第二話

 日野はもがいた。何とか本部から逃れようと、馴染みのない法律を必死に勉強した。やっと部長試験に通り、本部を脱出した。


「西成が落ちこぼれの俺を迎えに来た」

 日野はそう思った。

 車が西成署の玄関に止まった。灰色一色の西成署は陰惨に建っていた。

『釜ヶ崎暴動』

 手配師や暴力団からのピンハネ、求人が少ない、たまたま起きた火事が切っ掛けになった暴動。新左翼による扇動。労働条件が劣悪だった日雇い労働者たちの蓄積した感情や、外部からの扇動によって引き起こされた幾度もの暴動によって、警察署の窓という窓は叩き破られ、要所要所にはめられた鉄骨が物々しい。それはまるで返り血を浴びた城郭のようだ。

 玄関に入ろうとして、日野は目を剥いた。奇妙な光景が広がっていた。

 コンクリートのゆるやかな坂になった玄関の踊り場に、五・六人の労務者が八の字に寝汚いぎたなく眠り込んでいる。

 もう、午前十時だと言うのに、労務者たちはべっとりと寝そべって、一向に起きる気配はない。どうしたものかと戸惑っていると、重そうな玄関のドアが開き、若い巡査がホースを片手に現れた。

「こりゃ、いい加減に起きんかいっ。もう十時やぞ。今日は客人が見える忙しい日や。さあ、起きた、起きたっ。そら、水まくぞ」

 巡査は遠慮なく、ホースで勢いよく水を撒きだした。

 労務者たちは、もぞもぞと起き上がり、ぶつぶつ言いながら、踊り場を離れる。

 巡査は、日野たちの一行に目を止め、

「やあ、どうもすいませんね。こいつら、ここをネグラと心得て、いつもこの調子なんです。外に出ると極道のシノギに襲われるもんで、ここは絶対の安全地帯なんです。追っ払っても、追っ払っても、やってきます。昼間はこうして水を撒き、追い払っているんですが。さあ、どうぞ、入って下さい」

 巡査は、日野たちを署内に招き入れた。


 踊り場を離れて、日野たちを眺めていた労務者たちは、

「あいつら新入りやで。顔、覚えとこ」

 と、囁き合っている。

 二十六人の西成署赴任者が、公廨くがいに勢ぞろいした。(公廨くがいとは警察署一階ロビーを言う)署長への申告のためである。

 いずれも、逞しい体格の不敵な面構えをしている。その中に一人、色白で華奢な体つきの若者がいた。猛者ぞろいの中で、顔に似合わず物怖じする様子もなく、辺りを物珍しそうに見渡している。

 日野の隣のⅮ署で一緒だった清水が囁いた。

「あの男、うちの警備から赴任した広岡というんだ。二十五歳でB大の英文科を出ている。今度、現職から警察の上級職の二次に通り、採用されるのは間違いないらしい。生意気な奴やで……」

「そうか」

 日野は囁きながら、折角、エリートの館から逃げれたと思ったのに、ここにもまたエリートがいた。と、少し落胆した。


 





 


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