シンプルな手法でむずかしい題材をえがいた秀作だ。
まず、檀那が鬱病――厳密には大鬱病――だという設定である。精神病をえがいた作品は、文学賞では落選しやすいといわれるが、リアリティーをだしにくいからだろう。其処がクリアーされているかはわからないが、それに挑戦しただけでも価値があるはずだ。
さらにめずらしいのは、下流家庭の主人公と対蹠するかたちで、上流社会の夫妻が登場することである。日本文學でも、世界文學でも、散文藝術でえがかれるのは、大抵、下流から中流階級の世界である。読者層が共感できるからだろう。ゆゑに、『グレート・ギャツビー』は読者に見放され、ながらく評価されなかった。たとえ、えがかれたとしても、盛者必衰の悲劇を描出するための設定であることがおおかっただろう。なので、本作中盤からは、個人的にだが、ユダヤ人富裕層の世界をえがいたソール・ベローの作風を髣髴させられた。
無論、本作は推理短篇の体裁をととのえているが、愚生は、這般の設定の面白さにひきつけられた。文章がシンプルであるところもよかった。タグの「夫死ね」が多少過激で困惑しましたが――。