第28話 僕がしたいことはなんなのか

「――ふあああああああーーーっ!」


 僕は叫んだ。

 家で一人でハンモックに揺られながら、それはもう叫んだ。

 マタタビを片手にぐわんぐわんとハンモックを左右に動かす。


「ふぇぇぇーーー……! もうやだよぉおぉぉ……!

 うへへっ……ふにゃああ……やだやだぁ……!

 ううっ、もう楽したい、なにもしたくないよぉ!

 うへぇ、へへっ……またたび、さいこうぅ……!」


 なんだか意識が朦朧として気持ちよくなってきた。

 あ、言っておくけど、マタタビはちょっと何だか心地がよくなるだけで、副作用とかそういうのないから。

 後、中毒性もないからね?

 健全だからね?

 ちゃんとした奴だからね?

 そこ間違わないでね?

 ということで僕はマタタビにご執心なのだ。


 ふわぁいっ!

 もう嫌なこと忘れてマタタビをキメちまいたいぜぇ!

 ああ、現実は非情だ。

 なんで僕がこんな目にあわなきゃなんないんだ。

 斬られた背中は痛いし。

 先行きは不安だし。

 コロコロされちゃいそうだし。

 もう嫌だ。


「いやだあああああああああああああ!

 どっかに逃げちゃいたいいぃぃぃ!」


 ああ、マタタビが切れてしまった。

 僕は再びマタタビを嗅ごうとした。

 しかし、不意に虚しくなってやめた。

 とてつもなく空虚だった。

 なぜだ。

 なぜこんな気持ちになるんだ。

 現実から逃げても意味はないって、わかってしまっているのか。

 ああ、どうしてこんな時にまで僕は現実主義なのか。


「……ううっ、数日の休みは貰ったけど、また仕事が始まる。

 行きたくないよぉ! もう辞めたいよぉ!

 辞めて家でゴロゴロして、マタタビでふにゃりたいよぉぉぉーーっ!」


 僕はじたばたする。

 子供のように暴れた。

 しかしそれに何の意味があるのだろうか。

 ない。

 何もないのだ。

 僕は動きを止めた。


「疲れちゃった……もう、疲れたんだ僕は」


 暴れすぎて疲れたということと、現実に疲れたということ。

 その相乗効果で僕は果てしなくやりきれなくなった。

 逃げようかな。

 どこか遠くへ。

 転移場を抜けて人間界に入って、適当に人間に変化して、適当に旅をして。

 そうして生きるという未来もあるんじゃないだろうか。


 ……でも魔王軍を抜けてしまえば指名手配される。

 そう、裏切り者として。

 普段は適当な魔王軍の戒律だが、裏切り者に関しては厳しい。

 逃げても逃げても追いかけてくるのだ。

 追跡が得意な魔物もいるし……僕なんて一瞬で見つかって殺されちゃうだろう。

 逃げようと考えたのは何度目だろうか。

 その度に無理だという結論に至るのだ。

 もう諦めた方がいいのだろうか。


 僕は天井を見上げた。

 死にたくはない。

 逃げたい。

 痛いのは嫌だ。

 辛いのも嫌だ。

 でも、もう僕はわかっているんじゃないのか?

 どうしようもないって。

 逃げられないって。


 それを本当は受け入れているんじゃないのか?

 その上で、どうしようかと考え始めているんじゃないのか?

 言葉や態度で嫌がっていても、愚痴を漏らしても、理解しているんじゃないか?

 受け入れてその先にあるものは何なのかって考えているんじゃないのか?

 だから……だから僕はこう思い始めている。


 僕にできることは、僕がしたいことはなんなのかって。

 ルルちゃんとエリンとの出会いで僕は少し変わったのかもしれない。

 初めて人と直接関わって、互いに分かり合って、理解し合って。

 あの時、僕達の間には間違いなく絆があった。

 人と魔物なんて関係なく、好意を持っていたはずだ。

 だって今も僕はルルちゃんのことを思いだして、また会いたいなって思うんだ。

 エリンのことを考えて、大丈夫なのかな、怪我してないかなって心配するんだ。

 村の事を考えて、別の魔物に襲われていないかなって不安になるんだ。

 チカイ村の人達は作物に気づいただろうか。喜んでくれただろうか。

 廃村で亡くなった人達は少しは報われただろうか。

 そんなことをふと考える。


 そして、はたと気づくんだ。

 僕は人間を好きになってきているって。

 溜息をもらす。

 何が僕を変えたんだろう。

 元々そうだったのか、それとも気づかない内に影響を受けたのか。

 それはわからないけど、確かなのは今、僕はただ逃げようと思ってはいないということ。

 人と関わって、人のために何かして、そうやって生きる方法もあるんじゃないかって、そう思っているということ。

 エリンの言葉を思い出す。


『すべての魔物が君のように優しければ……。

 もしも人が魔物を恐れずに近づこうとすれば、違う世界があったのかもしれないな』


 彼女はそう言っていた。

 その言葉を僕は頻繁に思い出していた。


「魔物が優しければ……か」


 もしも、魔物が優しければ世界は変わっていたのだろうか。

 人にも魔物にも優しければ、魔物がそういう考えを持っていれば、簡単に人を殺さないし、魔物同士の諍いも生まれなかったのかな。

 魔物がそんな風になれるんだろうか。

 僕はふとコボくんを思い出した。

 彼は最初、何も考えずに人を殺そうとしていたが、今は率先して殺すという手段を選ばないのではないだろうか。


 それにジットンくんも話したことで理解してくれた。

 人を殺さず作物を育てるという手段を選ぶことを許容してくれた。

 人を埋葬したのも彼だ。

 その真意がただの好奇心だったとしても、人を無碍に扱うということをしなかったということでもある。


 ドーラちゃんはよくわからないけど……でも最初より協力的だとも思う。

 みんな変わったんだろうか。

 そして僕も……。

 人も魔物も変わるんだろう。

 だったらもしかしたら、人を簡単に殺そうとする魔物達の考えも変えることができるのかもしれない。

 魔物の考えを変えるにはどうしたらいいのか。

 僕はそんな風に思考を巡らせ始めていた。 


「……僕はきっと今の魔物達の考えがが好きじゃないんだな」


 だからもっと優しい考えに、もっと理性的な考えに変えたいのかもしれない。

 というか単純にそうなったら僕が生きやすい世界になるんだよね。

 そう!

 それでいいんだ!

 色々と考える必要はないんだ。

 僕が生きやすい環境にしたい。

 優しく、殺伐とせず、寛容で、人を簡単に敵視したり危害を加えない、そんな風に魔物達が考えるようになれば、きっと毎日がもっと楽しいし、幸せなはずだ。

 そうなれば人間達も救われるだろう。

 ルルちゃんみたいに両親が殺されるような不幸な目にあう子も少なくなるはずだ。


 うん。

 それでいい。

 それがいい。

 逃げることはできないし、逃げる勇気もない。

 誰かが傷つくのは嫌だし、自分が傷つくのも嫌だ。

 誰かが殺されたり、誰かが敵対するのも許容したくない。

 だから僕は。

 もっと魔界を、魔王軍を、魔物達を優しく変えたい。

 そのために何ができるのか、まだわからないけど。


「うん……決めた」


 怖いし、正直に言えばやりたくない。

 だってどう考えても大変だしさ、何かを変えるのって簡単じゃないから。

 もしかしたら今以上に危険に晒されるかもしれないんだ。

 でも、やる。

 やろう。

 ずっと逃げてきた、嫌なことから目を背けたいってと思ってた。

 その日々とはもうおさらばしよう。


「よし……やるか! 気は進まないけどね!」


 決断したら少しは気が軽くなった。

 ずっと周りに振り回されて自分の意思がなかったから。

 初めて自分で決めて、自分で目的を達成しようと思ったから。

 少しだけ気分は晴れた。

 さて。じゃあまずは次の任務に向けて事前に考えておこう。

 何も言わずにただ命令を待っていたらまた無茶なことを言われるし、それでは今までと一緒だから。

 僕の目的と任務を同時に達成できる、何かを考えておくとしようか。


「と、その前にぃ」


 僕はマタタビを嗅いだ。


「ふわあああああ……これこれぇ、ふにゃあああ……」


 僕はふわふわとした感覚に身を委ねる。

 決意は固まったし、まだ休日はあるから、ちょっとくらいハメを外していいだろう。

 そう思い僕はその後もマタタビを堪能し続けた。

 久しぶりにちょっとだけ快適な時間が過ごせたような気がした。

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勘違い無双 ~弱い魔物なのになぜか昇進しまくるので、魔王になることにした~ 鏑木カヅキ @kanae_kaburagi

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