第27話 出会いは少女を変える

 一方その頃。

 ベツノ村、正門近辺。

 そこにいたのは遠征討伐隊長のトバルだった。

 ワンダ達が使った転移場は比較的近い場所に転移するもので、スグダ森林と迷いの森近辺における人の村を網羅するために作られた場所だ。

 しかしそれは現代においてはあまり機能しておらず、村も少ないため魔物達はあまり活用していなかった。

 ゆえに近辺において、魔物の出現は多くはなかった。

 閑話休題。

 トバルは門衛の若者に話を聞いていた。


『――では魔物が村を襲ったというのは事実だったのだな』

『え、ええ。この近辺ではあまり魔物が出現することはなかったんですが』


 なぜか若者の目は泳いでいた。

 嘘を言っているようには見えない。

 事実、多くの村人が同じように証言し、物証も残っている。

 まあいい。まずは現状を整理すべきだろう。

 トバルは思案する。

 確かにスモル皇国内において魔物の襲来はあまり多くはない。


 第三次魔大戦において大きな被害を受けたスモル皇国や周辺の小国は消滅、あるいは衰退した。

 ゆえにスモル皇国以外の小国は当主がいないことも多く、現在の周辺の領土は非常に曖昧になっている。

 その整備がまだできていないため、魔物以外にも難題は少なくない。

 スモル皇国も当代当主が存在してはいるが、国内の情勢は乱れに乱れており、情勢的にも政情的にも問題は山積みだ。


 しかし恐らくはそれが功を奏したのだ。

 なぜなら人間がほとんど存在しない地域の為、魔物が余り出現しないのである。

 魔物は人の住まいを襲い、物資を奪うことが多い。

 それはつまり人がいないとあれば魔物にとって利益は少ない。

 この閑散としたスモル皇国国土内に置いて魔物の襲撃が少ない要因でもある。

 スモル皇国の首都でさえも逼迫しており、恐らくは魔王軍にとって【旨味の少ない都市】であると判断されているのだろう。


 それがありがたいと感じる反面、情けないともトバルは思う。

 国に対してではなく、自身に対して。

 スモル皇国全域の討伐部隊を統括する立場でありながら、敵が来ないから助かる、などと思うのはやはり誇りを傷つける。

 もちろん魔物が多く出現して欲しいというわけではないが。

 だからこそ複雑な心境なのだ。

 トバルは若者の話を頭の中で整理すると言葉に出した。


『……由々しき事態だな。付近では魔物の襲撃はなかったようだが』

『襲う村が少なくなっているのかもしれません。

 この村は決して裕福とは言えないのですが』

『……あり得るな』


 トバルも同意見だった。

 この件に関しては皇帝に報告が必要だろう。

 その後、地方領主に注意喚起すべきか。


『しかし運が良かった。勇者殿が村に立ち寄るとはな』

『え、ええ。おかげで助かりました』


 しかしその肝心の勇者は村にいない。

 トバルもその理由は把握している。

 勇者は人に恐れられている。

 魔物を殺し、魔王を討伐する英雄のはずが、現勇者に対して多くの人は腫れ物扱いだ。

 いや、それどころか異物として排除しようとする傾向があるくらいだ。

 魔物以上に恐ろしい力を持つ勇者を敬遠する気持ちはわかる。


 だが……救ってもらった恩人に対してすべきことなのかと疑問はある。

 トバルは黙して自分の感情を押し殺す。

 自身の立場をわきまえなければならない。

 長年国に仕えれば理不尽を感じることは少なくない。

 だがその度に反抗してはなにもできない。

 信念を持ち続けることこそ肝要なのだから。


 ふとトバルは若者の表情に違和感を覚える。

 勇者のことを話しているからばつが悪そうにしているかと思った。

 しかし会話の最初から彼はどうも落ち着かない様子だったように思う。

 これは……何かを隠している?


『……何か気になることでも?』

『い、いえ! な、何も』


 怪しい。確実に何か後ろめたいことがある。

 強引に詰問してもいいが、それでは村人の反感を買う。

 それに僻地の村々にはそれぞれの掟があるものだ。

 一人にその負担を強いると禍根を残す可能性がある。

 だが聞かないわけにもいかない。


『隠し事をしないで欲しい。私は敵ではないのから』

『……いえ、何も』

『真実を知らなければ、対処もできない。何か問題が起こってからでは遅いのだ。

 ……君はその責任を負えるか?』


 ずるい言い方だ。

 しかしそうでも言わないとこの若者は話さないだろう。

 トバルは辛抱強く若者の言葉を待った。


『……じ、実は……リザードマン以外の魔物がいました』

『ほう? 別の魔物?』


 それが何か問題なのだろうか。

 魔物を退けているのだから別段、気になることではないはずだが。

 しかし若者の表情を見たトバルは、そんな単純な話ではないと理解した。


『猫の……魔物が、ルルちゃんと』

『猫の、魔物? そのルルとは?』

『農家の子です……以前、両親が魔物に殺された女の子で……。

 その子の家に、その猫の魔物が』

『まさか、その子を殺したのか……?』


 トバルは意を決して言葉を紡いだ。


『え? いえ! まさか! その魔物は一緒に暮らしていまして』

『……は? 一緒に暮らしていた?』


 言葉の意味がよくわからない。

 一緒に暮らしていた?

 人と魔物が?

 どういう意味だ?

 トバルの頭の中には様々な疑問が浮かんだ。


『その言葉の通りで、その、ルルちゃんは猫だと思っていたみたいで。

 一緒に暮らしていたんです』

『……猫の魔物はルルということに危害を加えたりは?』

『ワンダがそんなことするはずないですよ!』


 ワンダ?

 その猫の魔物の名前か。

 名前まで知っているとは。

 人が魔物の名前を?

 不思議な感覚だった。

 なぜかワンダという魔物の話をする若者の顔は少し嬉しそうだったのだ。

 魔物の話をしているのに、どうしてこんな顔ができるのか。

 魔物は敵だ。人を殺す害悪だ。

 そのはずなのに……彼は明らかにそのワンダという魔物に好意を抱いていた。

 これは一体?


『それで、そのワンダという魔物がどうしたんだ?』

『ええ。ワンダとルルちゃんは数日間一緒に暮らしていたんですが、リザードマン達が村を襲いに来まして』

『そのワンダという魔物が手引きをしたのでは?』

『ないです! ないない! そんなのありませんよ!

 だってワンダはルルちゃんを助けるために怪我を負ったんですよ!?』

『魔物が!? 人を庇ったというのか!?』

『そうですよ! ワンダは身を挺して庇ったんです。

 それにリザードマン達が村を襲いに来た時、すぐに奴らの前に立ち塞がって説得しているようでしたが、決裂したみたいでした。

 それで攻撃されて、酷い怪我を負ったんです。

 ワンダが時間を稼いでくれたから勇者様が間に合ったんですよ!』


 バカなと思うが、同時に別の村のことが浮かんだ。

 閑散とし、若者がいなくなった村。

 村人は魔物の襲撃にあい、たまたまトバルが居留していた村にやってきた。

 救援を受け、村に戻ると畑に作物があり、村は綺麗になっていた。

 聞くと村人が村を出る前は畑は枯れ、村は汚れており、陰鬱とした場所だったようだ。

 まるで神の御業かと思った。

 それらのすべてが魔物が襲来したという発端があることに、トバルは違和感を抱いていた。


 魔物の仕業なのではないかと思ったのだ。

 だが巨悪の魔物が聖人の如き所業をするとは思えなかった。

 それでもトバルの記憶に強く残ったのは間違いなかった。

 トバルは不意に連想してしまう。

 まさか同じ魔物なのかと。


『その魔物は猫なんだな? ドラゴンではなく?』

『猫ですよ! あ、でも……確かドラゴンに姿を変えたって話があったなぁ』

『ドラゴンに姿を変えただと!?』

『え、ええ。別の魔物に変わる力でもあるんでしょうか』


 その証言が正しいのならば、そのワンダという猫の魔物は変化する力があるということになる。

 では……もしかして。

 あの村にやってきたドラゴンとやらは、ワンダという魔物が化けていた?

 まさか、そんななぜそんなことを。

 わからない。


 相手は魔物だ。魔物が人間を救う?

 衰退した村を救うためにあえて襲う振りをして追い出して、畑を蘇らせた。

 そしてこの村では猫に扮して少女と暮らし、リザードマン達に立ち向かった。

 信じられない。

 そんな、魔物がどうして人間にそこまで。

 理由がまったく浮かばなかった。


『理解ができん。なぜそんなことを?』

『……わかりません。ワンダが何を考えていたのか。

 話す時間もなかったので。ただ……あの子は悪い魔物じゃないと思います』

『村を救ったからか?』

『それもありますけど……あっ、ルルちゃん』


 話の最中に門衛の若者が通り過ぎる少女を止めた。

 少女は紙袋を手に、どこかへ向かう途中だったようだ。


『あ、こんにちは』

『ああ、こんにちは。ルルちゃん、悪いがこの人にワンダのことを話してくれるか?』

『ワンダちゃんのこと? いいよ! あ、でも……』


 ルルはトバルを見て、不安げな表情を浮かべる。

 聡い子だとトバルは思った。


『ワンダという魔物には何もしやしない。ただ聞きたいだけだ』

『……本当に? ワンダちゃんに何もしない?』

『ああ、約束しよう』


 ただしそのワンダという魔物が敵でないならば、だが。

 トバルはその部分を言わず、ルルの言葉を待つ。

 少し迷った様子だったがルルは小ぶりな口を開いた。


『ワンダちゃんはとってもいい子だよ。

 ルルは寂しくて……一人だったけど、ワンダちゃんがいてくれた時は寂しくなったもん』

『一緒に暮らしていたと聞いたが、何かされたりは?』

『何かって何? ワンダちゃんが悪いことしたか疑ってるの?』


 少女とは思えないほどに鋭い視線だった。

 純粋で真っ直ぐな敵意に、トバルは少しだけたじろいだ。


『い、いやそうじゃない。ただどうだったのかと思ってね』

『……ワンダちゃんは悪い子じゃないもん。何もするはずない。

 いっつも寝てたり、ゴロゴロしてたもん。悪いことしてないよ』


 魔物が?

 ゴロゴロ?

 猫の振りをしていたのだろうか。


『幸せそうにしてたよ。

 嬉しそうにご飯も食べてたし、撫でてあげるとふにゃってなってたし』


 ……猫の振りをしていたというか、猫そのものじゃないか。

 自然体だったのだろうか。

 これが演技なら大したものだが。

 しかし演技をする必要性を一切感じない。

 猫の振りをする利点はあるようには思えなかったのだ。


 では……素か。

 魔物なのに?

 トバルは頭が痛くなってきた。

 これは本当に魔物の話なのだろうか。

 トバルの知っている魔物は残虐で、狡猾で、凶悪な存在だ。

 だが話を聞くと、どうも賢い猫の話を聞いているだけのように思えた。

 まるでおとぎ話の中の世界だ。


『後ね、抱きしめると、ふぎゃ! って声出してた!

 えへへ、じたばたして可愛かったなぁ』


 少しだけワンダという魔物に同情するトバル。

 最早、魔物とは思えなくなりつつあった。

 しかし油断は禁物だ。

 ……いや、トバルは気づいていた。

 今までの話を聞いて、そのワンダという魔物に好印象を抱きつつあるということに。

 恐らくは以前の村と同一の魔物だ。

 人を襲わず、魔物と敵対するというよりは説得していた様子。

 ならばやはり良い魔物なのか?


『あ! 後ね人の言葉が話せるの! すっごい上手いんだよ!』

『人の言葉を……ふむ、なるほど』


 そう言えば、ドラゴンも人語を介していたと聞いた。

 なるほど、やはり同じ魔物のようだ。

 トバルの中での情報の断片が繋がっていく。

 そのワンダがすべての中心にいるということ。

 もしもすべてが真実でワンダは良い魔物ならば……。

 もしかしたら今の状況を変えるきっかけになるのではないか。

 冷静に的確にトバルはそう判断した。


 敵ではないが味方かどうかは明確ではない。

 一時的に同情して助けたという可能性もあるのだ。

 しかし、それだけで魔物としては十分理性的で温和な性格と言える。

 トバルはワンダに興味を持った。

 実際に会ってみたい。

 どんな魔物なのか知りたい。

 純粋にそう思ったのだ。


『二人ともありがとう。助かった』

『え? もういいの?』

『ああ。君の顔を見ていたら、ワンダという魔物が良い魔物だということはわかった。

 驚いたが、私にも少し思い当たる節があってね』

『そっか! よかった! ワンダちゃんがいい子だってわかってくれて』


 少しの淀みのない笑みだった。

 本当に心の底からワンダという魔物が好きなのだとわかった。

 トバルは自然に笑みを返す。


『それでは私は行こう。協力感謝する』


 トバルが一瞥すると、部下は馬の下へ走っていった。


『ねえ、もしかしてワンダちゃんのところに行くの?』


 ルルは澄んだ瞳をトバルに向ける。

 鋭い子だ。

 トバルは苦笑した。


『ああ、そのつもりだ。だが安心して欲しい。危害を加えるつもりはない』


 以前の村や、現在地を鑑みればある程度の出現場所はわかる。

 もちろん適当に散策しても見つけることは困難だ。

 恐らく周辺の森や村に行けば痕跡は見つかるだろう。

 付近に小さな村や廃村は幾つかあるはず。

 それらを周れば何かわかるかもしれない。

 そのワンダという魔物が寂れた村に用があるのであれば、だが。

 その意図はわからないが、村を蘇らせるという目的があるように思えた。


『連れて参りました、隊長殿!』

『ああ、すまないな』


 トバルは部下が連れてきた馬に乗ろうと手綱を握った。

 しかし何かがトバルの手を引っ張った。


『ル、ルルも! ルルも行きたい!』


 ルルが必死にトバルの手を掴み、叫ぶ。

 何を馬鹿なことを、そう一笑に伏そうと思ったが、それはできなかった。

 ルルの目は真剣そのもので、手は震えていた。

 その姿は意志の強さと未知への恐怖が共存している。

 理解している。何を言っているのかを。

 それにルルという娘には両親がいないと聞いた。

 ならば旅立つことに障害は少ないだろう。

 しかしトバルは頭を振った。


『できんな。子供を旅に連れて行く理由がない』


 ルルの口角が下がる。

 眉は八の字になり、頬がふるふると震えた。 

 ルルは抱えていた紙袋に手を入れた。


『ほ、干し肉! お水を入れた水筒! 着替え! ナイフ!』


 紙袋から色々なものを出していく。

 それは旅に必要なものばかりだった。

 地面に並べられたそれらを見て、トバルは嘆息する。


『旅立つつもりだった、そういうことか』

『ワンダちゃんを探すの!』


 泣きそうになったルルは、グッと涙をこらえる。

 小さな身体は激情に耐え切れず痙攣している。

 それでもルルは真っ直ぐと立ち、トバルを見つめた。

 それほどまでに、そのワンダに会いたいのか。


『……家は?』

『畑も家も、全部売った!』


 すごい行動力だ。

 すべての財産を売ったということか。

 ではその金はどこにあるのかと思ったら、紙袋の底に大量に円貨が見えた。

 十ほどの少女が、旅をすべくすべてを売り、道具を購入し、そして残った金を所持している。

 ルルはその紙袋をトバルに差し出す。


『ほ、報酬にこれあげるから! だから! ルルを連れて行って!』


 その歪さと無垢さにトバルは長いため息を漏らす。

 危うい。

 この子は恐らく直情的な性格なのだろう。

 思い込めば真っ直ぐに突き進む。

 恐らくはトバルが同行を許さずとも、一人で旅立ってしまう。

 辛くても怖くても一人で進み続ける。

 そしてその末に殺される。

 幼く力もない少女をこの世界は蹂躙する。

 魔物か動物か盗賊か山賊かあるいは詐欺師か。

 そのどれかが彼女を殺すだろう。


 それをトバルは許容できない。

 何という純然たる策士か。

 トバルは三度目のため息を漏らした。

 仕方ないのか。

 トバルはやんわりと紙袋をルルに押し返すと、言い聞かせるように話す。


『……それは今後のためにとっておきなさい』

『で、でも!』

『報酬はいらん。連れて行ってやろう』

『ほ、ほんとう!?』


 ルルはわかりやすいほどに笑みをこぼした。

 その純粋さにトバルは気を緩めない。

 厳しく、はっきりと言った。


『だがただ連れて行くわけにはいかない。

 私は保護者ではないし、隊は遊びで動いているわけではない。

 途中で別の任務が入った場合はそちらを優先することもある』

『それでいい! そうなったら一人でも』

『子供が一人で何ができるというのだ!』


 トバルの一喝にルルは身を竦ませる。

 明確な怯えを見せるも、しかしルルの意思は揺るぎない。


『こ、子供だってわかってるもん!

 でも……もうイヤ! 大切な誰かがいなくなるのは……イヤだもん!』


 泣きながらも目は逸らさない。

 迷いなき瞳にトバルは昔を思い出す。

 自分もこうだったのかもしれないと。


『……時に遠回りすることもある。それが糧となり、目的に届くこともある。

 例えワンダを追わなくなることがあっても、その時間は無意味ではない。

 初心を忘れなければ必ず目的には近づくのだ。

 一人で魔物を探すのは無理だ。方針が変わろうとも同行しなさい。

 約束できるか?』


 ルルは逡巡したが、やがてゆっくりと頷いた。


『……わ、わかった』

『ワンダを追うということは止めない。隊に同行も許そう。

 ただし旅に必要な程度に強くなれ! 

 私が鍛えてやる。自分を守れるくらいにはなってもらうぞ!』


 ルルは、はっと我に返り、大きく頷いた。


『うん!』

『うんではない、はい、だ!』

『は、はい! 師匠!』


 師匠?

 師匠になったつもりはないが、しかし立場的にはそうなるのか。

 弟子か。まあ対外的にはその方がいいだろう。

 たまたま立ち寄った村で弟子ができるとは。

 しかも少女の弟子。

 人生は何が起きるかわからないものだ。

 しかし魔物を探す旅は楽ではないだろう。

 戦いに巻き込まれることは間違いなく、強さは必要だ。

 やれやれこれからどうなることやら。

 トバルは喜色満面のルルを見て、小さく笑いそして嘆息した。

 仕方ないなと、思ってしまった自分に呆れてしまった。


 数週間後。

 別の村にて。

 村人達が埋葬された綺麗な墓や整備された土地、そして肥沃で豊饒な畑を目にしてトバル一行は驚くのだが、それはまた別の話。

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