上げた。星は薄い雲を透かし、はるか地上の私たちにも光を届けてくれている。

 ふいに、小さな水音が立った。暗い海に視線を向けるが、何も見つからない。戸惑いながらナナシの方を見ると、彼は少し離れた浅瀬の方を指差した。ブルーライトや書類に慣れ過ぎた目を精一杯に細めて彼の指す先を注視すると、水面をさざめかせ、ぬらりと水面に顔を出した『何か』の姿を捉えることができた。

 ――イルカだ。それも、一頭や二頭ではない。たくさんのイルカが、海岸のすぐ近くに集まっていたのだ。

「彼らは、昨日からこうして流星群を待っている。言ったろう、イルカは七日前から流星群を待つ、と。このあたりのイルカは皆、流星群の日にこの海岸で一番美しい貝を拾うために、君が来る前の晩からここで、待って……。私も……」

 アルコールが回ってきたのか、ナナシの語尾は、今にもとろけてしまいそうだ。

 どうしてイルカたちはこの海岸に集まってきたのだろう。『イルカは七日前から流星群を待つ』なんて言われても、さっぱり意味が分からない。なんのためにイルカたちがこの海岸で一番美しい貝を探すというのか。そもそも、イルカがどのようにして陸の上にある貝を探すのか。それも、わざわざ流星群の日と決めて。

 そこまで考えた私に、理性が待ったをかけた。普通なら、何の違和感もなく、こんな突飛な話を信じたりしないはずだ。普通の、『ちゃんとした大人』なら……。かすかな心の痛みから目をそらして、自分を戒める。

 ナナシの方に目をやると、彼は膝を抱えて舟をこいでいた。酒を飲ませたのは間違いだった。いくらしっかり着込んでいるとはいえ、こんなところで眠ったらかぜをひいてしまう。

「ナナシ、ここで寝ちゃダメだ。僕が背負うから、今日はもう帰ろう。家はどこだ? 遠いなら、うちに泊まっていってもいいから」

「私なら、だいじょうぶ……ここが、私の帰るところ、だから……美しい貝を見つけるまでは……置いて……」

 ナナシはあいまいにそう言い残したきり、安らかな寝息をたてはじめた。『貝を見つけるまでは、ここが私の帰る場所』だなんて……。私はナナシを見おろし、妙な予感にざわつく胸に手をやった。

 この浜で最も美しい貝を探すべく、七日前から流星群を待っているナナシ。それは、彼が語ったイルカの挙動と全く同じだ。まるで、彼こそがその当人ではないかと思えてしまうほどに。

 そんなはずはない。分かっていながらも私は、ナナシを無理に連れ帰ることはしなかった。それが、彼の言葉を信じていたからかと問われると、うまく答えられないのだが。

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