第十一話
日野は警察署で書き物をしながら、ぼんやりと恭子との会話を思い出していた。釜ヶ崎のことをもっと知りたいと言っても……刑事ドラマにして面白い話なんて、俺には思いつかないぞ。それに、視聴率をあげるために釜ヶ崎の労働者たちの生活を大げさに書かれるのも厭な気がした。
その時、コーナーの入口が少し開いた。誰かが頭を覗かせた。頑鉄だ。頑鉄は日野と目が合うと「こっちへ来い」と手招きしてきた。
「先生、ちょっと顔かしてんか」
「なんやね……」
「うん、ちょっと、そこの喫茶店へ行こう。そこで言うわ」
また、借金か。と、思いかけたが、剣の優勝戦で応援してくれた礼もある。日野は頑鉄に付き合った。防犯コーナーは、底辺の労働者との接触が多いので、釜の生きた情報が集まる。彼らは貴重な情報源だ。コーナーは犯罪情報収集のアンテナでもあった。
商店街のはずれの粗末な喫茶店に入った。昼過ぎのせいか、人はあまりいない。それでも、頑鉄は周囲を警戒した。一番奥の席に着くと、頑鉄はぺこりと頭を下げた。
「先生、剣道の優勝おめでとう。先生の活躍で西成は勝ったんや。わし、嬉しくて」
「ありがとう。お前の応援のおかげや」
頑鉄は声を落とした。
「先生、ところでな、耳よりのタレコミがあるんや。マル暴の博打や。花札賭博や。手柄たてえな」
日野の目が光った。
「ガセネタやないやろな」
「違う、勝本組やで」
勝本組は、指定暴力団、竜頭会系の有力な戦闘集団である。
「なんでも、一晩、数千万が動くっちゅうで」
「何時、何処で、やるんや」
「明日の朝、午前一時から。三角公園横にあるやろ、あの事務所や」
「分かった。ありがとう。よく知らせてくれたな」
「わし、先生に手柄たてて欲しかったんや」
日野はすぐ、刑事課に連絡せねばと思った。
刑事課は、西成の最大の暴力団、勝本組壊滅のネタ探しに血眼になっていた。これを機に事務所のガサ入れも出来、隠し拳銃の捜査もできる。耳より情報である。
頑鉄は突然、怯えた表情で、あたりをきょろきょろ見渡した。
「先生、この情報、絶対漏れんようにしてや。漏れると、わし、殺されるからな」
「分かっとる。あんたに、絶対、迷惑はかけん」
日野は、頑鉄が安心するよう、力強く答えた。
危険を犯してまで、自分に通報してくれた頑鉄の気持ちが嬉しかった。
「わし、先生が好きなんや」
頑鉄は日野を見て、にっこり笑った。
刑事課は、日野の情報に基づき、翌日未明、勝本組に一斉に踏み込んだ。
その日の夕刊に、賭博現行犯逮捕十三名、揚げ銭六千万円、拳銃押収十一丁、指名手配検挙三名と、西成署刑事課の
佐藤刑事が金一封を持って、署に飛び込んできた。
「主任、お手柄や、刑事課長が喜んで、お前、日野くんと親しいから、これ持っていけって。これで、頑鉄に一杯飲ませてやって下さい」
「そんなに喜んでくれて、俺も嬉しいよ、早速、頑鉄に連絡する」
「頑鉄のやつ、今まで、そう協力的でもなかったのに、急に変わりよった。これも日野主任の人徳かな」
と、言いながら、佐藤は顔を引き締めた。
「主任、今後、頑鉄の身辺には充分、気をつけて下さい。極道の仕返しが怖い。わしらも気をつけとくけど」
「分かった。あいつも怯えとる。俺は絶対、あいつを守らんならん」
日野は、頑鉄を呼び出して、新世界のじゃんじゃん横丁の飲み屋に誘った。釜ヶ崎では、いつ知り合いに出会うかもしれない。頑鉄には危険だ。日野はホルモン屋の隅で、改めて頑鉄に頭を下げた。
「頑鉄、この度は本当にありがとう。おかげで俺の株が、いっぺんに上がったよ」
頑鉄は、しわの深い顔をくしゃくしゃにして、
「先生にそない喜んでもらって、わしも本望や。これからも先生のためなら、協力するで」
「今日は軍資金もたっぷりある。うんと飲んでくれ。俺も付き合うから」
「この町で飲むのは、久しぶりや。ほな、遠慮なくいただきます」
酒好きの頑鉄は、ぐいぐいとコップ酒をあふり、旨そうにホルモン焼きを食った。酔うと泣き上戸なのか、涙を流しくどきだす。そして、よろよろのジャンパーのポケットから、茶色に変色した写真を取り出した。若い女が、赤ん坊を抱いていた。
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